デパート販売員が感染、出勤時にサーモグラフィーで微熱検知

2020年06月10日 03時44分07秒 | 社会・文化・政治・経済

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北海道と札幌市は8日、新型コロナウイルスに感染していた男性1人が死亡し、新たに札幌市で4人の感染が確認されたと発表した。60歳代男性会社員1人の感染経路が分かっていない。  

感染が判明した4人のうち1人について、丸井今井札幌本店は、札幌市中央区の一条館4階・紳士服フロア販売員だと発表した。

同店によると、販売員は3日の出勤時にサーモグラフィーで微熱が検知され、自宅待機となった。客や従業員に濃厚接触者はいないという。販売員の陽性が判明した7日、同店は営業終了後に消毒作業を実施した。

 

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“接客業”の20代女性が新型コロナ陽性…仕事中はマスクせず 仕事で神奈川と岐阜を行き来

2020年06月10日 03時41分01秒 | 社会・文化・政治・経済

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岐阜市で9日、市内で働く20代の接客業の女性が新たに新型コロナウイルスに感染したことが分かりました。  
新型コロナウイルスの感染が確認されたのは、岐阜市の店で働く20代の接客業の女性です。  
女性は6月7日から頭痛や発熱などの症状が出て、9日になって味覚や嗅覚に異常を感じたためPCR検査を受け、陽性と判定されました。  
岐阜市によりますと、女性は7日までは勤務先に出勤していて、移動中はマスクを着けていましたが、仕事中はマスクを外していたということです。  
また女性はこれまで仕事のため、神奈川県と岐阜市を行き来していて、今年5月から岐阜市に滞在していたということです。  岐阜県内の感染者はこれで153人となりました。 ※画像:NIAID-RML

東海テレビ

 

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離婚調停中の夫と不倫相手の女性を殴ったか…35歳女を逮捕 2人が“信号待ち”していた車に乗り込む

2020年06月10日 03時21分29秒 | 事件・事故

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三重県松阪市で9日、夫と不倫相手の女性が乗っている車に乗り込み、2人を殴ったとして、35歳の女が逮捕されました。  
逮捕されたのは亀山市に住む35歳の無職の女です。  
女は9日午後1時ごろ、松阪市鎌田町の県道で42歳の夫が運転する車に乗り込み、左腕を殴ったほか、同乗していた32歳の女性の背中などを数回殴った疑いがもたれています。 2人にケガはありませんでした。  
警察によりますと、女の夫と離婚調整中で、同乗していた女性は夫の不倫相手だったということです。  
調べに対し女は、「車が動いたので停めてほしくて叩いただけです。女性には手を挙げていません」と容疑を否認しています。  
女は夫の車が信号待ちで停止した際に乗り込んだとみられていて、警察は、経緯などについて調べることにしています。

東海テレビ

 

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マックス・ウェーバー-近代と格闘した思想家 

2020年06月10日 03時21分29秒 | 社会・文化・政治・経済

野口 雅弘  (著)

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』『仕事としての政治』などで知られるマックス・ウェーバー(一八六四~一九二〇)。資本主義の発展や近代社会の特質を研究し、政治・経済はじめ、幅広い学問領域で活躍した。本書は、彼の生きた時代と生涯をたどりつつ、思想のエッセンスを解説する。彼の「近代」への思索は今、何を問いかけるのか。没後一〇〇年という節目に、巨人の遺産に向き合う。

野口雅弘
1969年東京都生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。哲学博士(ボン大学)。早稲田大学政治経済学術院助教、岐阜大学教育学部准教授、立命館大学法学部教授などを経て、現在、成蹊大学法学部教授。専門は、政治学・政治思想史。著書に、『闘争と文化――マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』(みすず書房,2006)、『官僚制批判の論理と心理』(中公新書,2011)、『忖度と官僚制の政治学』(青土社,2018)。訳書に、シュヴェントカー『マックス・ウェーバーの日本――受容史の研究1905-1995』(共訳,みすず書房,2013)、ウェーバー『仕事としての学問/仕事としての政治』(講談社学術文庫,2018)、ノイマン/マルクーゼ/キルヒハイマー『フランクフルト学派のナチ・ドイツ秘密レポート』ラウダーニ編(みすず書房,2019)ほか

 

マックス・ウェーバーが亡くなったのは、1920年6月14日で、没後100年となる。
世界の中でも、特に熱心にウェーバーが読まれてきた日本での新書版での記念出版が、中公新書と岩波新書で予告されており、中公新書のほうが先に届いた。
ウェーバーの「哲学的・政治的プロフィール」を簡潔に描こうとした書で、入門書とされている。
あとがきに書かれた特徴は三つ。
一、宗教社会学と政治理論に重心を置く。(つまり、社会学方法論、哲学、プロテスタントティズム思想史、経済学には重心を置かない)
二、ウェーバーに関連する多数の先時代人、同時代人、後時代人に触れながら、ウェーバーの生涯と思想を描く(ウェーバーの批判者アーレントや後代のロールズ等も出演)
三、没後のウェーバー受容について頁を割く(終章は丸々この内容)
概略
第一章政治家の父とユグノーの家系の母・・ウェーバーのファミリーヒストリー。父はビスマルク支持の有力政治家。母は信仰心に篤いユグノーの末裔。
第二章修学時代・・ベルリン大学で法学を学ぶ。実家からの経済支援に頼るパラサイト生活のあと、フライブルク大学教授就任。マリアンヌと結婚。
第三章自己分析としてのプロテスタントティズム研究・・ハイデルベルク大学教授就任。父と大喧嘩し、和解の前に父死去。ウェーバーは心の病で数年の休養。ウェーバーの「客観性」論、回復期に書かれた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。この章の後半はこの本の説明、論証、応用、拡大、発展。
第四章戦争と革命・・ロシア革命、第一次大戦。ウェーバーの「国家の物理的暴力行使論」。後代のロールズ正義論と、アーレントによるウェーバーの暴力契機論批判。ウェーバーの官僚論。
第五章世界宗教を比較する。・・1909年ピアニストのミナ・トーブラーと知り合い、親密な関係になり、頻繁に彼女に家に通う。その結果、「音楽社会学」に夢中になり、その発展として、膨大な「世界宗教」の比較宗教社会学プロジェクトを企画し、ハイペースで進行するが未完。この比較宗教社会学のうちの「儒教とピューリアリズム」検討。
第六章反動の予言ーウェーバーとナチズム・・アイスナーとウェーバー。ウェーバーのリープクネヒト、ルクセンブルク批判。ドイツ民主党結党に関わるも、政治家になれず。ウェーバーの比例代表制批判と強い大統領推奨。ヒトラー独裁以前に死去。
終章マックス・ウェーバーの日本・・没後の関係者による著作保存、記録、復興の努力。ドイツでは衰亡。アメリカで復興。そして、日本でのウェーバー受容。大塚久雄を中心に。
私的感想
〇大変面白かった。没後100年にふさわしい力作。
〇第五章の最後に出てくる、日本と欧米でのウェーバー研究の態度の違いは面白い。欧米の研究者にはウェーバー研究専門家が少なく、自分の研究課題に応じて、ウェーバーのテクストから自分に必要なものを切り出していく。ウェーバーの専門研究者(日本は最高峰のよう)からみると、それは、「つまみ食い」である。一方、欧米非専門研究者からみると、使えるところを使えばよいのであり、「ウェーバー学」なるものは、ウェーバーを読むことを自己目的化しているにすぎない・・。
〇なるほど、ウェーバーは時代により、人により、多様な読み方ができ、新しい使用価値が生じてくるので、100年の年月を経て、今も多大な人気を保っているのだろう。
〇そういう意味では、終章はウェーバー没後、世界において、日本において、ウェーバーがどのように読まれてきた、どのように使用されてきたかの歴史、つまり、ウェーバーの使用価値の歴史ということになるのかな。大変面白い。
〇終章に限らず、本書に登場するたくさんの同時代人、後時代人はウェーバーの著作を様々に読み、その概念、方法論を使用し、応用し、批判し、克服するなどして、有効利用してきた人々である。また、ウェーバー自身が先時代人、同時代人の著作、思想を有効利用してきたことの歴史ともいえる。ウェーバー自身の著作のダイジェストを書き並べるのでなく、関連人物への言及からウェーバー像を作っていく手法はユニークで、成功していると思う。
〇第三章は著者の「プロ倫」後半分析が一気に突っ走り、『ロビンソン・クルーソー』から、ウェーバー死後のフィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』解析まで行ってしまう。有効利用で面白い。
〇第五章のウェーバー比較宗教社会学と音楽社会学はこれまであまり読んだことがなく、やや難解だった。しかし、これらの巨大プロジェクトの発端がミナ・トーブラーへの情熱にあったのだとしたら、それはそれですごいことと思う。
私的結論
〇岩波新書本が楽しみである。

 

①ウェーバーの優れた評伝である。伝記的記述と社会学的記述を結びつける工夫がみられる。
②ウェーバーの宗教社会学の根幹は、社会的行為の合理性の追求にあるが、その発想の根拠が、ウェーバーな学問的経歴が法学研究に由来することを突き止めたのは初めて著者の慧眼である。
③法解釈の合理的解釈から社会的行為の合理性解釈が生まれたのだ。法解釈の法的合理性は法にあるが、社会的行為の合理的解釈の根拠は法ではなく、〈因果関係〉である。支配の正当性は人々が政治権力に服従する合理的根拠に求められる。伝統的支配・カリスマ的支配・合法的支配の三類型をウェーバーは指摘した。
④ところで、ウェーバーが考案した〈理念型〉の構想は、どこから生まれたのであろうか?これは伝記的記述に由来するものではないだろう。歴史学者故林健太郎は『史学概論』(有斐閣双書、絶版)で、ウェーバーの〈理念型〉が新カント派(ヴィンデルバント・リッケルト・ディルタイ)に由来するものであることを指摘している。近年は、ニーチェの思想がウェーバーに与えた影響を重視している。
⑤ウェーバーの宗教社会学が戦後の日本における社会科学研究に与えた影響は計り知れないものがあるが、ウェーバーがプロテスタント出身であることが大きく反映されている。プロテスタンティズムを資本主義のエトスと見なす思想は、特殊ヨーロッパ的発展要因の宗教社会学的研究へとウェーバーを導くが、ユダヤ教、儒教とヒンドゥー教、仏教と道教の比較研究等からプロテスタンティズムの禁欲的職業倫理がクローズズアップさせることになる。
⑥確かに、プロテスタンティズムは特殊ヨーロッパ的な経済成長率発展の宗教社会学的要因とはなり得ても、戦後の日本や中国の経済発展の宗教社会学的要因とはなり得ない。これをウェーバーならどのように説明したであろうか?
⑦ウェーバーが合法的支配の典型としてあげた〈官僚制〉の行き詰まりた法の支配の限界についても再考すべきであろう。
本書と期を同じくして岩波新書からも『マックス・ウェーバー』が出版された。読み比べてみるのも面白い。
とても参考になる評伝である。
お勧めの一冊だ。

 

 

 
これは見事な本だ。ウェーバーの入門書を書くとなると、絶滅しつつある旧世代からは無謀とのそしりを受けかねないし、若い世代からは今更ウェーバーかと首を傾げられるかもしれない。本書はそうした疑念を一気に払しょくし、ウェーバーとの格闘・対話に依然として価値があることを雄弁に示す。

何よりも、筆の運びが見事だ。パウル・クレーの絵(著者のtwitterをみると、クレーのファンのようだ)、カフカの小説、リルケの詩が引用されるだけでなく、縦横無尽に話を紡いでいく。例えば、ウェーバーの「心の病」を論じるところで、フロイト、J・S・ミル、トルストイ、イプセンとつながるあたり(59-62頁)。ややもすると、こうした書きぶりは脈絡を失いがちだが、著者は連関を見失っていない。久しぶりに知的興奮を覚えた。

入門書とはいうものの、まったく前提知識がない人にはやや敷居が高いとは思う。しかし、最新の研究をうまく一般向けに伝えている。彼の著述における法学の影響、比較宗教社会学の想源としての音楽(と女性ピアニストとの親密な交流)などは、研究者の間では常識なのだろうが、新鮮な発見であった。また、言葉の解説が丁寧である。ベルーフを「仕事」、「心情倫理」を「信条倫理」と訳すこと、従来「鉄の檻」として訳されてきた有名な言葉を、「外皮」ないしは「殻」としたほうが良いと言った指摘は、これまた研究者の常識なのだろうが、テクストの解釈を促す意味でも有益である(例えば、今野元『マックス・ヴェーバー』では、何も説明なく「鋼鉄のように硬い殻」という言葉が出てくる)。このあたりは、良質なゼミに参加しているような気分になる。

本書では、現代の課題に対する著者の意見が端々に顔を出している。著者は、官僚制を軸にする現代政治の研究者でもある。実のところ、私は著者の意見に必ずしも賛成しない(反証可能性やEBPM、実証的政治科学への茶々は、それで?と問いたくなる)。また、こうした現代への言及は、本書を時間の経過とともに陳腐化させていく危険はある(例えば123頁の記述)。しかし、著者の意見に反発し、疑問を持つことそのものが、対話の一部でもある。この本は、近代と格闘したウェーバーと著者が格闘し、それに触発されて著者が現代と格闘し、そうした著者と読者が格闘するようにと、多重かつ多様な対話がもくろまれているのである。著者も「あとがき」で言う。「古典と呼ばれる本は、その時代のコンテクストが失われてすら、読み継がれる『余地』があるから古典になる。このため古典やその書き手についての研究は、ある時点に出された『完全版』や『決定版』によって簡潔されるわけではない。時代のコンステレーションが変われば、テクストの読まれ方も変わってくる。・・・時間の経過とコンテクストの変化のなかで、ウェーバーをめぐる言説は変化し、そして積み重なる。そうすれば、見え方も変わらざるをえない。こうした意味で、この本も含め、すべての研究は必然的に『中間考察』である」(253-4頁)。

蛇足ながら、本書は、本年の吉野作造賞の最有力候補である。

マックス・ヴェーバー入門 山之内 靖 (著)

2020年06月10日 02時57分15秒 | 社会・文化・政治・経済

山之内 靖

いまヴェーバーはどう読まれるべきなのか.従来無視されてきたニーチェとの親縁性を明らかにし,ヴェーバー社会学の方法を解きほぐしながら,西欧の合理化過程が生みだした近代社会に根本的批判の目をむけ,知の不確実性を正面から見据えたヴェーバーの根本思想を浮き彫りにする.ヴェーバー像のラディカルな書き換えを迫る本格的入門書.

山之内/靖
1933年東京に生まれる。1963年東京大学大学院博士課程修了。専攻は歴史社会学、現代社会理論。現在、フェリス女学院大学教授、東京外国語大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

ヴェーバー像は、十分に研究が積み重ねられており、もう論じる必要のないものなのかと、ぼんやりとしたイメージを持って読み始めましたが、そんなイメージは見事に破砕されました。著者は、マルクス主義的立場からのヴェーバー像――ヴェーバーはブルジョワ社会に対して楽観的である云々――に対して、それを覆すために、学術的な戦闘態勢でこの本を書かれているように思われます。それゆえに、書誌情報やヴェーバー解釈史の整理情報が多く、(研究者を別にすれば)少し煩瑣な記述が多いという印象を持たれるかもしれません。が、著者が打ち出すヴェーバー像はそれだけに一層クリアなものになっており、近代社会に対する批判的意識を持つ人物像が打ち出されています。

 

本書は、ヴェーバーのなかのニーチェ的契機を明らかにしつつ、その全体像を概観するものである。

 「プロローグ――近代知の限界点に立って」は、本書の問題関心について。
 第1章「神なき時代の社会科学」は、まず、社会科学を2つの潮流(アダム・スミスとカール・マルクスに代表される構造論的アプローチとヴェーバーの行為論的アプローチ)に整理する。次いで、ヴェーバーの合理化論の通説的解釈とそれに対する批判を中心に先行研究を整理する。
 第2章「『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』再訪――悲劇の精神」は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を取り上げ、それをニーチェ的観点から読み直す。以上のような読解の補助線として、「距離の感覚」「方法的不連続性」「資本主義精神起源論争」について述べる。
 第3章「精神の病――死と再生のドラマ」は、妻のマリアンネによる伝記などを参照しつつ、ヴェーバーの方法論的展開を、これまであまり取り上げられてこなかった中期に焦点を当てて検討する。
 第4章「古代史再発見――回帰する時間の社会学」は、中期の古代史研究を取り上げ、その中におけるヴェーバーの方法論的展開を明らかにする。
 終章「受苦者の連帯に向けて」は、これまでのまとめと展望について。

 以上のように、本書は、ヴェーバーをニーチェ的観点から読み直すという問題関心のもと、特に中期に焦点を当てることで、彼の古代史認識における転回を明らかにしつつ、そこから晩年の彼の近代に対する批判的認識の成立を見出そうとするものである。入門書という表題にもかかわらず、その内容は非常に多くの示唆に富み、有益である。一方、初学者には難しく感じるところはあるが、文章は平易で読みやすく、文献案内もある。特に、ニーチェを媒介にしつつフーコーとの関連を指摘する部分は、興味深く読めた。一読を薦めたい。

 

本書で山之内氏は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を、ヴェーバーの他著作を絡めて読み解いていく。よく言われることだが、資本主義の起源にはプロテスタンティズムの勤勉さがある、今こそ、その倫理の復活を、と読み取るのは誤解であり、ヴェーバーは資本主義の精神の根本を形成したプロテスタンティズムの倫理の不気味さを指摘しているのだと説く。では、その資本主義の先端に生きる私たちにヴェーバーは何を残し、伝えるのか。終章で山之内氏はヴェーバーの理論を鮮やかに反転させて見せる。そして、現代に生きる私たちに社会科学の古典から読み取れる指針を提示してくれる。数々の文献が引用され、今後の読書の指標となる、歴史を学ぶことの意味をも考えさせてくれる名著です。

 

1997年刊行というから、すでに20年以上も前の新書であるが、ヴェーバーについての解説として読んだ。
 ヴェーバー(1864-1920)は、マルクス(1818-1883)より半世紀近く後の思想家・社会科学者であり、マルクスから多くのことを学びつつも社会主義・共産主義に賛同せず資本主義を妥当とし、さらにヨーロッパ、とくにキリスト教プロテスタンティズムの精神・倫理が資本主義の経済を推進してきたとし、ヨーロッパのキリスト教精神の優越性を説いた人物とされてきた。この本の著者山之内靖は、これらを誤解で浅薄な理解だとする。
 社会科学は、思考する人間の価値判断を前提とするため、自然科学のような客観的中立性は不可能であり、知の不確実性をともなわざるを得ない。そのことをただしく自覚することが社会科学における「価値自由」の意味である。宗教的にこれを表現すると、社会科学の理解には「神々の闘争」をともない、主観も感情も繰り込んで思考せざるを得ず、その意味で「神学としての科学(=近代の社会科学)の脱構築」が必要だとする。
 経済学の始祖たるアダム・スミスは、人間の行動原理を人間の利己心に一元化し、経済活動を固定的・客観的にとらえた。マルクスは、現在存在する資本主義は強固なものであるが、内在的に変化し崩壊するものであるとして、対象を固定化してとらえる近代知を否定した。しかしマルクスは、経済構造の変化に法則をみる点で、まだ近代知の枠内にとどまった。ヴェーバーは、アダム・スミスが説く市場メカニズムがそれ自体として存立・機能できるわけでなく、それを運用する人間の倫理・道徳的動機付けを必要とする、とする。すなわちヴェーバーは、経済的行為の理論として、それにかかわる人間の社会的行為の内面的動機付けに注目したのである。
この社会的行為の内面的動機付けとしてヴェーバーが取り上げたのが、ヨーロッパのプロテスタンティズムであり、とくに宗教改革カルヴァン派のピューリタンに代表される倫理であった。カルヴァンは、神のみが人間の行動・運命を決定するのであり、被造物者たる人間には一切の決定権がなく、人間は救済されるためにひたすら神の意に叶うべく「現世内的禁欲」を守り「神の道具」となって行動せざるを得ない。主観的に魂の救済を求めて宗教的救済へと向って行くこの激しい情熱が、意図せざる形で客観的に社会的・政治的・経済的な秩序の形成に向かう。こうして勤勉に働くことで人間は豊かになり、秩序のなかでひとまずの安定を得るが、そのように秩序付けられた社会では、人々は聖職者の官僚制の檻に閉じ込められて、なおかつ救済されるか否かも不明のままである。運命は不確実性をともない、未来への不安は避けられない。
 このように、ヴェーバーが説く資本主義とそれを支えるプロテスタンティズムは、その経済制度やそれを突き動かす精神について、決して勝ち誇ったり謳歌したり、楽観するものではなく、不確実な運命の力を覚悟せねばならない、というある意味で暗いものである。
 ヴェーバーは、マルクスとともにニーチェから大きな影響を受けたと山之内は言う。そして1864年生まれのヴェーバーの活動期間を、学位を得てハイデルベルク大学教授に就任し、父と激しく衝突して父が旅先で急死してしまう中で『古代農業事情 第2版』を発刊するまでの1897年(33歳)までを第1期、そのショックが契機となって神経症を発病し、大学を辞めイタリアに転地療養し、招待をうけて渡米し『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を発表し、『古代農業事情 第3版』を発刊する1909年(45歳)までを第2期、そして神経症から快癒に向かい、イタリアとイギリスに旅し『経済と社会』、『世界宗教の経済倫理』、『古代ユダヤ教』、『職業としての学問』、『職業としての政治』などを発表し、ミュンヘン大学教授に復帰してまもなく亡くなる1920年(56歳)までを第3期として、思想の展開と深まりを丁寧に追跡している。
 人間の歴史をつき動かしてきた力として、マルクスが説いた「生産力」に加えて、ヴェーバーは「宗教的救済に向かう観念の力」、さらに「身体に源をもつディオニュソス的な力」の3つを説いている。
 社会、とくに経済活動は、単純な生存維持・確保、金銭欲・奢侈への欲望などで理解しきれない要素があることは、私も感覚的に理解するが、ヴェーバーは宗教・倫理・道徳を持ち出して、さらに単純な合理化のイメージでは理解できないディオニュソス的なエネルギーを主張していることが、ヴェーバーの生涯の歩みを背景に解説されている。簡単な内容ではないが、記述は丁寧で良書であると思う。

 

ウェーバーは従来、宗教改革を介した近代合理主義的人間類型の形成による、「資本主義の精神」の確立の賛美者と解釈されがちであった。これに対し本書の著者山之内氏は、ウェーバー解釈に、彼の人生の病理的変遷とニーチェ思想の影響という、二つの補助線を引くことにより、これまでとは異なる、ポスト近代的人間の運命の予見者としてのウェーバーという、全く革新的なウェーバー像を提出している。確かに素直に読めば、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾は、ニーチェの『ファラトゥストラ』から引用された、合理主義が産み出した〈末人〉という畸形的人間に対する呪詛がそのまま引用され、そこにむしろウェーバが抱いた近代という時代に対する畏怖や懸念を窺うことが出来る。

 本書第二章は第一章に示された、こうした著者の基本的視角を踏まえ、『倫理』において、古プロテスタンティズムそのものが「意図せざる結果」として、近代官僚制の「鉄の檻」を用意してしまうという、近代史の「ドンデン返し」が産み出される経緯が明らかにされることを解説する。そこにあるのは近代精神の賛美ではなく、近代精神への懐疑なのだと著者は再度強調する。第三章ではこうしたニーチェへの漸次の接近が、ウェーバーの知的活動の中期と平行する、神経症との闘病とそこからの快癒と相関していることが語られる。まさにこの中期において『倫理』が執筆され、その末尾に浮上した如きニーチェの影の自覚化が、彼自身をがんじがらめに拘束し神経症を誘発した、近代プロテスタント的自我の相対化=克服へと連なっていった。そしてニーチェの影響の下浮上したのが、古代ギリシア的人間類型=戦士への着目に他ならない。この戦士的人間類型は、それと祭司的人間類型との葛藤という図式を通じて、古代地中海世界の歴史過程を構造化する鍵概念となる。このような戦士/祭司の葛藤関係を核とする、ウェーバー独自の古代地中海世界の歴史過程の構造化は、晩年の『古代農業事情』の改訂をめぐる、本書第四章の分析により、見事に描き出されている。

 そしてこうした古代の歴史過程の帰結に登場するのが、巨大な祭司=官僚体制により管理される、ライトゥルギー(対国家奉仕義務)国家としての後期ローマ帝国の姿であった。ここに至り古代ポリス戦士の自由闊達な心性は抹殺され、祭司=官僚の合理主義的管理の下、多数の隷属民化した政治的に無関心な大衆がそれに屈従する社会状況が浮上する。ここで興味深いのは、ウェーバーがこうした事態を単に過去の歴史的現象として理解するに止まらず、非政治化された大衆の官僚制による統制を支柱とする、近代資本主義国家の行末と重ね合わせて理解している点だ。ここに至ってウェーバーの研究は単なる歴史学ではなく、時間を超えた社会の類型学としての社会学へと変貌する。現代大衆社会分析のためウェーバーが提出した、カエサル主義という概念自体が、こうした古代史と現代史の社会類型学的対比を踏まえたものに他ならない。かくしてウェーバーは現代資本主義社会が、官僚制の発展とカエサル主義の跋扈により近代資本主義社会が、末期古代史同様ある種の袋小路にはまり込んでいく危険性を指摘する。事前の計算や推測、計画の本質的無効性を身に引き受け、自身の実存を世界の偶然へと投企する、ニーチェ的な古代戦士への着目が、まさにかかる時代の袋小路に対する抵抗の拠点としてウェーバーに重視されたのも、専らこのようなウェーバーの現代社会認識が背景にある。

  但し確かにウェーバーが生きた時代は、国民国家がその権力を最大化した時代であった。だが21世紀の今日、来るべき時代のライトゥルギー国家の形成者が国民国家ではなく、多国籍企業体であることが明白になりつつあるようにも感じられる。民主的選出過程を経ないカリスマ的創業経営者によるトップ・ダウン経営の賛美、新古典主義経済学という神学の司祭としての経済学者、MBA等の取得によりこうした企業経営・管理に参画する高級社員、こうした多国籍企業による国家のその下請け機関化の結果、統治に関与する権利を喪失し、ますます非政治化=隷属民化していく一般大衆。古代を原型とするライトゥルギー国家論が、現実を余りに鋭く照射していることに戦慄を禁じざるを得ない。ともあれ本書は「ウェーバーとニーチェ」という著者独特の斬新な切り口から、しかもなおウェーバーの思想全体を展望することに成功した、極めて独創性の高い「入門書」である。ウェーバーのみならず、広く社会思想に関心のある初学者に是非とも一読を勧めたい。

 

 

ヴェーバーの思想について、彼の活動時期を三期(神経症に苦しんだ時期とその前後)に区切って解説された本です。著者は神経症の時期こそがヴェーバーの思想形成に重要だと考えており、その時期の解説に多くを費やしています。

ヴェーバーがニーチェから受けた影響や、『古代農業事情』第二版から第三版への思想転回などは読んでいて面白かったのですが、社会学文献ではなく歴史学文献を考察しているように、いわばオーソドックスではない観点からの解説となるので、「入門」と銘打つには少し疑問を感じました。

 

むかーし読んだ本再読。当時は「難しくてわかんないや」だったが、今読み直すと当然だ。これは入門書として典型的悪書。何の前提もなくコントロバーシーから議論して初学者がついてこれるわけがない。昔はこうやって読者を突き放して放置する悪い入門書が多かったし、今でも岩波はその傾向がある。そして、今ならそれは「書き手が悪い」と断言できる。ヴェーバーの本を読破しないと読めない本なんて入門書じゃない。それはそうとマルクスやニーチェ云々の議論はおもろかった。90年代は資本主義が永続すると信じられてたのか−。歴史は繰り返す

 

1997年刊行。著者はフェリス女学院大学教授、東京外国語大学名誉教授(歴史社会学・現代社会理論)。◆本書は、⑴ウェーバーの代表的著作を定点に、刊行時期毎の思索の変遷を解読し、著者自身のウェーバー解釈を解説する部分と、⑵ウェーバーの時期的変遷を齎したであろう、彼の来歴を解説する部分に区分可。◇ここで「プロ倫」読破後に感じたウェーバーの問題点。つまり近代資本主義の歴史的特異性を他地域(特に中国宋代)や、他の時代(特に古代や近世イタリア)と比較して解読できていない、あるいは不十分な点は本書でも変わりがない。

 

この点は、ウエーバーに依拠する以上止むを得ないだろうが…。◆とはいえ、ウェーバーの思索と、周辺の思想家(マルクスやニーチェほか)との関連性を解読する様や異同面を解き明かす様はなるほど感が強く、その語り口とも相俟って、著者の大学講義を聴講中といった趣きでもある。◆本書で重要なのは、➀「プロ倫」刊行時期、1900~1910年頃まで、ウェーバーが精神的な病(鬱症状?)に懊悩したこと、②➀が快癒に向かったのは、独北部に比して明るい南欧の気候の影響が大な点。➂マルクスは元より、ニーチェとの関連性にも目を向けるべき。

 

残念ながら知識不足のため全部は理解できていない。最も重要なことは、ヴェーバーの持つアンビヴァレンス、両義性。それぞれの人間の価値観や立場によって、社会の姿は見え方も変わる。この認識の違いを論として組み込んだために、読む側の価値観で意図とは正反対の意味に誤読されていった。

 

決して『プロ倫』と略さないところにMWへの敬意を感じた。冒頭から他の研究者を斬りまくるが、これぞMW的客観主義か。著者の「熱さ」が伝わる好著。一気読み。プロ倫だけでなく、著者の作品も読みたい。客観的存在の客観的実態解明は呪われた運命に流される、とは量子論の解釈問題を予見した?

 

本を読んでいて、自分は何故これを読もうとおもったのか、あまり思い出せない場合が多々あるが、手に取った本を読み進めていく中で自分が欲しいと思う考えが眠っており、自分は無意識的にその答えを探しているためなのかと思った。この著者の作品は多くの学問領域や世界に跨がり研究しているため、そこから出る示唆はとても深く興味深い。この著作を読んで、マックス・ヴェーバーは古典社会科学の到達点の1つを築き、また、自分の中での社会の見方の基盤になるだろうと確信した。彼の著作の翻訳されたものも読んでみたいと思った。

 

4年ぶりの再読。 筆者の解釈に関しては,僕がヴェーバーの作品を読んだわけではないのでなんとも言えないが,近代的合理化に対する批判には共感した。ヴェーバーの凄いところはそういった主張を広大な歴史的事実から抽出し深く鋭くえぐるように説明するところにあるのではないか。"プロテスタントの倫理と資本主義の精神"だけでも痺れるが,そこから社会の官僚化とそれによる社会の普遍化が孕む自己破壊への道筋を主張する筆者の意見に, ヴェーバーの幅の広さを感じた。もっと彼を知りたくなっ1冊。

 

「主観的に魂の救済を求めて、宗教的な救済へと向かっていく激しい情熱が、意図せざる形で客観的に、社会的・経済的・政治的な秩序の形成に向かっていく。」「ヴェーバーの歴史哲学…人間による歴史の営みには、本源的に避けることのできない不確実性が伴っているということなのであり、その意味で、運命性を中心においた歴史観の表明に他ならない」(79) 「この不確実の世界を避けようとするのではなく、それがもつ恐るべき結末と暗闇にあえて挑戦する。そこにこそ人間の生の尊厳が宿されている」(135) 「鉄の檻」で我々はどう生きるか。

 

1997年刊。良書だが難しい。二年前に中断したのを最初から一応読了。 ウェーバ入門書というより発刊当時の誤読への警告の研究書のようです。師である大塚久雄『社会学の方法』を読んだので少しは解りやすくなりましたが、名指しで氏に異を唱えている箇所が散見されます。『プロ倫』は大塚氏訳なので、要注意ですが、原著は読んでいないのでそれ以前のレベルです。入門書として後日の為に自分メモしておきます。⇒

 

⇔⑨近代知の限界内にあって、そこで安定していた従来の社会科学は、対象について真理と呼ぶに相応しい確定的な像が描かれるということについて、あまりにもナイーヴな期待を抱き続けてきた。ヴェーバーの社会科学は、そうしたナイーヴな期待を破壊してしまう恐るべきエネルギーを内包していた。従来のヴェーバー像は、この彼の中の恐るべきエネルギーを捉えそこなってきたのではないかと著者。 こうした方法上の不連続性、飛躍、あるいは、パラドックスということが、『プロ倫』を読む時の中心的なポイントになる。⇒

 

⇔以下が新鮮。今後の注意点。 宗教改革辺りを詳しく読みたい。 ★ニーチェへの親和性 ★ルターでなく、カルヴィニズムの教説とその非人間性 ★エジプト、イスラエル、ギリシャ ★古代史再発見 『古代農業史』第二版から第三版への変化に要注目 長い私的メモ、失礼しました。

 

プロ倫を読むにあたって副読本として購入。ウェーバーの思想史。ウェーバーひとりの人生(作品)に対しても人によってこんなに解釈が異なってしまうものなのか…。プロ倫を読み終わってからまた読み直そ

 

プロ倫の章はわかりやすくて面白かった。ただ筆者はヴェーバーとニーチェの親近性を強調するけど、終章を読むと初期マルクスの疎外論との親近性を意図しているように感じられてあまり話に乗れなかった。

 

ックス・ヴェーバーについては日本では本当によく読まれていると感じます。こんなに出版物が出ているのはドイツ以上ではないかと思われます。山之内先生は大塚久雄先生の弟子であると思われますが、かなり批判的な論をされています。が、この本は比較的そのような論争が少いほうでくヴェーバーの全体像をうまく描いていると感じます。私はやはり「職業としての学問」「職業としての政治」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が好きで好きなのでまた読み返したくなりました。

 

ヴェーバーといえば、眉間にしわ寄せて怖い顔した、冷徹で暴力的で非人間的な社会学者というイメージが強かったが、実はかなり繊細で深刻な苦悩を抱え、それゆえに西洋中心主義に反感を覚え、非常にニーチェ的なギリシャの気高い精神に自己を解放したという意外なヴェーバー像を見ることができた。ヴェーバーもニーチェも好きな人にはたまらない濃すぎる入門書であった。

 

ヴェーバーが合理主義の権化としてではなく、むしろニーチェに影響を受けた相対主義的な価値の闘争という世界観からその宗教社会学を構成しているという主張が斬新だ。それは、中年期に深刻な神経症に罹ったという個人史に大きく影響されているという主張も目新しい。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は相対主義と神経症というヴェーバーの運命の中から紡ぎだれてきた結晶だというのだ。近代における相対主義は、ハムレットやドン・キホーテの頃から現れており近代特有の神々の闘争を準備したのだ。

 

『プロ倫』を読む前の入門として。 ヴェーバーの主張は西欧の近代的合理主義の素晴らしさではなく、その成功の故に合理主義は限界を迎えるという点にあった。ヴェーバー研究者の多くがキリスト教を受容した者だったため、先有傾向によってヴェーバーが合理主義の成功に大きく貢献したプロテスタント的精神を賛美しているのだと思い込んだのが、長年の誤読の原因だった。

 

 

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を手っ取り早く概観したくて読んでみた。プロテスタントの教義が今わたしたちがあたりまえだと思っている資本主義的な価値観の源流になっているということが筆者のガイドによりストレートに理解できる。(とはいえ、原著の重層的な構造のせいか、読み直さなければアタマに入ってこないのだけれど) 昨今は国の舵取りすら資本主義化していて危機感を覚えるし、低成長時代をいかに生きるのかを考える上で、自分の中の資本主義的な価値観の起源に触れることで相対化できたのはよかった。

 

マックス・ウェーバーの著作を一切読まずに無謀にも読んでみました。通説では、ウェーバーは普遍的合理化をもたらした西洋の優位を宣揚した人物だとされているそうですが、本書はそれを誤解だと否定しています。むしろ文化や人間性を喪失させる可能性がある合理化に危機感を持ち、近代全体を懐疑していたようです。経済や科学を筆頭に世界の合理化は今後も益々進むでしょう。現代社会においてはそれは必要ですが、同時に「真の幸せとは何か?」と哲学する姿勢もまた必要であると感じます。

 

全く中身を知らない状態で、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の項を中心に読みました。宗教という非日常性と経済という日常性をどうつなげていったのか、という切り口が興味深かったです。「非日常性」と「日常性」の乖離やズレというのは現代にも繋がるテーマだと思います。資本主義が進み、物質的なものが表面的にガンガン出てきている時代において、非日常的な精神や思想は重要性を増してくる。ただその過程で、きっと新たなる問題が発生する。この点はウェーバーを通じて覚える価値があると思います。


ウェーバーと防疫対策

2020年06月10日 02時24分04秒 | 社会・文化・政治・経済

そこが聞きたい
ウェーバーと防疫対策=金沢大教授・仲正昌樹氏
毎日新聞2020年6月9日 東京朝刊

ドイツの社会学者、マックス・ウェーバー==(1864~1920年)が、スペイン風邪によるという肺炎で死去して、今月14日で100年だ。

ウェーバーの近代の合理性や官僚制と政治の議論は、この間の新型コロナウイルスを巡る問題にも示唆を与える。ウェーバーの入門書を書いている仲正昌樹金沢大教授(57)に聞いた。【聞き手・鈴木英生】

 彼が育った時代のドイツで、現在の医学や福祉国家の源流が生まれた点に注目したい。19世紀半ば以降、細菌学が進歩して、「国民の衛生状態が悪いと国力が低下する」という意識が芽生えた。宰相ビスマルクが社会保障制度を整えて、ある種の福祉国家化が始まる。

労働者を単に搾取して使い倒すのではなく、身体や健康を合理的に管理して働かせる方向へとかじを切った。福祉国家は、人々の合理性、つまり個々人が自らの生の目的や価値に照らして適切な行動を取ろうとする思考や行動を、さまざまな専門家らも含む広義の官僚に任せてゆく側面を持つ。

ウェーバーは、官僚制が強くなると政治家の役割は小さくなるとも分析した。

理想的なのは、批判的に官僚をコントロールできる政治家がいる民主的な政治だ。現実には、単に官僚的な姿勢に対抗する政治家の「決断」自体に価値があるとなりがちである。

――今は、「決められる政治」が中身を問わず受けますね。

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マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 - 1920年6月14日[1])は、ドイツの政治学者・社会学者・経済学者である。マックス・ウェーバーと表記されることもある(正式な名前はカール・エーミル・マクスィミーリアン・ヴェーバー (Karl Emil Maximilian Weber)。マックスはマクスィミーリアンの省略形である)。
同じく社会学者・経済学者のアルフレート・ヴェーバーの兄である。
社会学の黎明期のコントやスペンサーに続く、第二世代の社会学者としてエミール・デュルケーム、ゲオルグ・ジンメルなどと並び称される。
1920年 ミュンヘンでスペインかぜに因る肺炎のため死去。56歳。
主な業績
ヴェーバーは、西欧近代の文明を他の文明から区別する根本的な原理は「合理性」であるとし、その発展の系譜を「現世の呪術からの解放(die Entzauberung der Welt)」と捉え、それを比較宗教社会学の手法で明らかにしようとした。
そうした研究のスタートが記念碑的な論文である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年-1905年)である。この論文の中で、ヴェーバーは、西洋近代の資本主義を発展させた原動力は、主としてカルヴィニズムにおける宗教倫理から産み出された世俗内禁欲と生活合理化であるとした。
この論文は、大きな反響と論争を引き起こすことになったが、特に当時のマルクス主義における、「宗教は上部構造であって、下部構造である経済に規定される」という唯物論への反証としての意義があった。
その後、この比較宗教社会学は、「世界宗教の経済倫理」という形で研究課題として一般化され、儒教と道教、ヒンドゥー教と仏教、古代ユダヤ教、の研究へと進んだ。しかし、原始キリスト教、カトリック、イスラム教へと続き、プロテスタンティズムへ再度戻っていくという壮大な研究計画は、本人がスペイン風邪を原因とする肺炎で命を落としたことで未完に終わった。特に、イスラム教については、ほとんど手を付けることはなかった。

妻マリアンネと(1894年)
一連の宗教社会学の論文と並んで、ヴェーバーが行っていたもう一つの大きな研究の流れは、「経済と社会」という論文集としてまとめられている。
これは、ヴェーバーが編集主幹となり、後に「社会経済学綱要」と名付けられた社会学・経済学の包括的な教科書に対し、1910年から寄稿された論文集である。この論文集も、最終的にはヴェーバー自身の手によって完成することはなかった。
彼の没後、妻であったマリアンネ・ヴェーバーの手によって編纂・出版されたが、このマリアンネの編纂については、批判が多い。
その後、1956年と1976年にヨハネス・ヴィンケルマンによる再編纂版も出ているが、本来ヴェーバーが目指していたと思われる、あるべき全体構成については、今なお議論が続いている。
この「経済と社会」は、教科書的・体系的な社会学を構築しようとしたのと同時に、宗教社会学における「合理化」のテーマを、比較文明史・経済史における特殊・個別事例の巨大な集積に照らし合わせて検証していくケーススタディ(Kasuistik、決疑論)を行ったものとしても位置づけられよう。
また、「経済と社会」の中の「支配の諸類型」における、正当的支配の三つの純粋型、すなわち「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」は社会学や政治学の分野で広く受け入れられることとなった。
また、ヴェーバーは、社会学という学問の黎明期にあって、さまざまな方法論の整備にも大きな業績を残した。
特に、人間の内面から人間の社会的行為を理解しようとする「理解社会学」の提唱が挙げられる。
さらには、純理論的にある類型的なモデルを設定し、現実のものとそれとの差異を比較するという「理念型(Idealtypus)」も挙げられる。
また、政治的価値判断を含む、あらゆる価値判断を学問的研究から分離しようとする「価値自由(Wertfreiheit)」の提唱も、大きな論争を引き起こした。
ヴェーバーは、ハイデルベルクでの知的サークルを通じて、年長の法学者ゲオルグ・イェリネック、哲学者ヴィルヘルム・ヴィンデルバント、同世代の神学者エルンスト・トレルチや哲学者ハインリヒ・リッケルト、さらには若年の哲学者カール・ヤスパースや哲学者ルカーチ・ジェルジ(ゲオルク・ルカーチ)らと交わり、彼らに強い影響を与えた。
また社会学者タルコット・パーソンズもヴェーバーの著作を通じて強い影響を受けている。タルコット・パーソンズがハイデルベルク留学中に師事した社会学者・経済学者のアルフレート・ヴェーバーは実弟である。
日本においては、丸山眞男や大塚久雄や川島武宜をはじめとして、多くの社会科学系の学者に強い影響を与えた。
ヴェーバーの日本における受容は、日本が太平洋戦争で敗北したのは「合理主義」が欠けていたためであるという問題意識と、社会科学におけるマルクス主義との対置という文脈、という2つの理由が大きかった。
著書


ソフトバンクグループで抗体検査 0・43%で陽性反応

2020年06月10日 02時21分08秒 | 事件・事故

配信

インターネットの対談でソフトバンクグループが行った抗体検査の結果について説明する同社の孫正義会長兼社長

 ソフトバンクグループ(SBG)の孫正義会長兼社長は9日、同社のグループ社員や医療関係者など約4万4000人に実施した新型コロナウイルスの抗体検査の結果、約0・43%で陽性反応があったことを明らかにした。孫氏は「専門家の意見を参考にしながら、第2波に備えた対策を考えたい」と語った。

【グラフ】感染者急増が明らかになる前に感染拡大の指標はピークに  同日、インターネットで実施した、国立国際医療研究センターの専門家との対談の中で公表した。  

孫氏は5月2日、自身のツイッターで、同社グループの全社員と家族に新型コロナの抗体検査を実施する方針を発表。その後、医療従事者にも無償で検査キットを提供してきた。  

5月12日から6月8日まで、同社が実施した検査の結果を取りまとめたもので、検査した4万4066人のうち191人で陽性反応が出た。患者と接触するリスクの高い医療従事者の陽性率は1・79%で、同社グループの社員などは0・23%だった。  

抗体はウイルスに感染した際、ウイルスを排除するために体の免疫システムが作り出すタンパク質。症状が回復しても一定期間、血中に残るため、過去の感染歴が分かる。一度、抗体ができれば、同じ感染症にかかりにくくなることが多いが、新型コロナに当てはまるかどうかはまだ不明。  

社会全体の免疫の獲得状況を確認し、今後の感染拡大防止策の検討に活用するため、厚生労働省も今月から約1万人を対象に抗体の有無を調べる調査を始めている。

 

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日英が貿易協定交渉を開始、年内妥結を目指す 英はTPP加盟にも関心

2020年06月10日 02時13分00秒 | 社会・文化・政治・経済

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トラス英国際貿易相とのテレビ会談に臨む茂木敏充外相=9日午後、東京都千代田区(萩原悠久人撮影)

 日英両政府は9日、茂木敏充外相とトラス国際貿易相がテレビ会談を行い、新たな貿易協定の締結に向けた交渉を始めた。英国は1月末に欧州連合(EU)を離脱したが、激変緩和のための移行期間は12月末までとなっており、年内の交渉妥結を目指す。

英国は、日本など11カ国で発効した環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への加盟にも関心を示しており、日本との貿易協定をテコにTPP加盟も視野に入れる。  

冒頭、茂木氏は「新たな経済パートナーシップの構築は日英関係をさらに強固にするものと確信している」と強調。トラス氏は「英国がTPPに加盟すれば、TPPが世界の国内総生産(GDP)に占める割合は(従来の)13%から、16%以上に拡大する。(日本との貿易協定は)英国のTPP加盟に向けた重要な節目となる」と述べた。茂木氏は英国のTPPへの関心を歓迎し、「日本として必要な支援を継続したい」とした。  

英国のEU離脱に伴う移行期間は12月末まで。それが終わると、昨年2月に発効した日本とEUの経済連携協定(EPA)に基づく低関税の優遇措置は適用されなくなる。日英は日欧EPAの内容を基礎に交渉を進める。その上で、日本は自動車、英国は金融サービスといった自国が強みを持つ分野でさらに有利な条件を引き出したい考えだ。

 梶山弘志経済産業相は9日の記者会見で、自動車や自動車部品を中心に「できる限りの関税撤廃期間の前倒しを目指したい」と語った。電子的手段を使った取引などのデジタル貿易についても「ハイレベルな規定の導入を目指す」とした。  

また、農産品分野について江藤拓農林水産相は同日の会見で「過去の経済連携協定を超えるものではないということが大前提」と指摘した。

 

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内戦下のイエメン、4歳女児のレイプ殺人で男を公開処刑

2020年06月10日 02時06分46秒 | 事件・事故

8月14日 AFP】内戦下にあるイエメンの首都サヌア(Sanaa)で14日、4歳の女児を性的暴行の末に殺害した罪で死刑判決を受けた男(22)の公開処刑が行われた。

イスラム教シーア派(Shiite)系反政府武装勢力「フーシ派(Huthi)」が支配するサヌアでは、先月末にも女児を性的暴行の末に殺害した男が公開処刑されている。
イエメンの首都サヌアの広場で、死刑執行の準備をする治安部隊の隊員ら(2017年8月14日)
 処刑に立ち会った判事によると、男は犯行後に女児の遺体を埋めていたといい、女児を拉致、レイプおよび殺害した罪で有罪となった。

 一方、女児のおじによれば、男は「犯罪が露見する前に、女児の捜索に参加していた」という。また公開での処刑について、「犯罪者に対する抑止」になると語った。


イラン、スパイの死刑執行へ 米国による司令官殺害をほう助

2020年06月10日 02時00分16秒 | 事件・事故

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イラクの首都バグダッドの国際空港の道路で、ガセム・ソレイマニ司令官が殺害された米空爆により炎上する車。イラク軍の公式フェイスブックページより(2020年1月3日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】イランは9日、同国の司令官を米国とイスラエルが攻撃の目標とするのをほう助したスパイ行為で有罪と認められ、最高裁もその判決を支持した死刑囚に、刑を執行すると発表した。

【写真】内戦下のイエメン、4歳女児のレイプ殺人で男を公開処刑  

司法府報道官がテレビ放送された記者会見で明らかにしたところによると、刑が執行されるのはマハムード・ムサビ・マイド(Mahmoud Mousavi Majd)死刑囚。  マイド死刑囚は、イスラエルの対外情報機関モサド(Mossad)と米中央情報局(CIA)双方からの巨額の金銭のため、イランの部隊、「特に精鋭部隊のコッズ部隊(Quds Force)、および同部隊の殉教者ガセム・ソレイマニ(Qasem Soleimani)司令官の所在や移動」に関するスパイ行為を働いたとして有罪判決を受けていたという。

 最高裁も支持しており、「近く執行される」としている。  

イラン革命防衛隊(IRGC)の対外工作を担うコッズ部隊を率いていたソレイマニ司令官は今年1月、イラクの首都バグダッドで米国が実施した無人機攻撃で死亡していた。  

イラン政府は昨年12月、急に実施されたガソリン価格引き上げをめぐって11月に全土で発生した街頭デモに関与したとして、「CIAとのつながり」がある容疑者8人を逮捕したと発表。  

さらに昨年7月にも、CIAのスパイネットワークを解体して、2018年3月から昨年3月にかけて容疑者17人を逮捕し、そのうちの一部に死刑を言い渡したと明かしていた。【翻訳編集】 AFPBB News

 

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習近平の大誤算…いよいよ香港から「人」も「カネ」も大脱出が始まった!

2020年06月10日 02時00分16秒 | 社会・文化・政治・経済

6/9(火) 7:31配信
現代ビジネス
香港からの「大撤退」が始まった!


中国によってフリーポートで国際金融都市の香港は落日を迎えるだろう。中国が全人代(全国人民代表大会)で香港の立法会も民意も無視し、香港基本法に背いて、国家安全保障法制(国安法)の香港導入を決めたからだ。

【写真】中国人観光客が、日本の電車・バスに「感動している」意外なワケ

 米国はこれに対して一国二制度が破壊されたとして、香港政策法で規定されていた香港の関税や査証に関する優遇措置の撤廃を発表している。すでに昨年一年の香港デモの影響で香港の資金引き上げ、資産脱出が始まっていたが、この流れを加速させ、決定づけることになった。

 一般に資金の避難先はシンガポールだといわれている。シンガポール金融管理当局は4月の段階で、非居住民の預金が前年同期比44%増であることをメディアに公表したが、これら資金は香港から来たものだとみられている。また、香港の国際貿易融資銀行関係者がロイターに、取引先の米国の大手小売りチェーンと相談の上、資金管理業務を香港からシンガポールに移したい、と答えている。

 香港米国商会が6月1、2日に会員企業180社にアンケートを行ったところ、29%の企業が法案が公布されたら香港を撤退するつもりだといい、香港居住米国人個人としては38%が香港を撤退すると答えた。

 6~7割が香港を撤退しない、という回答だから、残留派が多い、という報道もあるようだが、法案の中身もわかっていないうちから撤退を計画している企業が3割もあることの方が注目すべき点だろう。

沈みかけた船

金融機関の動向も注目される photo/gettyimages

 米企業はおよそ1300社、香港在住米国人8.5万人でほとんどが重要な金融機関か金融関連業務に従事している。金融センターとしての香港がほとんど絶望的であるとして、今後、この割合は増えていくだろう。香港の陳茂波財政長官は米国の制裁など恐れるにたらず、香港には中国がついている、香港ドルと米ドルのペッグ制は揺らがない、と自信を見せるが、庶民たちは手持ちの香港ドルの米ドル換金を急いでいる。香港の換金ショップで米ドルが枯渇する現象も起きている。

 香港では今後、住民によるデモが過激化する可能性もあり、それに対する武力鎮圧の恐れもでてきた。政治難民が大量に出るだろうし、また運動に参加する学生たちが鎮圧対象だから頭脳も流出する。中国が方針を変えない限り、人と金が、沈みかけた船から鼠が逃げ出すように流出するだろう。

 米中対立を西側社会の自由主義価値観と中華式全体主義価値観の対立と私はざっくりとらえているが、その衝突によって香港は瓦解していくのだ。

 国際金融センターの香港の代わりとして筆頭に挙げられているのがシンガポールで間違いないとは思われるが、ではフリーポートの役割はどこが引き継ぐのだろう。同じ自由港都市のシンガポールも有力だが、距離がこれだけ離れていて代替が可能なのか。香港の貿易取り引きの54%が中国相手。香港は中国にとってのフリーポートなのだから、中国と地政的に距離があるシンガポールは不便だろう。

 そこで中国が6月1日に発表した海南自由貿易港建設計画がにわかに注目されているのだ。中国としては、海南島に香港に代わる戦略的地位を与えようとしているのではないか、という見方が浮上している。


豪で「中国人への多くの差別」 中国政府が渡航中止勧告、対立深まる

2020年06月10日 01時56分35秒 | 社会・文化・政治・経済

配信

中国国旗。北京にて(2020年5月18日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】中国外務省の華春瑩(Hua Chunying)報道官は8日、「オーストラリアで最近、中国人やアジア人に対する多くの差別がある」と述べ、多数の在豪中国人が侮辱や危害を受けていると指摘した。また中国の文化観光省は先週5日、新型コロナウイルスに関連した差別が増加しているとしてオーストラリアに旅行しないよう勧告しており、両国の対立が深まっている。

【写真】新型コロナの流出源? 武漢研究所  華報道官は8日の定例会見で、「シドニーやメルボルン、ブリスベン(Brisbane)やオーストラリアのその他の都市で、中国人に対する差別的な意味合いを含んだ落書きが確認されている」と指摘。  

新型コロナウイルスの影響でオーストラリアは必要性の低い国際便の運航をすべて停止しており、再開のめども立っていないことから、中国政府の渡航中止勧告は象徴的な意味合いが大きい。  

オーストラリアのサイモン・バーミンガム(Simon Birmingham)貿易・観光・投資相は8日、公共ラジオABCに対して人種差別的な事案があったと認めた一方、「オーストラリアが旅行者にとって安全ではない渡航先であるとの考えは、精査に耐えられるものではないと思う」と述べた。  

豪最多の人口を抱えるニューサウスウェールズ(New South Wales)州の反差別委員会は先週、アジアをバックグラウンドに持つ人々への差別に関する問い合わせが増加していると報告した。  

委員会によると、通勤中や運動中、スーパーマーケットでの買い物中にマスクを着用していていじめられたり、つばを吐かれたり、嫌がらせを受けたりするなどの被害が報告されており、また車の窓を割られたり、車や私有地の建物に人種差別的な言葉が落書きされたりするなどの行為を受けたとの報告もあったという。  

豪政府は新型コロナウイルスの起源と感染拡大について独自調査を求めているが、中国政府は強く反発しており、両国間の対立深刻化は多方面に影響が広がっている。【翻訳編集】 AFPBB News

 

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"お小遣い程度"「現金支払いました」車内で初めて出会った女子高校生といかがわしい行為…36歳男を逮捕 事件・事故社会2020年6月8日18:15

2020年06月10日 01時48分54秒 | 事件・事故

SNSで知り合った当時15歳の女子高校生と車内でいかがわしい行為をしたとして、36歳の会社員の男が逮捕されました。

 児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕されたのは、北海道清里町に住む36歳の会社員の男です。

 男は2019年10月12日、網走市内に駐車した車の中で、SNSで知り合った当時15歳の女子高校生に現金を支払う約束をして、いかがわしい行為をした疑いがもたれています。

 警察が女子高校生を別件で補導し、話を聞く中で男の容疑が浮上しました。

 男と女子高校生が会ったのはこの日が初めてだったということです。

 警察は金額を明らかにしていませんが、「お小遣い程度」の約束をしていたとみられます。

 男は調べに「間違いありません。現金も支払いました」と容疑を認めています。

 

 


「スナックで働いた方がいいんじゃないか」提案"断った"交際女性にキレたか…路上で腹蹴った34歳男逮捕

2020年06月10日 01時42分10秒 | 事件・事故

配信

交際相手の腹を蹴る暴行を加えたとして34歳の男が逮捕されました。  
暴行の現行犯で逮捕されたのは、北海道札幌市手稲区の34歳の派遣社員の男です。  
男は6月9日午前4時15分ごろ、札幌市清田区の路上で交際相手の33歳の女性の腹を1回蹴る暴行を加え、その後「口論になった」と自ら110番通報して事件が発覚。  
駆けつけた警察官が現行犯逮捕しました。  
警察によりますと、2人は事件前に札幌市清田区の飲食店を訪れていて、飲食中に男が「スナックで働いた方がいいんじゃないか」などと女性に提案。
 交際相手の女性は現在は無職で、飲食店を出た後に女性が提案を断る発言をしたため、男が腹を立て暴行を加えたとみられています。  
男は調べに「足蹴りしたことは間違いない」と容疑を認めていて、警察が当時の状況を詳しく調べています。

UHB 北海道文化放送

 

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「年齢知っていた」当時15歳女子高生の自宅でいかがわしい行為…親に相談し発覚 SNS使い20歳男逮捕

2020年06月10日 01時42分10秒 | 事件・事故

配信

女子高校生にいかがわしい行為をしたとして20歳の男を逮捕した北海道警興部署

 当時15歳の女子高校生といかがわしい行為をしたとして、20歳の男が逮捕されました。  

北海道青少年健全育成条例違反の疑いで逮捕されたのは、北海道旭川市に住む20歳の会社員の男です。

 男は2月26日、SNSで出会ったオホーツク地方に住む当時15歳の女子高校生の自宅で、いかがわしい行為をした疑いがもたれています。  

事件後、女子高校生から相談を受けた親が警察に被害届をだし事件が発覚しました。  警察の調べに男は「年齢はわかっていた」と容疑を認めています。  警察は余罪も含め捜査しています。

UHB 北海道文化放送

 

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