映画 キングダム 見えざる敵

2023年02月16日 07時38分43秒 | 社会・文化・政治・経済

2月16日午前4時からCSテレビのザ・シネマで観た。

キングダム/見えざる敵』( 原題: The Kingdom)は、2007年公開のサスペンス映画

サウジアラビアの外国人居住区爆破事件をきっかけにしたFBI捜査官の戦いを描く。

劇中の事件は架空のものだが、1996年6月26日に起きたホバル・タワー爆破事件英語版、及び2003年5月12日のリヤド居住区爆破事件英語版を基に製作された。

FBI精鋭チームが中東の危険地帯に潜入!対テロ闘争の実態をリアルに描く社会派アクション

キングダム見えざる敵

1996年にサウジアラビアで起きた爆弾テロ事件をヒントに、男臭いアクション映画の第一人者である名匠マイケル・マンのプロデュースで描く。FBI精鋭チームとテロ組織との間で繰り広げる銃撃戦が迫力満点。

ストーリー

サウジアラビアの石油会社の外国人居住区で自爆テロ事件が発生。100人以上が命を失い、犠牲者の中にはFBI捜査官たちも含まれていた。

同僚の死を悲しむFBI捜査官フルーリーは、現地のアルカイダ系テロ組織のメンバーによる犯行と推察。そこで彼は駐米サウジ大使と交渉し、捜査期間5日間、サウジ警察が同行するという条件で、法医学調査官メイズ・爆発物専門家サイクス・情報分析官レビットと共に現地へ向かう。

登場人物
ロナルド・フルーリー
演 - ジェイミー・フォックス
捜査官。息子がいる。仲間思いの人物。射撃の腕前も優れている。
ジャネット・メイズ
演 - ジェニファー・ガーナー
法医学調査官。
グラント・サイクス
演 - クリス・クーパー
爆発物専門家。
アダム・レビット
演 - ジェイソン・ベイトマン
情報分析官。
ファーリス・アル・ガージー
演 - アシュラフ・バルフム
警察大佐。42歳。娘2人と息子1人がいる。部下思いの優しい性格。
ハイサム
演 - アリ・スリマン
警察軍曹。
デーモン・シュミット
演 - ジェレミー・ピヴェン
アメリカ大使館首席公使。ロナルド達の世話役となる。
エレイン・フラワー
演 - フランシス・フィッシャー
記者。
ギデオン・ヤング
演 - ダニー・ヒューストン
司法長官。
アブドゥルマーリク
演 - マフムード・サイード
准将。
アフマド・ビン・ハーリド
演 - オマル・ベルドゥーニ
王子。
アブ・ハムザ
演 - ヘズィ・シッディーク
テロリストのリーダー。
ケビン・フルーリー
演 - TJ・バーネット
ロナルドの息子。
1996年に、米国人も犠牲になったサウジアラビアでのホバル・タワー爆破事件をヒントに、サウジで起きた自爆テロによって仲間を失ったFBIの精鋭たちが現地に乗り込み、サウジの捜査当局との摩擦を乗り越えテロ首謀者を追い詰めていく壮絶な闘いをスリリングに描く。 
あの世界同時多発テロ以降、映画の世界でも対テロ組織って構図が出来上がってますね。正直この映画を観て思ったけど自爆テロって防ぎようがないですよ。
どれだけ警戒してても救急車に爆弾を積んで突っ込んできたり、道端でいきなり爆破したりと無差別すぎてどうやって防ぐのか分からないです。
この映画の冒頭のテロシーンはリアルで恐怖感が伝わってきましたよ。
外国人居住区に住んでる人達は守られてるから安全っていう意識を吹っ飛ばすような出来事やったけど、この映画のやり方なら外国人居住区でテロを起こす事も可能やと思いました。
サウジとアメリカの微妙な関係もこの映画をリアルにしてましたよ。
サウジ王室とアメリカの関係をよく思わない過激派って実在してるから、こういう事件が起こっても不思議ではないです。
主人公達はFBI捜査官なんですが、やたらと戦闘能力が高いです。
法医学調査官などもガンガン銃をぶっ放して敵を倒していくのは痛快ですが、ちょっと疑問に思いましたよ。
たぶん実戦経験もないはずやのに、いきなりの戦場でこの戦闘能力は凄すぎます。まぁ~この戦闘能力がないと映画は成立しないんですけどね。
復讐は連鎖していき、いつになったら終わりがくるのか考えさせられた映画でした。

キングダム 見えざる敵

制作

撮影が始まる前に、監督のピーター・バーグはサウジアラビアで2週間のロケーション・ハンティングを行った

撮影は2006年7月10日にアリゾナ州フェニックス西部の砂漠で始まる。メサにあるアリゾナ州立大学ポリテクニックキャンパスでは、街のセットを組んで冒頭の爆破シーンの撮影を行った。8月12日にスタッフが交通事故で死亡している

9月に2週間かけてアラブ首長国連邦アブダビで撮影が行われた[3]ユニバーサル・ピクチャーズは中東に事務所がなかったため、ドバイのプロダクションに撮影地を斡旋してもらっている。撮影は高級ホテル、エミレーツ・パレス (en:Emirates Palace) でもおこなわれ、総製作費は7000万ドルに上った

     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

 

 


映画 世界

2023年02月15日 16時14分44秒 | 社会・文化・政治・経済

2月15日午前6時からCSテレビのザ・シネマ観た。

世界』(原題:世界、英語題:The World)は、賈樟柯監督・脚本による2004年の日本・中国・フランス合作の映画。第61回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品された

あらすじ

北京世界公園でダンサーとして働くタオ(趙濤)には、守衛主任のタイシェン(成泰燊)という恋人がいる。タオの元恋人がモンゴルへ旅立つというので、2人は彼を見送りに行く。

その帰りに立ち寄った汚い安ホテルで、タイシェンはタオに迫るが、タオは拒む。タオはホテルを出て一人で世界公園に戻るが、その後、写真館でDVDを撮ってもらっているうち、いつもの親密さが2人に戻ってくる。

タイシェンは、先輩から紹介されたチュンと共に、チュンの弟(=借金を抱えている)に会いに、太原へ出発する。ブランド品模造アトリエを経営するチュンは既婚者だが、夫は10年前パリ(ベルヴィル)に行ったきり連絡がない。言葉を交わすうちに、タイシェンとチュンは惹かれ合ってゆく。一方、タオは、ロシアから来たダンサーのアンナとのあいだに友情を築くが、カラオケ・バーでアンナが娼婦として働いていることを知り、涙を流す。

タイシェンの幼馴染のサンライ(王宏偉)が、まだ若いアークーニャンとともに、北京の建設現場に出稼ぎに来る。が、過労と事故が重なり、アークーニャンは病院に担ぎ込まれる。病院のベッドに横たわった彼が記すメモには、今まで自分に金を貸してくれた人の名前と金額が書いてあった。それを読み、サンライは慟哭する。アークーニャンの死後、その両親と兄が北京に上京してきて、補償金を受け取る。

ダンサーのウェイは、嫉妬深い恋人のニュウと結婚することを決意する。2人の結婚式の日、タイシェンの携帯電話には、フランスに旅立つチュンから1通のメールが届く。「あなたに会えてよかった」。それを読んだタオは、タイシェンの裏切りを知ってしまう。タオは、タイシェンを避け、新婚旅行に出ているウェイのアパートメントで寝泊まりする。そこへタイシェンが現れるが……。

深夜の三河鎮で、一酸化炭素中毒で1組の男女が倒れるという騒ぎが起きる。近隣住民が2人を外に運び出す。暗闇の中、タオとタイシェンの声が響く。「俺たち、死んだのか。」「いいえ、これは新しい始まりよ。」

世界
 

趙濤

成泰燊

王宏偉

 

伸び行く国家とどん詰る市民

舞台となるテーマパークのキャッチコピーは「北京にいながら世界を回ろう」。

そこで働くダンサーや従業員たちの「世界のどこへも行けない」閉塞感たっぷりの日常を描いた人間ドラマ。

主人公タオを演じるのは監督のミューズでもあるチャオ・タオ。

まるで世界公園に縮小された10分の1の世界だけが彼女たちの生きる世界のすべてであり、目覚ましく発展する中国にあっても一般市民レベルでは生活は行き詰まるだけでしかないというシニカルな視線は実に鋭い。 最大の難点がこの長さだ。

いくら何でもこの話に135分は長すぎる。

この監督の持ち味であるワンカット長廻しは必然的に尺が長くなる傾向はあるにしても、もともとドラマチックなストーリーがあるわけでもなく、無駄に長いとしか感じない。

もっとコンパクトに100分程度に編集したら、自分の評価は★ひとつは確実に上がった。 またまたジャ・ジャンクー作を観たものの、またまた起こした消化不良・・・この人の作品は観終わった後、毎度同じ感想になることはわかっているのに、作品全体に漂う濃厚な「名作感」に惹かれてつい観てしまうから困ったものだ。

また新作が出たら観てしまうんだろうなあ(笑)

 

ただセンスの良さが群を抜いている

ジャ・ジャンクー作品を観ては思うこと、それはセンスの良さだ。

映画的センスがずば抜けている。

1/10スケールの世界、世界公園を舞台にしている時点でもう惹きつけられる。 北京へと夢と希望を持ってやってきた若者たちの現実が描かれている、淡々と。 まったりとした雰囲気の映画だ。

若者たちの挫折も描かれているのだけど、大仰には表現しない。

だけどワンカットワンカットが美しい。 「えっ?この雰囲気の映画でアニメーションを挿入!?」と驚きはしたけれど、アニメーションを入れ込んでいたり、やることのひとつひとつが僕を「おっ!」と思わせる。

そして、僕にとってのジャ・ジャンクー作品の最大のポイントが、物語の引き際だ。

ラストシーンが良い。 この『世界』でもあのラストシーンだけを観ただけでも、この映画はすごいと思わせることができるだろう。

そのくらい余韻を残すラストだ。 しかし、タイトルを『世界』にするって、タイトルからもジャ・ジャンクーの自信が現れている。 今の映画界でもっとも注目されている人物と言っても過言ではないので、その自信は当り前か。

 

狭い世間、狭い世界。しかし、そうした世界公園も広大な中国の中にあっ

 
 基本はタオとタイシェンの恋愛関係を軸に回りの人たちの喜怒哀楽が絡んでくる物語。数年後に控えた2008年の北京オリンピックに向けて、巨大なテーマパークの宣伝を兼ねているようにも思えるし、現代中国の心理をも象徴しているともとれる。しかし、人間関係はドキュメンタリータッチで捉えながらも定点カメラのロングショットも多いし、編集による切り返しやモンタージュなどはほとんどなく、誰が喋ってるのかもわからないほどの後向きの構図のおかげでわかりにくかった。こうした背景映像を重視した作風はテオ・アンゲロブロスのイメージにも似ていますが、決定的に違うのは細かいカット割りが多いことだ。


 「これがアートなんだよ」などと言われると返す言葉も見つからなくなるが、もっと内面を抉る描写がほしいところ。自分の服に火をつけたシーンは凄かったが、結局どうなったのかわからずじまい。ラストの二人はどうとでも解釈でき

 


「私の旅」パレスチナの歴史―女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝

2023年02月15日 12時07分13秒 | 社会・文化・政治・経済
 

ファドワ トゥカーン  パレスチナ・ナブル出身の女性詩人。

イスラエルの占領に詩で抵抗し続けた。

 
 
内容(「MARC」データベースより)
現代パレスチナを代表する詩人、ファドワ・トゥカーンの初の自伝。「一つの詩で10人の戦士を生んだ」とまでいわれるその内面の軌跡を率直に綴る。
 
出版社内容情報

【女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝】1917~67年までの闘争,戦争,占領,抵抗の時代を自らの半生に重ね,その内面世界を驚くほどの率直さで描いた,生きたパレスチナ史。

目次

第1章 少女時代、家族、ナブルス 一九一七
第2章 学校、ジャスミンの花 一九二四
第3章 兄イブラヒームと詩の旅 一九二九
第4章 パレスチナ革命 一九三五
第5章 エルサレム、イブラヒームの死 一九三九
第6章 ナショナリズム、新しい人生へ 一九四八
第7章 イギリスへ 一九六一
第8章 友人A、弟ニムルの死 一九六二
第9章 日記のページから 一九六六―一九六七

 

私の好きな詩人 第134回 -ファドワ・トゥカーン- 齋藤芳生 

2014-10-29 10:21:34 | 詩客

タンムーズともうひとつのこと

地球のからだの上を 彼のみどりの指が走っていく
生命の儀式を行い、地面の起伏をみつめ、雨ごいの祈りをあげる
石の動脈から水をやり青々とした作物を育てる
すべての規則をつくりなおし、
季節のめぐりを止め、
地球の軌道をかえる
 (なんと重たい私の心、ああ……
 影が私に忍び寄り、夢の顔を黒く塗る
 なんと重たい私の心……この苦しみはどこから来るのか、この痛みはどの穴から来るのか)

 

地球のからだの上を 彼の柔らかい薄絹の指が通っていく
鳥のように ここにも、あそこにもとまる
見渡す限りは 彼の国々
彼の薄絹の指がお守りを投げれば
氷山が溶け、水平線の向こうから夕暮れの太陽が再び昇って
新しい朝が来る
地球のからだに再び血がめぐり、祭りがよみがえる
 (なんと重たい私の心…悪夢の風が吹き荒れる……
 私は 幻想と現実の狭間に落ち込む
 影が私に忍び寄る、ああ……
 いくつもの問いが私の心を傷つけ、行く手をふさぐ)

 

彼の両手のたなごころの溝は 小さな川となり
地球のからだに溶けこむ
果樹園に芳香をかぐわせ
しげみの土に水を注ぐ
彼の両手のたなごころの溝は
季節と バビロンの神話の輝きとなる
私たちはタンムーズを愛した
丘の灰を揺り落とし 私たちの夜に彼の黄金の太陽をもたらした
タンムーズを 私たちは愛した
 (なんと重たい私の心
 私の夢の岸辺に 悲しみの木が育ち
 影が私に忍び寄る、ああ……なぜ
 なぜ タンムーズの背に傷口が開き
 短剣が光っているのか)

詩集『タンムーズともうひとつのこと』

 

 ファドワ・トゥカーン。パレスチナを代表する、そしてこの国の今日に至るまでの悲劇を象徴するこの女性詩人について知ろうとする時、私が手がかりとすることができるのは1996年に新評論から邦訳が出版された『「私の旅」パレスチナの歴史-女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝-』(武田朝子訳)という一冊の本だけだ。
 1917年、パレスチナのナブルスというヨルダン川西岸地区の小さな都市で生まれ育ったファドワは、非常に保守的なアラブ社会に閉じ込められた女性たちの暮らしを 「入口が細い香水びん(クムクム)のような女の世界での生活(括弧内はルビ)」 と表現する。当然彼女もその「クムクム」の中にあって、小学校課程の途中までしか教育を受けることができなかった。

思春期に入ったファドワに想いを寄せた16歳になる少年が、学校の行き帰りに彼女の後を少し離れて歩くようになった、それを-言葉を交わすことさえなかった。

ただ一度、ジャスミンの花を手渡されたことはあった―家族に見咎められたことによって、家を出ること自体を禁じられてしまったのだ。
 その後、成長と共にいよいよ激しく燃え上がるばかりだった彼女の向学心を理解し、豊かな才能を見出した兄の手ほどきによって詩を学び始め、やがてパレスチナという悲しい祖国を、そしてアラブ世界を代表する女性詩人となっていく。
 彼女の激しくも美しい生き様と、パレスチナという国の歴史については是非実際に本書を繙いていただくとして、私がすっかり魅せられてしまったのは、日本語訳を通してさえ溢れるように迫ってくる、言葉への、文学への、狂おしいまでの愛である。

「自伝」ですら、そして「日記」ですら、彼女が書き綴る言葉の一句一句が、美しい詩そのものだ。
 自伝は、1967年、第三次中東戦争でナブルスがイスラエル軍によって占拠されたところまでを綴った日記で終っている。

長い沈黙が破れた。私は五つの詩を書き、やっと少し息をついた……。
 私は書く。私は大いに書くだろう。時の一刻一刻を、演劇を観ながら生きているように感じる。その一幕ごとが私を揺さぶる。私自身もまた絶望し、希望に満ち、地平の向こうにあるものを見つめる、燃え上がる一編の詩にすぎない。 

 
 

1917年にパレスチナ/ナブルスの有力者の家に生まれた著者の1967年までの自伝。
原著は1978年に出版されました。彼女の詩を各章の最初に混ぜながら、繊細で透明なタッチで綴られていきます。

 アラブ伝統で、親戚大勢が同居する大きな家の中に押し込められ、小学校も途中でやめさせられ、大変な痛みを抱えることになった彼女。1940年代まで、女性を家という香水瓶("クムクム")に閉じ込める生活は、アラブの富裕層では続いたようです。

 お兄様の一人が詩を教えてくれ、沢山の本を読む中で、最初は伝統詩、その後、より自由な形式で、自分らしい詩を書き続けました。お兄様が連れてきてくれたエルサレム、そしてオックスフォード大に留学中の従兄弟の一人が手配してくれた英国留学で、著者は大きく知己を拡げ、羽ばたいていきます。でも、その両者共に亡くなってしまった痛みの大きさ。そして何より1967年にイスラエルに軍事占領されてしまった巨大な痛み。

 訳者の曾祖母様も女性が閉じ込められるような環境だったとか。この本の翻訳当時は身辺上の激動があったそうですが、その中で、この本を原著の雰囲気をクリアに伝えながら和訳し、日本に紹介して下さったことに感謝します。
 
 
 
 
 

 
 
 
 

 

 

 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

 


聞くう技術、聞いてもらう技術

2023年02月15日 12時07分13秒 | その気になる言葉
 
東畑 開人  (著)
 

第19回大佛次郎論壇賞、紀伊國屋じんぶん大賞2020 W受賞
『居るのはつらいよ』の東畑開人、待望の新書第一作!
分断の時代の新たな処方箋、誕生。


聞かれることで、ひとは変わる――。
カウンセラーが教える、コミュニケーションの基本にして奥義。
小手先の技術から本質まで、読んだそばからコミュニケーションが変わる、革新的な一冊。

「「聞いてもらう技術」? ふしぎな言葉に聞こえるかもしれません。その感覚をぜひ覚えておいてください。このふしぎさこそが、「聞く」のふしぎさであり、そして「聞く」に宿る深い力であって、この本でこれから解き明かしていく謎であるからです。」
――本文より


【目次】
まえがき
この本の問い/対話が難しい時代に/「聞く」を回復する/聞いてもらう技術?/いざ、「聞く」の世界へ

聞く技術 小手先編
1 時間と場所を決めてもらおう/2 眉毛にしゃべらせよう/3 正直でいよう/4 沈黙に強くなろう/5 返事は遅く/6 7色の相槌/7 奥義オウム返し/8 気持ちと事実をセットに/9 「わからない」を使う/10 傷つけない言葉を考えよう/11 なにも思い浮かばないときは質問しよう/12 また会おう/小手先の向こうへ

第1章 なぜ聞けなくなるのか
届かなかった言葉/社会に欠けているもの/聞くは神秘ではない/「対象としての母親」と「環境としての母親」/ほどよい母親/「対象としての聞く」と「環境としての聞く」/失敗とは何か/痛みを聞く/聞くのが難しい/首相に友達を/聞くはグルグル回る

第2章 孤立から孤独へ
連鎖する孤独/孤独と孤立のちがい/孤立とはどういう状態か/手厚い守り/個室のちから/メンタルヘルスの本質/他者の声が心に満ちる/安心とはなにか/孤立したひとの矛盾/一瞬で解決しない/心は複数ある/第三者は有利/個人と個室の関係/象牙とビニール/「聞いてもらう技術」へ

聞いてもらう技術 小手先編
日常編/1 隣の席に座ろう/2 トイレは一緒に/3 一緒に帰ろう/4 ZOOMで最後まで残ろう/5 たき火を囲もう/6 単純作業を一緒にしよう/7 悪口を言ってみよう/体にしゃべらせる ― 日常編まとめ/緊急事態編/8 早めにまわりに言っておこう/9 ワケありげな顔をしよう/10 トイレに頻繁に行こう/11 薬を飲み、健康診断の話をしよう/12 黒いマスクをしてみよう/13 遅刻して、締切を破ろう/未完のテクニック――緊急事態編まとめ

第3章 聞くことのちから、心配のちから
心に毛を生やそう/素人と専門家のちがい/初めてのカウンセリング/2種類の「わかる」/年をとってわかること/それ、つらいよね/世間知の没落/シェアのつながり/世間のちから/世間知と専門知の関係/心配できるようになること/カウンセラーの仕事は通訳/診断名のちから/バカになる/世間知の正体/理解がエイリアンを人間に変える/時間のちから

第4章 誰が聞くのか
対話を担う第三者/食卓を分断する話題/「話せばわかる」が通用しないとき/幽霊の話/聞いてもらおう/第三者には3種類ある/聞かれることで、人は変わる/当事者であり、第三者でもある/聞く技術と聞いてもらう技術

あとがき――聞く技術 聞いてもらう技術 本質編


これは『聞く力』の進化版!
悔しいけど、たしかに進化して、そして私たちは昔の心を取り戻す。
――阿川佐和子さん

 

相手の話を「聞く」ことは、心の「荷物」を預かることだ。

私たちは「対話できない時代」に生きていると感じている。

社会にはさまざまが対立が生まれた。

しかも、それは単に政治の世界の対立ではなく、友人や家族の間で、もめることさえある。

このような状態で「対話しなさい」と言って、けんんかして、傷つけ合うだけだ。

対話を不能としている、もっと根本的な問題を解決しなければならない。

ここで言っているのは、「聴く」ではなく「聞く」ことの大切さだ。

「聴く」は、語られることの裏にある気持ちに触れること。

一方で「聞く」は、語られることを言葉通りに受け止めること。

実を言えば「聴く」よりも、「聞く」の方が、ずっと難しのだ。

求められているのは「聴く」でなく「聞く」。

心の奥にある気持ちを知ってほしいより、言葉にしているのだから、そのまま受け取ってほしいと、相手は思っているわけだ。

相手の言葉を「そのまま聞く」ことは、本当に難しい。

「聞く」ことができなくなっている理由は、二つあると考えている。

一つは、物質的に貧しくなっていること。

給料が上がらなかったり、物価が高騰したり、将来に対する不安が高まると、人は周りの話を聞けなくなる。

二つ目は、価値観があまりに多様化し、相対化していること。

<正しさは人それぞれ>という相対主義が広がり、自分と異なる考えを持つ人と付き合うことに、根源的な難しさがある。

自分が思う<正しさ>に固執すると、他者に対する寛容さを失い、関係が悪化していく。

その結果、「聞く」ことができなくるのだと思う。

不安が増大して、互いに疑心暗鬼の状態が続くと、その先に広がるのは「周囲が敵だらけに見えてくる」社会だ。

皆、なんとかして自分を守ることだけに必死になっていく。

社会というものが助け合う場所であるならば、そうした状態はもはや「社会」と呼びにくいかもしれない。

「聞く」ことができないのは、自分の中の「空きスペース」の問題だと捉えられる。

不安があふれて、聞けない状態は、自分の中に荷物がいっぱい詰まっていて、人の話が入り込む「空きスペース」がない状態。

そう考えると「聞く」を再起動させるには、自分の中の荷物を、誰かに「預かってもらう」ことが必要だ。

それが「聞いてもらう」ということだ。

聞いてこらうことで、荷物が詰まっていた自分の中に<余白>が生まれる。

すると、今度は自分が、人の話を聞けるようになるのだと思う。

聞いてもらうことは、「荷物を預かってもらう」こと。

言葉を交すだけで、自分の中の重たいものが取れる。

聞いてもらうことには、「分かってもらえた」「事情を理解してくれた」という実感があり、それが人に安心を与える。

不安でいっぱいの人の横にいて、なかなか人に伝わらない複雑な経緯や事情を、その複雑な話のまま聞いていく。

「聞く」ことは、現実をすぐに変える力はなくとも、孤独や痛みを癒す力があると思う。

 

東畑 開人

1983年東京生まれ。専門は、臨床心理学・精神分析・医療人類学。

京都大学教育学部卒、京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。

精神科クリニックでの勤務と、十文字学園女子大学准教授を経て

「白金高輪カウンセリングルーム」主宰。

博士(教育学)・臨床心理士。

著書に『野の医者は笑う―心の治療とは何か』(誠信書房2015)『日本のありふれた心理療法―ローカルな日常臨床のための心理学と医療人類学』(誠信書房2017)『居るのはつらいよ―ケアとセラピーについての覚書』(医学書院 2019)、『心はどこへ消えた?』(文藝春秋 2021)、『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(新潮社 2022)、『聞く聞く技術 聞いてもらう技術』(筑摩書房 2022)など。訳書にDavies『心理療法家の人類学―心の専門家はいかにして作られるのか』(誠信書房 2018) Robertson『認知行動療法の哲学』(金剛出版 2022)。

2019年、『居るのはつらいよ』で第19回大佛次郎論壇賞受賞、紀伊国屋じんぶん大賞2020受賞。

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聞く、聞いてもらう その循環を生むこと
それが本質なんだろうな

敵だらけと思っていたが、聞いてもらったら光明が見えてくる
ってのは確かに経験ある

毎回思うのだけど 東畑先生の言葉の操り方は、上手だなぁ、、。
 
 
 
目の前で著者の講義というか、お話を聴いているような心地で読むことができる本。

人間関係って本当に複雑で、日々どうしたらよいのかと考え込んでしまうが、著者が言うようなところから変えていけるものなんでしょうね。

読後感は良く、一読の価値有り。
 
 
 
著者の本を、全て、読んできました。これまでに、筆者の考えは、展開し尽くして、後は、そのバリエーションか、といった本書の受け止め方になりました。
 
 
 
話を聴いてあげましょう。
いやいや先ずは聞こう、聞きましょう、聞いてますか。

私はちゃんと耳を澄まして
聞いているはずだった。

聴くことにがんじがらめになって
こんがらがってるなら読んでみて
聞いてみてほしい。
職場の本棚にそっと置いてみた。

みんな読んでみて、聞いてみて。
 
 
 
自分が精神的に苦しい時、人に話を聞いてもらうと心が軽くなるのは誰にでも経験があることだ。しかしながら、相手の話を「聞く」行為が、昨今機能不全になってきていると著者は危惧する。そこで本書では、「聞く」ができないのなら、まずは自分の話を「聞いてもらう」ことから始めてはと提唱する。相手の話を「聞く技術」に加え、話をする方の側から見た「聞いてもらう技術」を解説した点が、本書の特徴だ。
 「聞いてもらう技術」とは「心配される技術」であり、まわりに「聞かなくちゃ」と思わせることだと言う。本書では、隣の席に座る、一緒に帰る、ワケありげな顔をするなどの「小手先のテクニック」が披露されるが、こういう行動をあえて取ることは案外大事なのかもしれない。
 「聞く技術」の本質は、「聞いてもらう技術」を使って「何かあった?」などと声をかけるところにあると、著者は説く。聞いてもらった人は少し回復し、これを別の人に繰り返すことで「聞く」行為が循環していく。「聞く」と「聞いてもらう」をセットにすれば、人と人との間の会話が活性化するわけだ。当たり前と言えば当たり前なのだが、このような提案があえてなされるということは、コミュニケーション不足による心の病がいかに増えているかという証左なのだろう。
 
 
 
聞くこと」、「聞いてもらうこと」の重要性とその技術について、現役カウンセラーがわかりやすく解説しています。
すらすら、ふむふむと読んでいき引っかかることなくすんなり読了。
著者の主張は間違ってはいないだろう。しかしこの違和感は何だろう・・・。
おそらく、人間関係、社会関係の解決策としての「聞くこと」の過大評価が引っかかったような気がする。
実際には、誰とも話したくない時や、放っておいてほしいときもある。
社会関係なんかは「聞く聞いてもらう」関係で解決するほど甘っちょろいものの方が少ないような気がする。そんなところだろうか。
しかし、全体的には、世間知と専門知の考察など納得できる点も多く、一読の価値あり。
 
 
 
今月のちくま新書は歴史関連の重めの本が3冊も出る上に、鹿島先生のど厚いちくま文庫も予約してしまったので、この本は止めておこうと思ったのだが、発売前から、社会心理学部門のベストセラーに入っている上に、過去の本にはレビューがいっぱい載っている人気カウンセラーさんの本のようで、読みやすそうな本なので、ついつい注文してしまった。
それで、ちくま新書が4冊届いたが、読みやすい本から先に読むという悪い癖のために、この本から先に読んでしまった。
感想としては、字も大きく、読みやすい本で、面白かった。とくに小手先編が面白く、風呂で読んでいて、笑えてきて、本を落としそうになった。7色の相槌と、トイレに頻繁に行くというのがいいですね。
たぶん、この先たくさんレビューが書かれると思うので、私はこの辺で失礼する。
 

 

 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

 

 


マブチモーター社長宅殺人放火事件 なぜ死刑が執行されなかったのか?

2023年02月14日 22時48分03秒 | 事件・事故

概要 刑務所内で知り合った男2人組がマブチモーター社長(当時)・馬渕隆一宅に押し入って馬渕の妻・娘を絞殺し、馬渕宅に放火して逃走した。男2人組はこのほか歯科医師(東京都目黒区)と資産家の妻(千葉県我孫子市)をそれぞれ殺害して金品を奪った。
マブチモーター社長宅殺人放火事件(マブチモーターしゃちょうたく さつじんほうかじけん)は、2002年(平成14年)8月5日午後[3][5]、千葉県松戸市常盤平にあったマブチモーター社長(当時)・馬渕隆一(まぶち たかいち[10] / 同社創業者・馬渕健一の弟)宅で発生した強盗殺人・放火事件。加害者2人により馬渕の妻A(事件当時66歳)と長女B(事件当時40歳)が絞殺され、馬渕宅は放火された。

主犯格の小田島 鐵男(死亡時の姓:畠山)ら本事件の死刑囚の男2人は本事件以降も同年9月24日に東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件、さらに同年11月21日には千葉県我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件計2件の強盗殺
生誕 1943年4月17日

死没 2017年9月17日(74歳没)死因 食道がん
殺人
犠牲者数 4人
犯行期間 1956年–2005年1月20日
国 日本の旗 日本
逮捕日 2005年1月20日

 強盗殺人罪・強盗罪・殺人罪・詐欺罪・窃盗罪・逮捕・監禁罪・建造物侵入罪・住居侵入罪・放火罪
判決 死刑(千葉地方裁判所)

本事件を含め一連の連続強盗殺人事件の主犯格だった元死刑囚・小田島 鐵男(犯行当時59歳、逮捕当時61歳)は、1943年(昭和18年)4月17日に北海道北見市で生まれ、死刑確定後の2017年(平成29年)9月17日に収監先の東京拘置所で食道がんのため病死した(74歳没)。

生い立ち
小田島は出生前に父が死亡したため、祖父母の子として入籍され、実母・母方の祖父母の「畠山」姓で育った。北海道紋別郡滝上町で育ったが、当時4歳だった1947年(昭和22年)には、実母から無理心中を迫られた。

祖父母の家庭、母とその交際相手の家庭、親戚の家庭を転々としながら成育した小田島は、生活は貧しく、中学生時代には、買い物に行った店の引出しから現金を盗んで補導された。さらに中学校卒業後、店を経営する祖母の小切手を、その取引先に持ち込み、1万円を借りて遣ったこと[11]、空腹に耐えられず[15]、夜間に飲食店に忍び込んで飲食物を盗んだことで、1959年(昭和34年)10月、家庭裁判所から詐欺・窃盗の罪で、紋別市の中等少年院送致の処分を受けた。

その後、小田島は家族の下を離れ、住み込みで働くなどして生活していたが、やがて金銭に窮するようになった。1960年(昭和35年)12月[11]、当時17歳だった小田島は、夜間商店のショーウィンドーから、指輪を盗んだなどとして、窃盗・窃盗未遂・住居侵入未遂の罪で、懲役1年以上3年以下の不定期刑に処せられ[11]、函館少年刑務所に服役した。

函館少年刑務所を出所後、小田島はバーテンダー、ミシンのセールスなどの職を務めつつ、北海道内を転々としたが、寸借詐欺や自動車窃盗で逮捕され、札幌刑務所で3年間服役した。26歳だった1969年(昭和44年)には、帯広市で窃盗と傷害で逮捕され、釧路刑務所に服役した[15]。以後、甲府、府中、鹿児島の各刑務所で、それぞれ獄中生活を経験した。

結局、小田島は1989年(平成元年)3月までの間に、窃盗・詐欺などの罪で、合計6回にわたり懲役刑に処せられるなど、多数の前科があった。

練馬三億円事件
1990年(平成2年)6月2日深夜、小田島は刑務所で知り合った男とともに、東京都練馬区内にある建設会社「内野工務店」(同区本社所在)の社長宅に押し入り、翌6月4日正午頃までの約38時間にわたって社長ら家族7人を脅迫・監禁し、3億円を強奪した練馬三億円事件を起こした。

警視庁練馬警察署捜査本部・警視庁捜査一課は同事件を多額強盗事件とみて、強盗・逮捕・監禁容疑で逃走した2人組の行方を追った。

1990年9月20日、小田島は新東京国際空港(現・成田国際空港)から香港に出国して行方をくらましていたが、1990年9月22日午後8時過ぎの便で帰国したところ、成田空港に張り込んでいた練馬署捜査員に任意同行を求められた。警視庁練馬署捜査本部が取り調べたところ、小田島は3億円強奪を認めたため、1990年9月23日夜に強盗・逮捕監禁・建造物侵入の容疑で逮捕された。

なお、同事件の主犯格とされた男は1990年11月29日、潜伏先の茨城県つくば市内で逮捕された。その後、主犯格と認定された共犯の男Xとともに、強盗、逮捕・監禁などの罪で、東京地方検察庁から、東京地方裁判所に起訴された。

東京地方裁判所(高橋省吾裁判長)は1991年(平成3年)11月28日の判決公判で、主犯の被告人に懲役13年、小田島被告人に懲役12年の判決をそれぞれ言い渡した。

詳細は「練馬三億円事件」を参照
宮城刑務所服役中
練馬三億円事件で懲役13年の有罪判決が確定した小田島は、1992年(平成4年)2月18日以降、宮城刑務所に服役した[5]。

小田島は服役直後の1992年3月12日、所内の印刷工場に配属された際、同じ工場の同じ班に配属された後述の男Mと知り合った[11][22]。小田島は1995年(平成7年)12月14日、Mと同房になった。

これを機に2人は親しくなり、周りの同房者に対し「前は会社の社長宅に押し入り、銀行から金を持って来させて、3億円を強奪した。海外で豪遊して帰って来た」と、練馬三億円事件について繰り返し自慢するような発言をするようになった[11]。また、出所後について「資産家の家を狙って、10億円ぐらいの大金を手に入れる。今度は証拠隠滅のため、家の人間を皆殺しにし、火を点けて逃げる。その後は、偽名のパスポートで海外に高飛びする」などと、将来の犯行計画について話したりしていた。

そして小田島は、犯行のターゲットとして「会社として利益が出ていて、ワンマン経営で、大金をある程度自由に動かせるオーナー社長を狙おう」と考えた[11]。小田島は獄中で雑誌などを読んで会社の内容などを調査し、多数の会社の持ち株率・借金状態・住所・電話番号など、各種のデータをノートに書き込み、情報を収集した。小田島はその結果、多数の候補の中でも会社の経営状態が良く、社長の持ち株率も高いマブチモーターを一番の有力候補と考えた。

前述の受刑者Mとともに犯行計画を話し合ったり、計画を記したノートを見せ合うなどするうちに、小田島はMに「入手した金を折半しよう」などと持ち掛け、犯行計画に誘うようになった[11]。最初は軽く受け流していたMも、小田島から何度も誘われるにつれて本気になり、1996年(平成8年)年末頃までに小田島に対し、小田島と犯行計画を実行する意思を伝えた[11]。

その後も小田島はMと、上記犯行計画について何度も話し合った上で、Mに「先に出所したら、犯行の謀議に使用するアパート・犯行に使用する自動車・資金などを準備しておいてくれ」と依頼した。

死刑囚M
共犯者M・Kは1950年(昭和25年)10月17日に鹿児島県伊佐郡で生まれた。2019年10月1日時点で死刑囚M(現在72歳)は東京拘置所に収監されている。死刑囚は2013年5月、斎藤と面会した際に死刑囚Mが再審請求中であることに言及しており[27]、2015年12月時点では最高裁に係属されていた。

生い立ち
Mは幼少期に両親が離婚し、その後は父の家庭で成育した。Mは中学卒業後、父が教員として勤務する、鹿児島県内の私立高校に進学したが中途退学し、その後は大阪府大阪市内の会社に勤務しつつ、定時制の高校に通い卒業した。

1976年(昭和51年)、Mは勤務先で知り合った女性と結婚し、息子1人をもうけた。しかしMはその後、競馬などのギャンブルにのめり込み借金を重ねるようになったため、1979年(昭和54年)頃に退職した。Mはその後妻とも離婚し、転職・転居を繰り返すようになった[22]。

Mは1983年(昭和58年)3月25日、自動車を無免許で運転したなどとして、有印私文書偽造・同行使、道路交通法違反の罪により、懲役10か月・執行猶予3年の刑に処された。

その後、同居していた女性の金品を盗むなどして、1986年(昭和61年)12月1日、窃盗罪により懲役1年4月に処せられ、医療刑務所に服役した[。

殺人前科
Mは前述の刑期を終え、医療刑務所から出所後、東京都調布市内に在住していた。

1988年(昭和63年)9月[29]、Mの交際相手だったタイ人女性は、タイの売春シンジケートで同居していた、使用者のタイ人女性(事件当時21歳、東京都新宿区上落合在住)に、「使用権」を保有され、歌舞伎町のバーで男性客との売春に応じていた。

交際相手女性は、バーの常連客だったMに対し「120万円払えば自由にしてやる、と使用者から言われた」と相談した。

これを受け[29]、Mは交際相手の女性を束縛から解放するため、1989年(平成元年)1月9日夜、使用者女性のマンションを訪れ[29]、「(交際相手女性を)60万円で自由にしてくれ」と相談した。

しかし交渉は難航し、Mはその使用者の女性と口論となった。激情に駆られたMは、使用者女性の首を、室内にあった電話コードで絞めて殺害し、女性の部屋にあった現金7万円・ネックレスなどを盗んで逃走した。

被疑者Mはこの殺人事件で、警視庁戸塚警察署捜査本部により、1989年4月12日夜、殺人・窃盗容疑で逮捕された。1989年10月11日、被告人Mは殺人・窃盗の罪により、懲役12年に処せられた前科があった。

宮城刑務所服役中
前述の懲役刑により、1989年10月26日から[22]、受刑者Mは宮城刑務所に服役することになった。

Mは当初、刑務所内の印刷工場に配属されたが、1992年2月18日、前述のように小田島が同刑務所に収監されてきた。

1992年3月12日、Mと同じ印刷工場の同じ班に小田島が配属された。その後の1995年12月14日、Mは小田島と同房になり、自然に親しくなっていった。

小田島は、他の同房者たちに対し、「以前、資産家の家に押し入って人質を取り、3億円を奪い、海外で豪遊して帰ってきた」などと繰り返し自慢したり、出所後について「金持ちの社長の家を襲い、億単位の金を奪う。証拠を残さないよう、家人を皆殺しにし、家に火を点ける」「成功したら他人名義の偽造パスポートを作って海外に行き遊んで暮らす」などと、将来の犯行計画について話したりしていた。多くの者は、小田島の話を非現実的な話と考え、軽く聞き流しており、Mも当初は半信半疑だった。

しかし、Mは小田島の話に「すごいですね」など、適当に話を合わせているうちに、小田島から、マブチモーターをはじめ、多数の会社の名称・住所・取締役の名前・資本金・株価・借金状況・大株主の持株比率など、様々な情報を、雑誌などを読んで研究しつつ、それらを詳細にメモしたノートを見せられた。

これによりMは、小田島が「大金を動かすことができるワンマンの経営者を狙っていること」「会社の負債や持株比率などから、マブチモーターが有力候補であること」「同社からは10億円くらい取れそうであること」など、具体的な話をされるようになった[22]。そして研究熱心な小田島に感心したMは、小田島に 「一緒に(犯行を)やらないか。奪った金は折半しよう」などと持ち掛けられ、「やります」と答えたが、互いに出所は先の話だったため、この時点ではまだ本気で考えてはいなかった[22]。

しかし、Mはその後も、小田島から繰り返し、上記ノートを見せられたり、事件の計画について話をされ、何度も「一緒にやろう」と誘われたことから、「小田島が本気で自分と一緒に犯行を行おうと考えている」と思うようになった[22]。Mは当時、「自分のように殺人事件を起こし、10年以上も刑務所に服役する人間は、世間から冷たく見られる」と思い、出所後の生活に夢も希望も持てずにいたが、小田島から「億単位の大金を手に入れる事件をやろう」と誘われたことで、「小田島と事件を起こして大金を得れば、好きな旅行や女遊びに金を使うことができるようになる」と考えるようになり、この際、小田島を信頼して勝負に出るしかないと考えた。

Mはその結果、1996年末頃までには小田島とともに犯行計画を実行する意思を固め、小田島に対しその旨を伝えた。

その後もMは小田島と、印刷工場の暗室で作業している時や食事中などに、犯行をどのような方法で実行するかについて、「マブチモーター社長など、東京周辺の資産家を狙い、家に押し入って家人を脅し、銀行などから大金を用意させ強奪する。その後、証拠を隠滅するため、家人を皆殺しにして家に放火する」ことなどを、何度も話し合った[22]。

1997年(平成9年)12月頃、小田島と別の房に移ることが分かると、Mは小田島と出所後の連絡先を交換するとともに、小田島から「Mが先に出所したら、犯行に使用するためのアパート・自動車・資金100万円を用意しておいてくれ」と頼まれた[22]。Mは1997年12月12日、小田島とは別の房に移り、翌1998年(平成10年)3月23日以降、働く工場も別になったため、それ以降は出所まで、刑務所内で小田島と会うことはなくなった。

事件前の経緯
M・小田島が出所
2000年(平成12年)5月23日、仮釈放を許された受刑者Mは、宮城刑務所から出所した。

Mはその後、しばらくは更生保護施設に寄宿していたが、仮出所後も定職に就かず、知人らとともに浮浪者の名義を利用して携帯電話を購入し、外国人らに転売する仕事をしていた。

Mはその後、その仕事から手を引くことにしたが、その際に数名の浮浪者の個人情報・印鑑を入手し、その浮浪者の個人情報のうち1人の名義を利用し、国民健康保険証を取得してこれを身分証明書として用い、同人名義で借金をしたりして金を稼いだ。

そして、保護観察期間終了後の翌2001年(平成13年)9月頃、Mは施設を出てアパートの一室を借り、宮城刑務所で知り合った群馬県佐波郡に住む知人を頼り、知人宅に居候するなどして生活を送っていた。Mはその後もまじめに働く気はなく、知人らと浮浪者の名義を利用して携帯電話を購入し、外国人などに転売するなどして金を稼いでいた。

2001年9月28日、Mは入手した浮浪人のうち1人の名義を利用し、消費者金融から借入れをするため、群馬県佐波郡内の村役場で浮浪人の住民登録を不正に知人方に異動させ、住民基本台帳ファイルに虚偽の記録をさせ、公正証書の原本としての用に供した(Mの電磁的公正証書原本不実記録罪、同供用罪)。これにより、国民健康保険証などを入手したMは、これを身分証明書として用いて浮浪人名義で借金をし、借りた金でフィリピンに旅行に行ったり、パチンコに興じるなど、無為徒食の生活を送っていた。2001年12月から、Mは知人の紹介で、運転手の仕事を始めたものの、楽をして大金を得ることはできないかなどと考えていた。

Mは2002年5月、「そろそろ小田島が仮釈放され、刑務所を出所してくる頃だ」と考えた。Mは「小田島と宮城刑務所で話し合った犯行計画を、まだともに実行する気があるならば、一緒に実行したい」と考え、「刑務所内で話し合った計画がどうなったか聞こう」と思い、小田島から出所後の連絡先として教えられていた、小田島の義父の電話番号に電話をかけた。

その結果、約1か月後の2002年6月下旬頃、「小田島が仮出所する」と聞いたため、自分の携帯電話の電話番号を連絡先として教え、「小田島が出所したら、その番号に連絡してくれ」と伝言した。その上で2002年6月11日、Mは小田島の出所に備え、群馬県伊勢崎市内のアパートの一室を借り、そこに住むようになった。

偽造パスポートの用意
小田島は2002年6月25日付で仮釈放を許され、宮城刑務所を出所した。同日、保護観察所に出頭した小田島は東京都内の更生保護施設に入所するとともに、義父からMの携帯電話の電話番号を聞いた[。Mに電話をかけて連絡を取った小田島は[11][22]、翌6月26日、外泊許可を受けて[11]、Mに駅まで迎えに来てもらい、Mが用意したアパートに行った。

小田島はアパートに着くと、宮城刑務所の中で話した「マブチモーターを狙う計画」についてMと話し合った。 Mは「小田島に計画を実行する気持ちがまだ残っていれば、やるつもりだ」と考えていたため、小田島から「マブチモーターの社長宅を狙おう。Mさん、気持ちは変わってないか」などと切り出し、犯行計画を実行する気持ちに変化がないか確認された上で、改めて「10億円くらいは手に入る」などと切り出されると、Mは「大丈夫です。やりましょう」と答えた[11]。

そのため2人はその場で、刑務所内で話した計画の内容を再度確認し、億単位の金員を強取できるものと期待し、これを実行することを決めた[11]。小田島はその際、Mに対し「事件を起こした後、警察からのマークを避けたり、海外逃亡できるように、他人名義のパスポートを作りたい」と相談した。Mは「小田島が逮捕されれば、自分の身も危うくなる」と考えたことから、これに協力し、前記の方法で入手した浮浪人の個人情報・同人名義の国民健康保険証などを小田島に受け渡した。

小田島は、浮浪者名義のパスポートを入手するとともに、犯行後に他人に成り代わって生活するため、Mの共犯者が入手していた浮浪者の個人情報を利用した。2002年7月12日、小田島は同名義の一般旅券を入手しようと、この浮浪者が住民登録していた伊勢崎市役所に対し、浮浪者の住民登録を不正に異動させようとして、市民課戸籍係員に対し「浮浪人は伊勢崎市内の(Mが用意したアパートの)住所に転入した」とする虚偽の内容の住民異動届を提出するなど、虚偽の申し立てをして、住民基本台帳ファイルに嘘の記録をさせ、備え付けさせた(小田島の電磁的公正証書原本不実記録罪、同供用罪)。

小田島は2002年7月22日、更生保護施設から義父方を転居先とする転居許可を受け、2002年7月25日に施設を退所した。

小田島は2002年7月26日、同じく浮浪者名義で外務大臣・川口順子(当時)宛ての一般旅券発給申請書を作成し、その氏名欄に浮浪人の実名を、現住所欄に「群馬県伊勢崎市…」(当時の2人の住所)などと記入し、申請者署名欄にも浮浪人の実名を記載した上で、小田島自身の顔写真を貼り付け、一般旅券発給申請書1通を偽造した[11][22](小田島の有印私文書偽造罪)。

小田島は同日、この一般旅券発給申請書を前橋市内の群馬県パスポートセンターに、浮浪人の戸籍謄本などとともに本物と装って提出し、群馬県知事(当時:小寺弘之)を経由し、川口外務大臣に一般旅券の発給を申請した(小田島の有印私文書行使罪)。

2002年8月6日付、小田島は同センターで、浮浪人名義・小田島の顔写真入りの一般旅券(旅券番号:TG2422125)の交付を受けた[11][22](小田島の旅券法違反)。この不正行為で小田島が旅券の交付を受ける際、Mはあらかじめその情を知りながら、2002年6月27日頃、同県伊勢崎市内のM方(当時)で小田島に対し、浮浪人名義の国民健康保険被保険者証・住民票などを手渡し、前述の各犯行を遂げるために必要な浮浪人の氏名・生年月日・登録住居地など、各種個人情報を教示するなどし、小田島の各犯行を容易にさせ幇助した(Mの電磁的公正証書原本不実記録幇助罪、同供用幇助罪、有印私文書偽造幇助罪、同行使幇助罪、旅券法違反幇助)。

犯行前の準備
小田島は、当時マブチモーターの社長だった馬渕隆一宅付近を数回下見し、電話をかけて日中の在宅状況を調べるなどして情報を収集した。

2002年7月下旬頃までに2人は、小田島が収集した情報をもとに、「2002年8月5日に犯行を実行する。具体的な手順としては『宅配業者を装って馬渕邸に侵入し、在宅している女性を人質に取る。その後、馬渕社長が帰宅したら、刃物で脅すなどして制圧し、電話で銀行から現金を持参させて奪う。その後、一家を皆殺しにし、家に火を点けて逃亡する』」ことなどを取り決めた。小田島らは犯行当日までに、犯行に使用する段ボール・刃物・布粘着テープ・缶入り混合ガソリンなどを用意したり、犯行時に乗っていく自動車を駐車しておく場所を馬渕邸の最寄り駅である新京成電鉄新京成線常盤平駅から離れた[11][22]、別の駅(松戸駅)近くの駐車場に決めたりするなど、犯行のための準備を進めた。

小田島らは2002年8月5日、Mが運転する自動車で下見をしておいた[11][22]、松戸駅前の駐車場に向かい、同日午前11時30分頃にその駐車場に自動車を駐車した。2人はそこから電車(新京成線)・徒歩で馬渕邸に向かった。

事件発生
第1の事件(本事件)
2002年8月5日午後3時頃、小田島・M両名は、宅配業者を装って馬渕邸を訪問した[11]。その際、馬渕の長女B(当時40歳)が応対し[3][11]、1階の玄関ドアを開けた[11]。

小田島・Mはそのまま家の中に押し入ると(住居侵入罪)[11]、Bと、その母親である馬渕の妻・A(当時66歳)に対し[3][11]、持っていた刃物のようなものを突き付け、両名の両手首をネクタイのようなものでそれぞれ縛り上げた[11]。そして、2人の口・長女の眼に布粘着テープを貼り付けるなどの暴行を加え、2人を抵抗できないようにした上で、馬渕家の資産である現金数十万円や[11]、市価数十万円から数百万円の、外国製の腕時計5個、ダイヤモンドなどの指輪4個の[31]、貴金属計5点(時価合計約966万円相当)を奪った[11]。

小田島はそのまま、2階の馬渕夫妻の寝室で、Bの首にネクタイを巻き付けて絞めつけ、被害者Bを窒息死させて殺害した(強盗殺人罪)。そして、Mは1階の居間で、Aの首をネクタイのようなもので絞めつけ、被害者Aを窒息させて殺害した(強盗殺人罪)[11]。殺害される直前、Bは小田島らに対し、「なぜ、こんなことをするの」と、涙を浮かべて訴えていた[32]。

小田島らは2人を殺害後、同日午後3時30分頃にはBの遺体があった2階の寝室で、ベッド上に混合ガソリンを撒いた[11]。さらに、Aの遺体があった1階居間の床上にも同じく混合ガソリンを撒くと、その2か所にそれぞれライターで点火し、放火した(現住建造物等放火罪)[11]。

火は、1階居間の壁・天井などに燃え移り、馬渕邸(鉄筋コンクリート造亜鉛メッキ鋼板葺2階建て、床面積合計約214.81㎡)のうち、1階居間の壁・天井など、合計約83㎡が焼失した[11]。放火後2人は、勝手口から逃走し、松戸駅に戻り、車で逃走した。事件後、小田島・M両名は8月20日、フィリピンに出国した。

第2の事件(東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件)
当初の計画とは異なり、本事件では馬渕邸にある金品を強取しただけで、予想していたほどの大金を得られなかった。そのため、小田島は自動車学校の費用・生活費・パチンコ代などに、Mも旅行・フィリピン女性との交際・パチンコなどの遊興費などに[22]、それぞれ強奪した金品を浪費した。

これにより2人は金銭に窮したため、Mは事件から約1か月後の2002年9月頃、フィリピン旅行から帰国して以降、「再び本事件のような事件を起こし、大金を手に入れたい」と思うようになり、小田島に対し「また資産家を狙おう」と提案した[11][22]。

Mは、小田島から「すぐには計画を立てられない」と言われたことから[22]、その後しばらくは[11]、Mのアパートで同居しつつ[11][22]、2人でマンションなどへの空き巣狙いで[22]、窃盗を繰り返して生活していたが[11]、その後「どうせ捕まる危険を冒すのであれば、資産家の家に押し入り、家人を縛り上げて大金を奪う方がよい」と思い[22]、再び小田島に対し、資産家を狙おうと催促するようになった[11][22]。

小田島は、以前犯行標的の候補として検討していたゲームソフト会社の社長宅を狙おうと考えたが、Mとともに同社長宅を下見に行ったところ、防犯設備が整っていたことから、同宅を狙うことを断念した[11][22]。しかし、その帰宅中に小田島は「歯科医であれば金を持っているだろう」と考え、立ち寄ったコンビニエンスストアから取ってきた職業別電話帳を調べたところ、東京都品川区内(東急目黒線・武蔵小山駅付近)の、歯科医院の広告が掲載されていた[11]。これに目を付けた小田島は、Mに対し[11]、同医院を経営する目黒区目黒本町在住の歯科医男性C(当時71歳)宅を標的とし、狙うことを提案すると、Mはこれを承諾した。

2002年9月19日、2人は歯科医院・C宅周辺を下見した結果、C宅には入りやすいと判断し、同所で強盗殺人を行うことを決めた[11]。小田島が具体的な計画として、夕方に歯科医院の前でCが帰宅するために出てくるのを待ち、家までCの後をつけ、Cが家に入ったところ、ナイフで脅して家に押し込み監禁して金を出させることとし、金を奪った後、マブチモーター事件と同様に家人を皆殺しにし、現場から逃走するという計画を立てた。

2人はその後、犯行に使用するナイフ・手袋を用意し、2002年9月23日には、翌24日に計画を実行することを決めた。

2人は事件当日の2002年9月24日、Mが運転する車で歯科医院に赴き、少し離れた場所に車を駐車した。その後、再度C宅を下見し、歯科医院の診療終了時刻が近づくと、帰宅するCが歯科医院から出てくるのを医院付近で待っていた。しかし夕方になっても、Cが一向に出てこなかったことから、Cが出てきたのを見逃したかもしれないと考えた2人は、小田島がC宅に向かった上でMが歯科医院前に残り、小田島からの電話連絡を待つことにした。現場となったC宅は、東急目黒線西小山駅から北約300mの住宅街の一角だった。

2002年9月24日午後6時30分頃、小田島は勝手口のドアからC宅に押し入り、Cの左側胸部を突き刺すなどして、被害者Cに肺損傷を伴う刺傷を負わせた。小田島はそのまま、C所有の現金約35万円・カレッジリング1個(時価3万円相当)を強奪すると、C宅から徒歩約10分の距離にある歯科医院前で待機していたMを電話で呼び出した。この時点でCは、既に両手をコードのようなもので縛られており、腹部から大量の血を流しながら居間の床の上に倒れ、身動きを取れず弱い呼吸をしていた。

その後、小田島から「(首を)絞めてくれ」とCの殺害を指示されたMは、殺意を持った上で、Cの首をタオルで首を力一杯絞めつけた。被害者Cは顎が少し上がった状態で「うっ」と苦しそうな声を出し、体が緊張した状態になったが、そのままMが首を絞め続けると首の力が抜け、やがて力が抜けてだらんとした状態のまま、身動きをしなくなった。Cはこの結果、左側胸部を刺されたことにより左肺を損傷しており、これに起因した胸腔内出血と、首を絞められたことによる窒息により死亡し、殺害された(強盗殺人罪)。

被害者Cの遺体を司法解剖しその死因などの鑑定をした医師が、小田島の公判で証人として出廷・証言し、刑事裁判で事実認定された内容は以下のようなものだった。

被害者Cの肺損傷による胸腔内出血・首を絞められたことによる窒息は、いずれも単独で、最終的に脳の循環障害を生じさせるものである。そのため、小田島被告人・被告人Mのどちらの原因がより直接的に効いたかは判断できないという意味で、死因が競合しているといわざるを得ない。
しかし両者がともにある場合、片方しかない場合に比べて死期が早まることは十分考えられ、最終的には両者が死因として関与したということができるということから、小田島被告人の刺突・被告人Mの絞首とも、被害者Cの死亡という結果と因果関係を有する[11][22]。
被害者Cは妻・内科医の長男との三人暮らしだったが、当時妻と長男は旅行中だった。Cはこの日、午後6時10分頃までは自分の経営する歯科医院で勤務しており、午後7時頃には近くの娘婿宅を訪れる約束をしていた[6]。

第3の事件(我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件)
2人は目黒区の事件後、奪った金品を約1か月で浪費したため、再び金銭に窮し、空き巣狙いによる窃盗を繰り返す生活をするようになった[11]。

Mは2002年10月上旬頃から、再び小田島に対し「金持ちのところを狙おう」などと誘うようになった。小田島も目黒区の事件で思っていたほど大金を得られなかったため、次の事件を考えるようになった。

小田島は以前、東京都千代田区神田の老舗金券ショップに来店した際、その活況ぶりが印象に残っていたことを思い出したため、同店を狙うことを思いつき、2002年11月15日頃、Mにそのことを提案すると、Mもこれに賛成した。

小田島・M両名は、2002年11月18日頃に金券ショップを下見したが、同店は防犯設備があり「そのまま押し入るのは困難だ」と判断した。そこで、同店を経営する経営者男性D(事件当時69歳)を拉致し、同店に連れて行き、鍵を開けさせて押し入ることを決めた。

Dを拉致する方法としては「帰宅途中を襲う方法を取ろう」「それが無理な場合、マブチモーター事件と同様、先に家に押し入り、家人を監禁して人質に取り、帰宅したDを捕まえよう」と検討した。そこで小田島らは同日、帰宅するDを尾行し、千葉県我孫子市柴崎台のJR東日本常磐線天王台駅付近にあるマンションに、Dが在住していることを突き止めた。

その上で2人は現場付近の状況を下見し、Dの下車駅からD宅までの間で、Dを襲撃・拉致することを決めた。また、小田島らは2002年11月19日、犯行に使用する手錠・催涙スプレーを購入し、D宅に侵入する場合は警察官を装うこと、翌日に計画を実行することなどを決めた。現場周辺は事件前から空き巣被害が頻発していたため、所轄の千葉県警我孫子警察署が重点的に警戒していた。

小田島らは2002年11月20日朝、警察官を装うためにスーツを着用し、包丁・催涙スプレーを封筒に入れて持った上で、Mの運転する自動車で現場に向かった。2人はD宅を再度確認した上、午後7時から8時頃にDの下車駅で、Dが出てくるのを待った。しかし同日は、午後11時を過ぎてもDが姿を見せなかったため、小田島らはこの日の計画の実行を断念し、警察官を装ってD宅に押し入る方法に計画を変更した上、翌日に実行を延期することとした。当時、Dは事件直前から残業で帰宅が遅くなることが多かった。同夜は、高速道路のサービスエリアに車を駐車し、車内で仮眠を取った。

 


法華経はなぜ優れているのか?

2023年02月14日 20時51分54秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

なぜ法華経?

法華経は日本において、 平安時代 (七九四一一一八五) より釈尊の最高の教えとして広く尊崇されてきた。

仏教 者は僧俗ともに仏果を目指すのみならず、 病気平癒や世間的繁栄、国家の安穏、死後の幸福、死者への追善供養 のために、盛んに法華経を読誦し、その書写に努めた

法華経

NHK ※2019年11月の放送は、2018年4月に放送したシリーズです。

古来、大乗仏典の中でも「諸経の王」と呼ばれ、広くアジア諸国で最も信奉されてきた経典の一つ「法華経」。

日本でも、聖徳太子、最澄、道元、日蓮、宮沢賢治ら多くの人々に巨大な影響を与えてきました。「今昔物語」「源氏物語」「枕草子」などの文学にも法華経にまつわるエピソードが記され、日本文化の底流には脈々とその精神が流れ続けています。

しかし、現代人には、意外にその内容は知られていません。

「100分de名著」では、この法華経のサンスクリット版の原典を「思想書」ととらえて解読し、一宗教書にはとどまらない普遍的なテーマや、私たちにも通じるメッセージを引き出していきます。

「法華経」は西暦紀元1世紀末から3世紀始めに成立したと推定されています。

当時のインドは、厳しい修行や哲学的な思索を出家者が中心になって行う「部派仏教」と呼ばれる教団が栄え、仏教が庶民の暮らしから遠い存在になっていました。

そこに、広く民衆を救済しようという新たな潮流、大乗仏教が登場し、部派仏教との間で激しい対立が生じていました。この対立を乗り越え、これまでのさまざまな仏教をより大きな視点から統合しようとしたのが法華経だといいます。

法華経の舞台は、霊鷲山というインドの山。

釈迦の説法を聞こうと八万人にも及ぶ聴衆が集まっていました。深い瞑想の中にいた釈迦はおもむろに目覚め、今までに誰も聞いたことがない奥深い教えを語り始めます。

全てのいのちの絶対的な平等性、これまで成仏できないとされてきた出家修行者や女人、悪人にいたるまでの成仏の可能性、それぞれの人間の中に秘められた尊厳性、それを尊重する行為のすばらしさなどが、卓抜な比喩などを駆使して語られます。

そして、クライマックスでは、これまで秘されていた釈迦の成仏の本当の意味が明かされるのです。

法華経には、忽然と虚空に出現する天文学的な大きさの宝塔、大地をわって湧き出してくる無数の菩薩たち等、神話的なシーンが数多く現れ、合理的な思考からすると一見荒唐無稽な物語とみなされがちです。

しかし、当時の思想状況や社会状況に照らし合わせて読み解いていくと、当時の常識では到底受け容れられないような新しい考え方や価値観を、象徴的な出来事や巧みなたとえに託してなんとか表現しようとする作者たちの意図が明らかになっていきます。

その一つひとつを解読すると、その中核には、「釈迦がもともと説こうとしていた仏教の原点にたちかえれ」という力強いメッセージがこめられていることがわかります。それは、さまざまな因習に縛られ見失われそうになっていた「人間自体を尊重する人間主義の思想」だと、仏教思想研究家の植木雅俊さんはいいます。

排外主義が横行し分断される社会、拡大し続ける格差……憎しみや対立の連鎖からなかなか抜け出せない現代、「法華経」を現代的な視点から読み解きながら、「差異を認め合い、共存・融和を目指していく知恵」「自己に眠る大きな可能性を開いていくには何が必要か」など、生きる指針を学んでいきます

第1回 

【指南役】
植木雅俊(仏教思想研究家)
【朗読】
余貴美子(俳優)
【語り】
三宅民夫

法華経が編纂された当時は、出家修行者が自らの悟りを目指す一部の「部派仏教」と広く民衆を救済しようという「大乗仏教」が厳しく対立していた時代だった。法華経にはそうした対立を止揚し乗り越えようという新しい思想がこめられているという。

一部の部派仏教が決して成仏できないとした在家信者や女性も、初期大乗仏教が決して覚りを得ることができないと断じた出家修行者も、全て平等に仏になれるという平等思想を打ち出したのである。

法華経ではそのことを過去の因縁話や有名な「三車火宅のたとえ」など卓抜な表現を用いて見事に説いた。

第一回は、法華経にこめられた、人類初ともいえる「普遍的な平等思想」に迫る。

 

第2回 真の自己に目覚めよ

法華経が最も優れた経典とされる理由は「全ての人間が平等に成仏できる」と説いたこと。

では「成仏する」とはどういうことか? 

それは現代の言葉でいえば「真の自己に目覚めること」「人格を完成させること」だと植木さんはいう。

当時は釈迦が神格化され、釈迦の骨をおさめた塔「ストゥーパ」を拝む信仰が隆盛を極めていた。

しかし、法華経では、釈迦はあくまで覚りを得たひとりの人間なのだから、偶像を信仰するのではなく釈迦が説いた「法」や「経典」の方をこそ重視せよと説く。それこそが人格を完成していく方途なのだ。

第二回は、様々なたとえをもって語られる「真の自己に目覚めること」の大事さを解き明かす。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:植木雅俊

第3回 「永遠のブッダ」が示すもの

その場でたちどころに覚りを得る女性や悪人、大地の底から湧き出してくる菩薩たち……劇的なドラマが繰り広げられる法華経の中盤。

神話的ともいえるこれらの表現は、これまでの常識的な価値観をゆさぶり、全く新しい価値観を受け容れる地ならしをしようとした表現だという。

その上で明かされるのは、釈迦が四十年数前にブッダガヤで成仏したのではなく、気の遠くなるようなはるかな過去にすでに成仏していたという驚愕すべき事実。

そこに込められているのは、様々な形で説かれてきた無数の仏たちを一つに統合し、釈迦という存在の中に位置づけることで、これまでの仏典全てを包摂しようという意図だという。

第三回は、法華経に説かれた「永遠のブッダ」が示す奥深い意味を明らかにしていく。

第4回 「人間の尊厳」への讃歌

法華経後半で最も大事な章と考えられている「常不軽菩薩品」。

どんな暴力や迫害にあおうとも、ひたすら他者に内在する仏性を尊重し礼拝し続ける常不軽菩薩が、経文などを全く読めずともやがて覚りを得ていくという姿を描いている。

ここには、法華経の修行の根幹が凝縮しているという。すべての人間に秘められた可能性を信じ尊ぶ行為こそが、自らの可能性を開いていく鍵を握っているというのが法華経の思想なのだ。

第四回は、歴史小説「等伯」を書いた直木賞作家の安部龍太郎さんとともに法華経を読み解き、理想の人間の生き方に迫っていく。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト

思想書として「法華経」を読む

今回、番組で「法華経」に取り組んでみたいと思ったきっかけは、一冊の書物との出会いからでした。

「思想としての法華経」。

「法華経」というと多くの宗派や教団の人たちが聖典として仰ぐ経典ですし、私たちもお葬式や法事といった場で読経を耳にすることも多いと思いますが、その「法華経」を「思想」として読むという視点にとても新鮮さを感じて手にとりました。

この著作を書いたのが、今回の講師、植木雅俊さんです。とりわけ印象に残ったのは、植木さんがこの本の中で、若き日に「法華経」に出会ったことが鬱病から立ち直る大きなきっかけとなったと書かれている箇所でした。

なんとなく抹香くさいイメージのあった「法華経」ですが、そこに込められた思想が、人間に秘められた大きな可能性に光を当てるものであり、一人の人間の心をこんなにも揺さぶり勇気づけるものなのか、と大いに驚きました。

「法華経」は西暦紀元1世紀末から3世紀始めに成立したと推定されています。

当時のインドは、厳しい修行や哲学的な思索を出家者が中心になって行う「部派仏教」と呼ばれる教団が栄え、仏教が庶民の暮らしから遠い存在になっていました。

そこに、広く民衆を救済しようという新たな潮流「大乗仏教」が登場しましたが、今度は、厳しい批判をしようとするあまり、部派仏教の修行者だけは成仏できないという差別思想を宿すことになりました。

こうした流れの中で、大乗仏教と部派仏教との間で激しい対立が生じてしまいました。

植木さんによれば、この対立を乗り越え、これまでのさまざまな仏教をより大きな視点から統合しようとしたのが「法華経」だといいます。

このような視点から、当時の思想状況や社会状況に照らし合わせて「法華経」を読み解いていくと、当時の常識では到底受け容れられないような新しい考え方や価値観を、象徴的な出来事や巧みなたとえに託してなんとか表現しようとする編纂者たちの意図が明らかになってきます。

そして、その一つひとつを解読すると、その中核には、「釈迦がもともと説こうとしていた仏教の原点にたちかえれ」という力強いメッセージがこめられていることがわかります。

それは、さまざまな因習に縛られ見失われそうになっていた「人間自体を尊重する人間主義の思想」だと、植木さんはいいます。

なぜ「法華経」が大乗仏典の中でも「諸経の王」と呼ばれ、広くアジア諸国で最も信奉されてきたのか。

そして、日本でも、聖徳太子、最澄、道元、日蓮、宮沢賢治ら多くの人々に巨大な影響を与え、「今昔物語」「源氏物語」「枕草子」といった文学や日本文化の底流に脈々とその精神が流れ続けているのはなぜなのか?

 植木さんの解説によって経典の本質が紐解かれていく中で、その大きな要因の一つが、この力強い「人間主義」にあったのではないかということが少しずつ見えきたのでした。

もう一つ、大きなことを学びました。釈尊がもともと説いた、人類初ともいうべき普遍的な平等思想でさえ、権威主義や組織防衛のために歪められ、歴史の中でその内容が改竄されていったという事実です。

「法華経」を読むことは、そうした改竄の恐ろしさや原点を取り戻すことの大切さを学ぶことにもつながっていきます。

排外主義の横行、頻発するテロや紛争など、憎しみや対立の連鎖からなかなか抜け出せない現代、「法華経」を読み直すことで、「差異を認め合い、共存・融和を目指していく知恵」「自己に眠る大きな可能性を開いていくには何が必要か」などをもう一度学び直したいと、あらためて痛感しています。

 


大人の真似してパンフレットを読む? 3歳児のユー君

2023年02月14日 20時51分54秒 | 沼田利根の言いたい放題
「パンフレットに関心あるの? 読んでいるつもりになっている・・・・。賢いね!秀才君だね」とバーバが感嘆する。
 
実は、従兄のシン君も、3歳で新聞の広告をに関心を示した。
 
「この字何?」と祖母に聞いていた。
「これは、横浜銀行」
「ヨコマギンコウ」
「これは?」
「これは東京ガス」
「トウキョウガス、トウキョウ、トウキョウ」
「そう、東京と読むんだよ」
 
 
動画リンク
 
茨城県・もみじ寺ー永源寺 2022年11月12日

窓 ベッドルームの女

2023年02月14日 10時59分22秒 | 社会・文化・政治・経済

窓・ベッドルームの女】の無料動画を配信しているサービスはここ ...

2月14日午前3時45分からCSテレビのザ・シネマで観た。

監督 カーティス・ハンソン
出演 スティーブ・グッテンバーグ/エリザベス・マクガヴァン/イザベル・ユペール

欲望が生煮え 縦横無尽のユペール 

 ハンソン監督が42歳のときの映画。監督第一作だったと思う。

ハンソン監督は本作から2013年までの監督作品は9作。26年間の間にだから寡作だ。その中には「ゆりかごを揺らす手」「激流」「L.A.コンフィデンシャル」や「8Mile」「イン・ハー・シューズ」などの佳作・名作があった。

ヒッチコックのような歌舞伎のように魅せるドラマティックなサスペンスではないが、足元からじわじわ水が浸潤してくるような、いつ落ちるかしれない吊り天井みたいな、あるいはややこしい筋書きではないのに、ダシの取り方が丁寧なために重層した味わいを感じさせるとか、ハリウッド映画のなかで彼が示す洗練は、ハリソン独特の映画作法なのだ

▼とまあ、ベタホメしたあとでちょっといいにくいが、本作はうーむ、どうだろ。

スティーブ・グッテンバーグはどうしても「ポリス・アカデミー」を連想してしまうし、エリザベス・マクガヴァンの丸々した童顔はサスペンス向きじゃないと思うのだけど。ラストが近づくにつれ映画はだんだんスリル度を増し怖くなっていくけど、ハンソン監督のスキルからすればマアそんなものでしょうが、エリザベス・マクガヴァンは堂々たる女丈夫ですよ。

冒頭の暴行シーンでもマクガヴァンのほうが男より体格がよくて、どっちが暴行しているのだか、彼女が本気で向かっていったら犯人をやっつけそうだったのよ。話を整理しながら進めるとこういうこと。建築家のテリー(スティーブ・グッテンバーグ)は大手企業の社長夫人シルビア(イザベル・ユペール)と不倫中。

パーティーの帰りテリーの部屋で密会したシルビアは窓の下で女性が襲われるのを目撃する。シルビアは窓を開けようとしたが開かない。テリーを呼ぶうち男は女性を茂みにひきずりこもうとする。

ガンガン窓を叩くシルビアに男は気づく。シルビアと犯人はまともに顔をあわせる。

やがてばらばらと住民が出てきて犯人は逃走。名乗ると不倫がばれるシルビアに代わりテリーが警察に通報した。被害者のデニス(エリザベス・マクガヴァン)やテリーの証言をもとに捜査は進められ、容疑者ヘンダースンが線上に浮かぶ。

しかしテリーが本当の目撃者でないことが裁判でばれ容疑者は釈放。逆にヘンダーソンとデニスは法廷でのシルビアの振る舞いから、実際に目撃したのはテリーではなくシルビアであることを感づく

▼テリーはヘンダーソンがシルビアを狙っていることを知り知らせようとするが間に合わず、音楽堂でシルビアはヘンダーソンに刺殺されてしまう。彼は性的魅力をふりまく女に異常な憎しみを感じる変質者だったのだ。

シルビア刺殺の現場にいたテリーは犯人の容疑をかけられ逃走する。デニスはそんなテリーの疑いを晴らそうと、自分が囮になってヘンダーソンをおびきよせ真犯人をつかまえようと提案するが…もちろん最後の捕物がヤマですが、イザベル・ユペールが殺されてスクリーンから退場すると途端につまらなくなるのだな、これが。彼女は自分の立場がこじれてくると夫にあっさり不倫を白状して元の鞘におさまり、テリーを冷たく突き放す。

ユペールは34歳。翌年クロード・シャブロル監督と組み「主婦マリーがしたこと」から「ボヴァリー夫人」「沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇」「甘い罠」ミヒャエル・ハネケ監督の「ピアニスト」「タイム・オブ・ウルフ」「愛 アムール」と映画賞を総ナメにする快進撃が続く。

本作ではどうしようもない自分勝手でご都合主義で、親切は世間向けのみせかけ、それも面倒になるとてのひらを返し、男はそんな女だとわかっているが、かえって女の気まま・わがままが魅力的にみえひきずられる、という役作りを愉しく演じている。こういう縦横無尽な女優にかかると、映画とはどんな理屈をいってもしょせん土俵にあがる役者次第じゃないかと思ってしまう

窓・ベッドルームの女 - 解説・レビュー・評価 | 映画ポップコーン  

 
窓・ベッドルームの女(吹替版)木曜洋画劇場版
 
窓・ベッドルームの女(字幕版)
 
奴はまたやる!犯罪目撃モノからの濡れ衣冤罪証明プロット?
真実を言うのは簡単じゃない。あなたの言葉は私の言葉。デ・パルマほどの全力ヒッチコック愛は見られないかもしれないけど、間違いなくそういう系譜のサスペンス作品。
 
そう、タイトル通りの作品で演じるのはイザベル・ユペール。一番刺激的な夜になったわ。
証言できない不倫相手 = 上司の妻に代わって見てもない事件を証言することになるという、一風変わって新鮮な着目点の"犯罪(殺人)目撃"モノ。こういうのは基本巻き込まれ型+αで少しの興味・好奇心から発見な気もするけど、今回は結構自分からグイグイ行ってるのでは?
そんな勝手に尾行して、このメチャクチャなアイデアを思いついては実行する主人公がいいキャラしている。見るからにこういうことしでかしそうだもん、自分で首絞めていく結果に。
 
不倫や男女の泥沼と裁判の相性はいいらしい。連続殺人事件の犯人を刑務所送りにするはずが、コンタクトは初耳だった。ロマンチックかバカなのか?はたまた人として正しい行いをしようとするアツい正義感か、ただの良い格好したい自己顕示欲か?今回は慎重に動くからまだ逮捕しない。警察動かないなら自分でやるよ精神!

「一人で頑張って、私もそうするわ」私、視力はいいもの「なぜ君は僕を疑わないの?」愛?少しのぼせてただけさ。オモチャだった
勝手に関連作『ミッドナイト・クロス』『カンバーせーション盗聴』『推定無罪』

 

イザベル・ユペール出演作…というので観てみたが、ヒッチコック映画の模倣場面が散見される微妙なサスペンス(っぽい)映画。

ある男テリー(スティーヴ・グッテンバーグ)の部屋で不倫していた女性シルビア(イザベル・ユペール)は、彼の上司の妻だった。
情事のあと、外から声が聞こえたので、シルビアが窓の外を見ると、若い女性が男に襲われていた。しかし、シルビアが窓をガタンと開けた音を聞いてシルビアを見た犯人は逃げる。
その内容を聞いたテリーは「警察に言うべきだ」と主張するが、シルビアは不倫していた男の部屋にいたことを知られたくないので、テリーが代わりに警察に伝える。しかし、警察から犯人の面通しをしてもらっても、テリーは自分が犯人を見ていないので分からない。
そんな中、次の女性殺人事件が起こるのだが……という流れ。

殺された女を犯人から渡されて抱いているところを周囲の人達に見られるあたりなどは、ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』のケーリー・グラントに酷似している。

イザベル・ユペール目当てで観始めたものの、共演していたエリザベス・マクガヴァンを久しぶりに見られて良かった。彼女を初めて観たのは、映画館で『ラグタイム』だったが、やたらと存在感があった。

この映画、それなりには楽しめる(かも知れない)娯楽作 ?

 

負のスパイラルに落ち込み事態が悪化していく過程のイライラ感にストレスを感じない人は楽しめる作品。

メインが主人公の悪戦苦闘なのでしょうがないのだろうが、犯人に魅力が無く恐ろしさや嫌悪感も無いアイコンとしての存在なのが残念。
犯行の残忍さや、IQの高さを加えればもっと憎たらしくなったかも。

ラストの主人公の疑いが晴れてよかったね、って言うカタルシスは感じるのだが、犯人逮捕にまったくテンションが上がらない。

見所は超ビッチを見事に演じ乳見せ係までこなしたエリザベス。でも、もうちょっとサービスシーンがあっても良かったかな。
対してイザベルはシャワーのシルエットだけ。これはいただけない。でも可愛かったからゆるす。

突っ込み所も多々あるが、巻き込まれ型の定番で普通に楽しめる作品だろう。


余談。
突っ込みを入れるのも野暮ではあるのだが・・・・・
DNA鑑定すればいいじゃん。

 
 
 
 
 
 
 

 


利根輪太郎の競輪人間学 走る格闘技(ブロック)

2023年02月14日 10時59分22秒 | 未来予測研究会の掲示板

GⅢ 静岡競輪 たちあおい賞争奪戦

最終日(2月12日)

10レース

並び予想 1-5-8 4-7-3 9-2-6

 レース評

今節は一息感が否めない野原だが、持ち前の回転力を発揮して白星締め。地元の岡村がマーク。果敢な町田を利す柏野が単穴。

1番人気 1-5(6・3倍)

期待された1番選手の野原 雅也選手は捲ったものの、、7番の柏野 智典選手の強烈なブロックで失速して後退。

逃げた4番の町田 太我選手の番手に5番の岡村 潤選手がはまる展開になる。

 「7番の奴よう! あそこまで、やること必要あるのか!」

1-5の車券で勝負した、競輪ファンたちの強い口調の怒り声であった。

だが、「ありです。それが走る格闘技=競輪のゆえん」なのですね。

では、どうすべきか?

そこで、ボックス車券を一考する。

1-5(6・3倍)

1-7(11.7倍)

7-4(9.8倍)

7-1(14.2倍)

何が起こるかわからない競輪。

ラインで決まる車券には、こだわらない。

番手有利として、5-7の車券がまず浮かぶ。

1-5-7のボックス3車券(6点)

4-5-7のボックス3車券(6点)

これで、12点の車券。

それとも、1-5-4-7の24点の3連単車券。

どちらを選択するかである。

4点ボックス車券なら24通りの車券。

3連ボックス車券なら12通りの車券。

つまり、10レースはオッズの数値から勘案すると最終的には1-5ラインと7-4ラインの対決。

結果

4-5 1万1,090円(29番人気)

4-5-7 3万4,210円(103番人気)

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
  1 4 町田 太我   11.7 B  
2 5 岡村 潤 1/4車輪 11.5    
× 3 7 柏野 智典 1車身1/2 11.8      
4 9 松岡 辰泰 1/2車身 11.4      
  5 8 佐藤 壮 1/2車身 11.7      
6 1 野原 雅也 1/8車輪 11.9   S  
7 3 高原 仁志 1/4車輪 11.8      
8 2 坂本 健太郎 3/4車輪 11.4      
  9 6 稲吉 悠大 大差

 

戦い終わって

戦い終わって写真

 後攻めの町田太我が赤板過ぎに仕掛けて先行態勢。後方の動きを確認して打鐘過ぎにスパート。前受けから突っ張り気味に踏み中団取った野原雅也の捲りを柏野智典がブロック。岡村潤が内に差し込み町田後位切り替えるも町田が逃げ切る。「車番通り後ろから抑えて駆けた。展開が良くわからなかった。ダイジェストを確認して柏野さんが仕事をしてくれていたんだと。徐々の戻ってきた感じはあるし手応えはあります」。
 町田に切り替え二着の岡村。「作戦は野原君に全て任せていた。町田君が楽に出て先行なのできつかった。正直、脚が一杯であのコースしか見えてなかった。抜けると思ったが」。

 

   
 

 

 

 

 

 

 

 

 

   
 

学問は精神革命のためにある―福沢諭吉

2023年02月14日 09時58分57秒 | その気になる言葉

▼読書は人生を開く扉である。

▼福沢諭吉が重視したのは精神の独立であった。

「言論の自由」は、精神的独立と深く関わっている。

▼何を考え発表する自由には、内面的自由の保障も含まれている。

▼何を考えてもいいが、口に出していけないなら、考えなくなる。

閉鎖的な考えに陥り、思考停止を招く。

▼つまり、言論の自由までが保障されてはじめて、内面の自由、精神的独立も保障される。

▼福沢によれば、日本人は、内面的に考えたことがあったとしても、発表するという方法のアイディアを持たなかった。

そこで、福沢は「民心の改革」―日本国民の精神改革を志す。

すなわち、学問・知性による精神革命を志した思想家、それが福沢諭吉だった。

学問は精神革命のためにある。

▼学問によって、想像力が鍛えられ、言葉や表現を覚え、他者とのコミュニケーションを活発にする。

 


終局の目的がなければ

2023年02月13日 20時56分29秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼苦難の時こそ、その人の真価が試されるものだ。

諦めて希望を失うのか、それとも、奮起した立ち上がるのかである。

▼生命哲学は、観念論でなく、その人の日常生活の中核となっているものだ。

▼未来は、ひとりでやってくるものではない。

人間自身が切り開くものだ。

▼時代の「美しもの」とは、人間に対する「信頼」「哲学」によって培われるものだ。

▼終局の目的がなければ正当な手段は立たない。

手段=具体的な行為・方策。

▼いかなる世界であれ、最後まで戦い続けた人は勝つ。

その原動力は不屈の「決意」「責任感」である。

▼平和とは、一人の人間の力によってつくられるものではない。

一人一人がそれぞれの立場で、どうすれば人々が自由を享受し人間らしく平和に暮らしていくことができるかを考え、実現のための努力を払っていく―そうした人々のネットワークのなかに確たる平和が築かれる。

▼大事なのは、自分の決意の深さである。

自分が決めた仕事を最後まで果たすことである。

 


友人と知人3人がパーキンソン病に

2023年02月13日 14時52分30秒 | 医科・歯科・介護

パーキンソン病は、1000人に1~1.5人がかかると推定され、アルツハイマー病に次いで2番目に多い神経変性疾患です。

また、高齢になるほどその割合は高くなり、60歳以上では100人に1人が発症すると言われています。

この疾患の治療に関しては、これまでさまざまな治療薬が開発され、数ある神経難病の中では、もっとも「普通の生活に戻ることができる」疾患となりました。

しかし、進行性の疾患であるため、治療を進めていく間に薬の種類や服用する回数が増えたり、飲み方をどんなに工夫しても症状を十分にコントロールできなくなる場合があります。

これら神経内科領域の診断、治療を受けるにあたり、些細なことでも疑問な点がありましたら何でもご相談ください。

電話の声は苦しさと不安を声を絞り出すように訴えるもので、いかにも生きること事態が辛そうであった。

怖くて一人では風呂には入れないそうで、娘さんの世話になっているのだ。

60㎏あった体重も40台を切る状態に。

励ます言葉も失うものであった。


人間の器

2023年02月12日 11時42分53秒 | 社会・文化・政治・経済

▼自分の限界に挑み、殻を破っていくなかで、自身の境涯は大きく開かれる。

境涯:人間の度量・人間の器(人間力)―自分が置かれている家庭、経済状態、人間関係、社会的な身分や地位などの状況。

度量の大きさとは『謙虚さ』と『寛容さ』など。

 

 
 
「器が大きい人」というと、どんな人をイメージするだろうか。
著者は「自分に何の利益がなくとも、他人のために行動できる人」だという。
私欲を封印し、他人のために何かを成すのは、そう簡単ではない。
器を大きくしようと無理をすると、かえって器は小さくなってしまう。
ならば、どうすればいいのか?
「自分にしかできないことを、やる」「何が起きても〈それがベスト〉と考える」「ときに積極的に諦める」等々、本当の意味で器を大きくするための心のありようや生き方について詳述。
 

著者について

公益社団法人日本中国友好協会会長。
一九三九年愛知県生まれ。元・中華人民共和国駐箚特命全権大使。
名古屋大学法学部卒業後、伊藤忠商事(株)に入社。
九八年に社長に就任すると、翌九九年には約四〇〇〇億円の不良資産を一括処理しながらも、二〇〇〇年度の決算で同社の史上最高益を計上し、世間を瞠目させた。〇四年会長就任
。内閣府経済財政諮問会議議員、地方分権改革推進委員会委員長、日本郵政取締役、国際連合世界食糧計画WFP協会会長などを歴任ののち、一〇年に民間出身では初の駐中国大使に就任。現在、一般社団法人グローバルビジネス学会会長、伊藤忠商事名誉理事。
 
 
 
生きていく上での教本とも言える読み物
最終章に中村哲さんを語る中に“子を亡くすという途方もない悔しさや悲しみを知っているからこそ…”の
一節は同じ苦しみを味わった者として、深く胸に沁み入りました。
 
 
著者が自分なりに考え、勉強を続けて生きていることが感じられる本。何歳になってもその時のエンジンを点火して頑張ろうという気持ちを新たにできた。
 
病を患い、自分のことで手一杯になり、昔話の意地悪ばあさんのような心持ちになってしまいました。
他人を思いやることができず悩んでいました。

本の大半は手堅く地道に説得される言葉が並んでいました。
ベストは尽くすが反省はしない、最善を尽くすために「力を抜く」、不精や不機嫌も許す、
「悪い心」を持たない人はいないなどなど。

その過程で、丹羽さんの読書愛、食料畑での経験、ボランティアへの視野も見えてきました。
これらが一気につながる中村哲さんへのくだりのラストに、読後、しばらく放心しました。
自分だけで滞っていた想像力が堰を切りました。

整体師の岡島瑞徳さんは『(略)新・整体入門』にて、他人を思いやるにはハラ・腰・生殖器が大切、ゆえに高齢になると衰えると身体上の限界を述べています。
丹羽さんのラストメッセージは、その意味でも圧巻で、祈りにも似た人類愛を感じました。
まさに『人間の器』を感じました。
 

 

 
 
 
 

 


「生命の尊厳」を直視する人間の最高の理性

2023年02月12日 11時16分55秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼人生いかに生きるべきか?

▼出会いが大切だ。

出会いは「対面の出会い」もあれば、書物などを通した「胸中の出会い」もある。

▼心の師がいてこそ、人間としての「自律」があり、また、真の「自立」がある。

▼社会や世界が危機の直面する今だからこそ、希望のビジョンを描き、導く、新しい価値を生み出すことだ。

▼人類の存亡にかかわる大きな危機の時代である。

地球規模の気候変動、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)、ウクライナ情勢の激化と、それにより鮮明化した核戦争の危機。

▼民主主義の衰退。

法の支配の組織的破壊。

▼ポピュリストの独裁指導者の台頭。

人々を分断する種をまき、対立と憎悪をあおっている。

▼そこには政治的疎外感と倫理的空白の拡大が伴っている。

真実の尊重という基本的な規範や精神的価値への敬意を失しなわせつつある。

▼「核兵器戦争に反対する」叫びは、単なる感傷や感情ではない。

それは「生命の尊厳」を直視する人間の最高の理性の表れであるべきだ。

 

 


発達障害

2023年02月12日 10時40分31秒 | 医科・歯科・介護

発達障害は、治す必要はない。

その人の気質なのだ。

生活の質を高めることを先に考えた方がいい。

障害は経験するものだ。

発達障害は、生まれつきみられる脳の働き方の違いにより、幼児のうちから行動面や情緒面に特徴がある状態です。

そのため、養育者が育児の悩みを抱えたり、子どもが生きづらさを感じたりすることもあります。
発達障害があっても、本人や家族・周囲の人が特性に応じた日常生活や学校・職場での過ごし方を工夫することで、持っている力を活かしやすくなったり、日常生活の困難を軽減させたりすることができます。


「発達障害」とは

生まれつきの特性です

発達障害には、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症(ADHD)、学習症(学習障害)、チック症、吃音などが含まれます。
これらは、生まれつき脳の働き方に違いがあるという点が共通しています。同じ障害名でも特性の現れ方が違ったり、いくつかの発達障害を併せ持ったりすることもあります。

自閉スペクトラム症とは

コミュニケーションの場面で、言葉や視線、表情、身振りなどを用いて相互的にやりとりをしたり、自分の気持ちを伝えたり、相手の気持ちを読み取ったりすることが苦手です。

また、特定のことに強い関心をもっていたり、こだわりが強かったりします。また、感覚の過敏さを持ち合わせている場合もあります。

注意欠如・多動症(ADHD)とは

発達年齢に比べて、落ち着きがない、待てない(多動性-衝動性)、注意が持続しにくい、作業にミスが多い(不注意)といった特性があります。多動性−衝動性と不注意の両方が認められる場合も、いずれか一方が認められる場合もあります。

学習障害(LD)とは

全般的な知的発達には問題がないのに、読む、書く、計算するなど特定の学習のみに困難が認められる状態をいいます。

チック症とは

チックは、思わず起こってしまう素早い身体の動きや発声です。まばたきや咳払いなどの運動チックや音声チックが一時的に現れることは多くの子どもにあることで、そっと経過をみておいてよいものです。しかし、体質的にさまざまな運動チック、音声チックが1年以上にわたり強く持続し、日常生活に支障を来すほどになることもあり、その場合にはトゥレット症とよばれます。

吃音とは

滑らかに話すことができないという状態をいいます。音をくりかえしたり、音が伸びたり、なかなか話し出せないといった、さまざまな症状があります。

発達障害のサイン・症状

自閉スペクトラム症

目を合わせない、指さしをしない、微笑みかえさない、あとおいがみられない、ほかの子どもに関心をしめさない、言葉の発達が遅い、こだわりが強いといった様子がみられます。保育所や幼稚園に入り、一人遊びが多く集団活動が苦手なことや、かんしゃくを起こすことが多いことで気づかれることもあります。
言葉を話し始めた時期は遅くなくても、自分の興味のあることばかりを話し、相互的に言葉をやりとりすることが難しい場合もあります。

また、電車、ミニカーやビデオなど、自分の興味のあることには、毎日何時間でも熱中することがあります。初めてのことや決まっていたことが変更されることは苦手で、環境になじむのに時間がかかったり、偏食が強かったりすることもあります。
思春期や青年期になると、微妙な対人スキルを求められることも増えますし、学習課題においても多様な能力を総合的に求められる機会が増えます。就職してから仕事が臨機応変にこなせないことや対人関係などに悩み、家庭生活や子育ての悩みを抱え、病院を訪れる人もいます。

不安やうつなどの精神的不調を伴うこともあります。また。成人期になってから日常生活、家庭、職場などで困難を抱え、精神的な不調を伴い支援を必要とすることもあります。

注意欠如・多動性障害(ADHD)

子どもの多動性-衝動性は、落ち着きがない、座っていても手足をもじもじする、席を離れる、おとなしく遊ぶことが難しい、しゃべりすぎる、順番を待つのが難しい、他人の会話やゲームに割り込む、などで認められます。

不注意の症状は、学校の勉強でミスが多い、課題や遊びなどに集中し続けることができない、話しかけられていても聞いていないように見える、やるべきことを最後までやりとげない、課題や作業の段取りが苦手、整理整頓が苦手、宿題のように集中力が必要なことを避ける、忘れ物や紛失が多い、気が散りやすい、などがあります。
大人になると、計画的に物事を進められない、そわそわとして落ち着かない、他のことを考えてしまう、感情のコントロールが難しいなど、症状の現れ方が偏しますが、一般に、落ち着きのなさなどの多動性-衝動性は軽減することが多いとされています。また、不安や気分の落ち込みや気分の波などの精神的な不調を伴うこともあります。

学習障害(LD)

全般的な知的発達には問題がないのに、読む、書く、計算するなど特定の事柄のみが難しい状態を指し、それぞれ学業成績や日常生活に困難が生じます。

 

治療や支援について

自閉スペクトラム症

幼児期には、個別や小さな集団での療育を受けることによって、対人スキルの発達を促し、適応力を伸ばすことが期待されます。視覚的な手がかりを使ったり、先の見通しを持ちやすく提示したりすることで、子どもは安心して過ごしやすくなり、情緒的にも安定してきます。そのなかで基本的な日常生活のスキルや言葉や言葉以外の手段を通したコミュニケーションのスキルを獲得していきます。
自閉スペクトラム症の子育てには様々な工夫が必要ですが、支援者や医療関係者などの専門家とともに、子どもの歩みを養育者とともに見守り、考えていきます。 自閉スペクトラム症を治癒する薬はありません。

睡眠や行動の問題が著しい場合や、てんかんや精神的な不調に対して、薬物療法を併用する場合もあります。精神的な不調が現れるまえにストレス要因や生活上の変化がなかったかなどを確認し、環境調整を試みることも大切です。
幼児期から成人期を通して、身近にいる親や配偶者が本人の特性を理解していることがとても重要です。また、学校の先生や職場の同僚などの理解も大切です。人は誰しもひとりで生きていません。自閉スペクトラム症の当事者にとっても支えの輪があることが大切なのです。
成人を対象とした対人技能訓練やデイケアなどのリハビリテーションを行っている施設もあります。また、都道府県や政令指定都市ごとに発達障害者支援センターが設置されており、自閉スペクトラム症の当事者を対象にしたグループ活動を提供したり、生活自立・就労等の相談に応じたりしています。

注意欠如・多動症(ADHD)

幼児期・学童期には環境を整えて集中して課題に集中しやすいようにする、褒め方を工夫するなどの方法で、増やしたい行動を増やすのが基本です。

勉強などに集中しないといけないときには本人の好きな遊び道具を片づけ、テレビを消す。集中しないといけない時間は短めに、一度にこなさなければいけない量は少なめに設定し、休憩をとるタイミングをあらかじめ決めておく、やらないといけないことはToDoリストに書いたり、簡潔にわかりやすい言葉で伝えたりすることも大切です。

しかし、ADHDの子どもたちは、行動を切り替えるのが苦手であったり、意に反すことにかんしゃくを起こしたりすることも多いので、養育者も、「ダメでしょ」「どうして・・・なの」などと否定的な言葉で感情的に反応してしまいがちです。ADHDについて知り、増やしたい行動や減らしたい行動を整理し、うまく褒めながらよりよい行動を導いていくためには、養育者のスキルを伸ばすことや同じように頑張っている親同士のつながりや心の支えが大切です。

養育者が小集団でADHDへの理解を深め、対応するスキルを身につけるためのペアレント・トレーニングも実施されています。環境調整や行動からの取り組みを行っても日常生活における困難が持続する場合には薬物療法を併用します。

薬物療法は症状を緩和するもので根治的な手段ではありませんので、効果と副作用のバランスに注意しながら選択します。

成人になってからも、作業にミスが多かったり、行動を計画的に順序だてて行うことが苦手、いつも心が落ち着かない、感情のコントロールが苦手などの症状があることもあります。子どもと同様に、環境調整、行動療法や薬物療法が実施されます。精神的不調を伴っている場合には、その治療も併せて実施されます。

学習症(学習障害)(LD)

学習症の子どもに対しては、教育的な支援が重要になります。読むことが困難な場合は大きな文字で書かれた文章を指でなぞりながら読んだり、文章を分かち書きにしたり文節に分けることも有用です。音声教材(電子教科書)を利用することも可能です。

書くことが困難な場合は大きなマス目のノートを使ったり、ICT機器を活用したりすることも可能です。計算が困難な場合は絵を使って視覚化するなどのそれぞれに応じた工夫が必要です。学習症は、気づかれにくい障害でもあります。子どもにある困難さを正確に把握し、決して子どもの怠慢さのせいにしないで、適切な支援の方法について情報を共有することが大事です。

チック症

まばたきをする、顔をしかめる(運動チック)や咳払いや舌打ち(音声チック)などのチックが一時的にあらわれることは多くの子どもにみられることです。そのため、特に指摘をせず、経過をみます。しかし、多彩な運動チックと音声チックが1年以上にわたり強く持続し、日常生活に支障を来すほどになることもあります(トゥレット症)。

飛び上がる、自分の体や足を叩く、しゃがむ、おなかに力をいれる、単語をいうなどの複雑な動きや発声を伴こともあります。症状は典型的には10-15歳ぐらいに一番強くなりますが、成人になっても強い症状を継続することもあります。トゥレット症は、体質的なチックで、その症状を制御することはごく短時間しかできません。

そのことをまず周囲の人が理解することが大切です。チックが現れそうな衝動が起こったときにチックと拮抗するような動きをする(ハビットリバーサル)や薬物療法が実施されます。トゥレット症に有効性が認められた薬は日本にはありませんが、統合失調症の薬などが有効であることが知られています。

吃音

よくある誤解は、吃音が厳しい子育てや本人の精神的な弱さの結果であるというものです。就学前にみられる吃音は数年の間に軽減することが多いのですが、長期に持続する子どももいます。吃音は体質的な要素が強いことが知られています。

からかいやいじめの対象となっていないか、また学校などの発表などの場面が本人の苦痛となっていないかを把握し、環境調整を行うことが大切です。吃音の治療として、言語聴覚療法や認知行動療法が実施されます。


 

 

最終更新日 2020年12月14日 更新履歴

概要

発達障害とは、生まれつきの脳の障害のために言葉の発達が遅い、対人関係をうまく築くことができない、特定分野の勉学が極端に苦手、落ち着きがない、集団生活が苦手、といった症状が現れる精神障害の総称です。

症状の現れ方は発達障害のタイプによって大きく異なり、自閉症スペクトラム障害、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害、などさまざまな障害が含まれます。幼少期または学童期から症状が現れますが“変わり者”“怠け者”という誤った認識がなされ、見過ごされているケースも多いと考えられています。社会人になってから、不注意やミスが多いといった症状が目立つようになり初めて診断が下されるケースも少なくありません。

発達障害による症状は薬物療法などである程度抑えることができるものもありますが、根本的な治療法はない症状が多いのが現状です。発達障害を抱える当事者はさまざまな場面で「生きにくさ」を感じているとされており、将来的に症状とうまく付き合いながら日常生活を送っていくには早期の段階で生活訓練などの療育を始めることがすすめられています。

原因

発達障害の原因は、生まれつきの脳の機能障害と考えられていますが、明確な発症メカニズムは解明されていません。

また、脳の障害以外にも、遺伝や胎児期の感染症、農薬への暴露などが発症に関与しているとの説もあります。

症状

発達障害の症状は障害のタイプによって大きく異なります。

発達障害の中でも発症率が高いとされる自閉症スペクトラム障害は、幼児期から他者とのコミュニケーションが極端に苦手、こだわりが強い、融通が利かない、といった症状が見られます。

一方、注意欠陥・多動性障害は7歳頃までに、注意力が極端に散漫であり、衝動性の高い行動が見られるようになります。集団生活の場では、授業中に椅子に座っていることができずに歩き回るといった行動が見られ、学業や集団行動に支障をきたすようになることも少なくありません。

学習障害は、知的水準自体は低くないものの、読む・書く・計算などの特定の分野の学習能力が極端に低いのが特徴です。

いずれのタイプの発達障害も幼少期や学童期に症状が現れ始めます。特に、幼稚園や小学校などの集団生活を開始すると症状がより顕著になります。小学校低学年の頃から学業成績の低下や周囲との軋轢あつれきなどによって意欲や自信が低下するケースも少なくありません。

一方で、障害のタイプや重症度によっては成長するとともに症状が目立ちにくくなることもあります。しかし、単純なミスや不注意を起こしやすいことなどで社会人になってから生きにくさを強く実感し、二次的に不安症状やうつ症状などの精神的な変調を併発することもあります。

検査・診断

発達障害が疑われる場合は、次のような検査が行われます。

心理検査・発達検査・知能検査

発達障害は、がんなどの病気のように画像検査や血液検査で発見することはできません。一方で、精神的な発達の遅れ、知的機能の偏りなどが現れるため、心理士などによる心理検査・発達検査・知能検査の結果が診断の重要な手がかりとなります。

これらの検査は、基本的には心理士や医師と対面して与えられた問題を答えていくことによって行われますが、文字を書けなかったり読めなかったりする幼児でも受けることができるよう工夫がなされています。

画像検査

発達障害と似た症状が、脳腫瘍など脳の病気によって引き起こされることもあります。そのため、発達障害が疑われるものの脳腫瘍などの可能性も否定することが難しい場合には、頭部CTやMRIなどによる画像検査を行うのが一般的です。

脳波検査

発達障害はてんかんを併発しやすい病気です。そのため、てんかんを併発しているか調べるために脳の電気的な活動を記録する脳波検査が行われることがあります。

血液検査

発達障害で現れる症状の中には、甲状腺機能低下症など何らかのホルモン分泌異常が原因で引き起こされることもあります。それらの病気との鑑別を行うために血液検査で各ホルモン値などを調べる検査をすることがあります。

治療

発達障害は、現在の医学では根本的な完治が見込める障害ではありません。

しかし、それぞれの症状を改善するための薬物療法を行うことがあります。具体的には、脳のはたらきを活性化させることでADHD症状を治療する精神刺激薬などが用いられます。また、併発した不眠症に対する睡眠薬、うつ症状に対する抗うつ薬なども用いられることがあります。

一方で、発達障害は症状とうまく付き合いながら、できるだけ円滑な社会生活を送るスキルを習得することが大切です。そのためには、幼少期から自身の症状をカバーするような日常生活の習慣を身に付ける「療育」を行うことがすすめられています。

予防

発達障害は、生まれつきの脳の障害によって引き起こされるため発症を予防するのは困難であるとされています。

しかし、発達障害と診断された場合は上述したとおり、できるだけ早めに療育を行って「生きにくさ」を改善していくことが大切です。気になる症状がある場合は、軽く考えずに医療機関や行政機関などに相談しましょう。また、これまで発達障害と診断されたことがない成人でも、ミスや不注意が多かったり、対人関係でトラブルを起こしやすかったりする人などは医療機関を受診するとよいでしょう。

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白百合女子大学 教授(副学長)
宮本 信也 先生
 

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