おはよ。
前回投稿が8月11日で、随分と間が開いてしまった。
お陰様で入院が続いていますが、すこぶる元気に過ごしています。
そしてこの間、よほどの近い人でない限り入院自体を知らせていないにもかかわらず、たくさんのお見舞いをいただいております。
それは大変ありがたく、そんな方々からパワーをいただいているのでありました。
で、そんな様子を描けないこともないのですが、さすがにあまりに個人的なことであることと内容がお人に言う話ではないので、となると書けないのよ。
ということで、このブログも長く続いてご愛顧いただきましたが、いったん休止とさせていただいて、また落ち着いたころ再開とさせていただこうと思います。
振り返ると、2005/5/30が、初投稿となっております。
ざっと20年、書き続けてきたわけですね。
これまでのご愛顧に感謝しながら、またお目にかかることを楽しみにしています。
どちら様も、本当にありがとうございました。
あまねく、穏やかでありますように!
ほな、またね。
(マルちゃん、映像ありがとう。取っておくには惜しくて使いました。)
こんにちは。
文末は、〇をつけないと気持ちの悪いPです。
さて、2週間前に超絶な腹痛を乗り越えたところで、つい3日前の8月8日の朝。
いつものように目覚めて、7時開店を見計らって、体調も良かったのでファミマまでリハビリ散歩。
で、ホットコーヒーのS買って自前の500ccの魔法瓶に入れて、そこに口までお湯を注いでごくアメリカンなコーヒーにする。
で、帰ってベッドに落ち着いて、それを少しずついただく・・・ということを前回の腹痛時同様にその時もしていた。
あれはあれで、原因がコーヒーであるとは思っていないあたしもいた。
で、30分ほどもしたところで、胃が少し痛んだ。
う~む・・・この痛み、似ている・・・が、まさか?
と、しばらく様子を見た。
30分経過・・・ちょっと痛みが強くなった気がしたので、今回は気を付けて早めに鎮痛剤を飲む。
それからまた30分経過・・・痛いのが増してきたがね。
で、これも同じ轍を踏まぬようにと、すぐナースに報告。
ナースが担当医に連絡して、そこから原因究明の検査が始まった。
(前回は、ここでMRIの予約が入っていて、それが優先されてあたしはそこから1時間余、MRIの台の上に固定されて気を失う寸前のところで痛みに耐えていたが、今回はそれがないだけでも随分とマシだった。)
結果、前回同様、腸が炎症を起こしていて、それが原因。
ということで、強力な痛み止めを使って痛みを抑えてもらった。
(ナースたちがそれを麻薬と呼んでいるのは、何となく可笑しかったです)
と同時に、あっという間に熱が40℃になり、それも解熱剤で抑え込んだようだ。
9時ごろ発症から、15時頃には、当初の半分くらいの状態にはなっていたと思う。
前回が痛みの限界だとすれば、今回はそれでも8割くらいの痛みと熱でしたが、あれほどではなかったというのが耐えるのには拠り所になっていたですね。
オジイチャン、一つ乗り越えるごとに精神は強くなっているのかもしれない。
夜にはすっかり良くなって、お腹がすいたと冗談でもいえるようになっていましたが、さすがに再びの絶食開始。
(そして、いろいろまた繋がれた)
その夜はしっかり眠れて、翌日からの絶食(水とお茶はOK)を続けております。
そして、お医者からは「今は、薬でイイだけなんだかなんね」としっかり釘を刺されるすっかり元気になった気でいるPでした。
世間では、お盆ですね。
願い叶わず、家で先祖を迎えられませんでしたが、子供の誰かがじいちゃんばあちゃんを思い出してくれて、孫と一緒に手でも合わせてくれたらそれでよい。
あたしはここで、心経唱えましょう。
そして今日も、名古屋38℃とか言ってます。
子も孫も、どうぞ穏やかに過してください。
今のあたしの一番の願いです。
地震やら台風やらも、ニュースでやってます。
あまねく穏やかでありますように。
2024 7/22以後の俳句を記録
7/22 青天を 切り裂き遊ぶ 高飛燕(こうひえん)
青天を 突き抜け遊ぶ 高飛燕
一閃の 燕返しや 真夏空
我が四方(よも)と 自在に遊ぶ 夏燕(なつつばめ)
7/25 三方の 部屋の寝息や 夏の夢
苦しさを 寝言に変えて 夏の朝
丑三つを 押しつぶしたり 夏の熱
7/29 クーラーに 飼われて涼し 25℃
パリ五輪 我が病身の 脆さ(もろさ)かな
パリ五輪 諸行無常が 走り跳ぶ
7/30 髭剃りの 切れ味鈍し 夏無精
低圧室 世間の夏を 忘れおり
「大丈夫」 言葉清しき(すがしき) 彼我(ひが)の夏
励ましに 感あり 知己の夏疲れ
くだらない 笑い話ぞ 夏薬
8/2 薬剤の 一滴ずつに 生(せい)の夏
点滴の 雫(しずく)に見える 夏宇宙
「暑いらしい」 汗も毛も無き ガン患者
隣床の イヤホン漏れて 甲子園
行かぬ足 冷めぬ暑さや 一歩3秒
おばんです。
連投気味ですが、昨日のことを記録。
朝、いつものように4時ごろに目が覚めて、大広間で薄いコーヒーを飲んだ。
(まだ腸が弱いと思って、自粛中)
その後しばらく、これもいつものように窓の外の夜明けを楽しみながらボーとしてベッドに戻る。
と・・・胃が痛くなってきた。
お腹を冷やした時に痛くなる感覚なので、看護師さんに、アイスノンの温かいやつ(ホットポットといいます)を持ってきてもらって、お腹を温めてみた。
(これは過去にもにも経験済み)
前回同様にお腹に押し当ててじっとしてみるが、段々に痛みが広がって、やがて腹全体が痛くなって、さすがのあたしも耐えられなくなってきた。
で、まだ6時にもならぬ頃だと思いますが、看護師さんに現状報告をして助けを求めた。
取り合えず鎮痛剤を飲んで様子をみる。
・・・が、痛みはいや増してきて、あたしの限界に近くなってきた。
で、こんな早くに普通は何もないところが、なんとこの日は腹のMRIを撮る予定があって、それが7:30.
タイミングが良すぎて、腹の痛みの原因を探すにも良いということで、腹を抱えて悶絶するあたしは、俎板の鯉よろしく検査室へと運ばれてそのまま検査。
そしてこれが1時間ほどかかるとおっしゃいますの。
この時点で、気絶しそうな痛みに耐えておりますPですが、痛みの原因をさぐらねば対処もできぬと理解はしていますので、死んでもいいからと検査続行。
(後から思ったのが、死んだふりしたらどうなったか?・・・できんかったけど)
MRIは、検査中体を動かせない。(固定もされる)
それをおよそ一時間、うめき声をあげながら気絶しそうになりながら我慢しましたね。
(お前はよく頑張った。今度タバコとビールおごったる)
何とか終わって、でも検査が終わっただけなので、対処の方法を得るまでこのままが続く。
それがまた、長い。
その上、朝のまだ9時とかそんな時間で、あたしは痛いのを我慢しながらただただ体を丸くして耐えるのだ。
それでもやがて、担当医などがぞろぞろとやってきた。
検査の結果も出ていないので様子だけを聞きにくる。
あたしの返事は全部同じ・・・
「痛ぇ~~~!痛いぇ~~~!痛ぇ~~~!」
実際、過去最強の痛みに、あたしは悶絶していました。
「もうちょっと、我慢してくださいね」
全員がそうおっしゃって、戻って行った。
看護師さんも入れ代わり立ち代わりやって来て、熱を測ったり血圧見たりとバイタルチェック欠かさず。
午後になってようやく、何か分かったようだ。
(この時も、悶絶度合いは変わらず、体温は38℃を超えていった。マジ、死ぬかもなと思ってました)
どうやら例のGVHDという原因で、免疫が勘違いをしてあたしの腸を攻撃しているのですが、今回薬の効き目が減ったのか?再び免疫が攻撃力を増してあたしの腸壁をただれさせているらしい。
想像できます?
あたしの腸の表面が、全体に皮がズル向けになっている・・・という絵づら。
ここはさすがに、「あぁ、ちょうですか」と冗談を言う余裕はなかった。
「痛ぇ~~~!痛ぇ~~~!」と呻きタダ耐えるしかなかった。
それでもお薬の点滴が始まったりし初めて、夕方頃、ようやく何となく1割、2割と、痛みが減っていったような気がしました。
夜の8時頃になったと思いますが、それでも痛みが半分くらいになったかな?
このあたりで、ようやく話ができるようになった。
バイタルも多少安定してきたようで、熱も37℃そこそこに落ち着いてきたようだ。
薬が効いているらしい、嬉し。
そんなことを思う余裕が出てきたですの。
まぁ、お医者たちも安堵したと思いますが、ありがとうございました。
おっしゃ!なんとか、生き残ったぜ!
この後、夜も更けたので、就寝。
まだ痛いですが、痛かったらこれを押せと言われて、あたしはいつもの大部屋で休むこととなった。
(手前のやつがボタンになっている)
中に痛み止めが入っていて、痛い時に自分でボタンを押してその薬剤を投与するという器具らしい。
看護婦さんが、「久しぶりに見たわ。前回移植患者さんがやったの見て以来」
という珍品らしく、他の看護師さんは、初めての方がほとんどでした。
で、痛けりゃ、何回押してもいいらしい。
まだ痛いから、その場ですぐに10回くらい押したりました。
そのせいか?やがて痛みも薄れていったのか?あたしはようやく落ち着いて眠りにつたようです。
明けてどうだろう、また4時くらいだったのかな?
すっかり体は疲れていますが、痛みは8割は取れていた。
これは大変うれしかったです。
のどが渇いていたですが、当然ながら完全絶食で朝の採血を待って、その後その結果次第で今後の方針も決まるようです。
しばらくして採血、そしてまたしばらくするとお医者登場。
少しなら水かお茶を飲んでもいいですよということで、机の上の常温の水を少しだけ飲んだ。
・・・あぁ・・・甘露!
バイタルはすっかり平常に戻ったようで、翌日の本日、これを書いています。
過去最強の痛みに耐えたというお話。
自分をほめると同時に、お医者や看護師さんに大変お世話になりましたことあらためて感謝しています。
本当に、ありがとうございました。
余談
痛い時は、何度押しても良いといわれたこいつ。
その履歴が、パソに残されているらしく、あとになって懇意の看護師さんが来て言うには、
「ニーミさん、この時10回くらい押してますね。あにょね、この機械、一回押すと15分間たたないと2回目が押せないようになっているんです・・・よほど痛かったんですね。」
と意地悪ババァみたいな顔をして、笑って見せた。
う~む・・・今になって笑い話で済んでよかったと、正直思います。
また命拾いました。
ありがとうございました。
おはよ。
今日も早起きのため、早朝よりブログです。
ちょうどカギロイの頃というのかな?東の空にチラチラと光が見え隠れしています。
カギロイ・・・日本語、エエね・・・好き。
さてブログ。
相変わらずの治療生活で小さな変化はありますが、大勢として変わりがない。
その上で、その中での小さな出来事を最大限楽しもうとするあたしがいたりして、それだから何とかあたしの精神衛生も保たれていると思っています。
格別、FBなどからの知人友人からのご声援は何よりのモノで、お医者の薬と同様の大変な効果がありまして(時として、それ以上の)、有難くいただいております。
ありがとうございます。
そしてもう一つ。
いつ治るかわからぬ長期の療養生活(とはいえ、前回の8カ月ほどのことはないとは思っています)と聞かされていますので、その先が見えぬことへの我慢の限界というものもありまして、それの対処として、先の移植の時にも半分切れ気味に先生に直訴しましたが、今回も「お盆までに、あたしは退院しますので、よろしくお願いします」と担当医に言ったった。
あのね、治療のための入院というのは理解していますが、それは実は、一日一日寿命が減っているともいえることにあたしは気が付いていたのでした。
考えても栓ないことなのですが、これも自然な感情の発露なので、理性で止められなくて自分に嘘もつけない。
それが言葉になって、大変正直に素直に、それの実現のための最短の方策として、担当医に直訴するという実行に出た。
医者泣かせ 勝手に盆を 退院日
「かなわんなぁ」 医者も笑って 盆を待つ
「言霊ね」 日焼け知らずの ナース言う
前回と同じ展開なので、お医者も慣れたもので、
「ニーミさんなら、やりますね」と半笑いで応えてくれました。
このM山先生、あたしの受け持ちに3人お医者がいますが、唯一前回もあたしの直訴に目を輝かせて「頑張りましょう!」と言ってくれた先生。
患者は、こういうのが何よりの力になる時があるんだよ。
ということで、先生、よろしくお願いします。
あたしは頑張りまっす!
この意思や われは主体か? 熱帯夜
生きて会う 飲んでやろうぞ 盆の夜
母は笑み 父は仏頂 盆の顔
馬牛(うまうし)は 野菜そのまま 盆供養
体はベッドの上ですが、心は自由に遊ばせて今ながらの生命を楽しみたいと思っています。
あら、もう一時間過ぎた。
随分明るくなってきました。
今日も雲が広いです。
地の夏を 引きずり進む 大雲塊
あまねく穏やかでありますように。
ありがとうございます。
追伸
暇に飽かせて、グーグルフォトの写真を、現在からずーっと遡って一枚ずつ見てやった。
家族中心、人中心で、あたしの歴史の一コマを待機画面に残していたらこれだけになった。
今度はこれをネタに何か書いてやろうと思います。
うちの冷蔵庫に貼ってある、兄妹3人。
あたしはこれが大好き。
(箸が鼻刺しとる)
長男のお食い初めも出てきた。(若っ!)
地元の望州楼(あたしと同期で、高校大学が同じ・昔からの料理屋)で高膳を取って家で、ex妻のご両親も呼んで、みんなでお祝いしたんだ。
おかげさまで、子供たちがみんな元気で何よりだと思っています。