メモ代わりに、連投。
昨日のこと。
最近救急で運ばれたというおじいちゃん(75歳くらい)。
突然首が痛くなって、歩けなくなってしまい救急車で運ばれたらしい。
それでいったん他病棟にいたのが、4日目くらいにこちらに移ってきたようだ。
何の病気か?あたしは知らないし、お医者との話を耳にするにつけ、首と肩が痛い以外自覚症状がなくて、結構に元気に話すし動く。
で、昨日、担当医師とここまでの経緯を、救急車で運ばれる前から聞かれていて、細かいところまで覚えていることを話してそれに答えていた。
しばらくしてお医者が帰って、多分30分ほど、彼は横になっていたのだと思う。
突然「すみませ~ん」と彼が叫んだ。
しばらくしてもう一度、「すみませ~ん」と聞こえるものだから、あたしがナースコールして看護師さんを呼ぶと、彼は「どうしたんだ?なんだここは?」と一人で不思議がっていた。
どうやら寝ぼけて、一瞬、記憶が飛んだのかとあたしは思った。
が、どうも様子がおかしい。
看護師さんが、「トイレですか?」と聞くと「うん」と行ってトイレに行こうとするが「場所がわからない」と答えて動けない。
その後、「ここは32階だね」とか「工事の音が大きいね」とか、およそ己の別世界にいるようでした。
一旦は再度寝床に着いたようで、また一人になって、食事の時間になってそれが運ばれてくると、また彼が「すみませ~ん」とナースコールを押すこともまた忘れて人を呼んでいる。
そして看護師さんが来て彼が言った。
「ご飯がない」
で、看護師さんが気付くのだが、彼の目の前のテーブルにそのご飯が置かれている。
それがわからない彼でした。
格別暴れるとかそういう事はないので、こちらに大した被害はないのですが、それでも目の前のおじいちゃんが一瞬で壊れるのを見て、これをボケと言っていいのかわかりませんが、こういう形で突然なるということを知りました。
その後も、彼の中の世界に彼はいますが、対人的には看護師さんと普通に話します。
ただ、クスリを飲めと言われれば飲むし、点滴だと言われれば受けるし、体温が高いと言われれば「困ったねぇ」と答えて普通の会話と変わりませんが、元々の自分が今何でここにいるのか?ということを不思議がっている節があります。
元気のいいおじいちゃん、無事に過ごされることを祈っています。
(一人で歩いてはいけません、トイレも呼んでくださいとナースに言われて、今も「おしっこです」とナースコールで答えながら、一人でさっさと歩いて行ってしまいました。まぁ、元気なんだな、きっと)
以上、メモ。
こんばんは。
珍しく、夜に書きます。
前回からあっという間に一週間が過ぎたのですが、まぁ体の方は相変わらずというところで、ただ、血液検査などの数値を見る限り、GVHDの下痢の症状以外は格別悪くなくて安堵しています。
お医者からも毎度「時間がかかりますけどね」と、諭されておりまして、あたしもそれながらに時間がかかることは覚悟しておりますが、それでも早く退院したいのは人情で、そこは何とはなしに、お腹をさすりながら「早く良くなってね」と念じたりしております。
と、そんなこの頃。
昨日は、大変珍しくというか、初めて面会者が現れた。
お一人目がこちら。
遠く鎌倉からおいでになりました三神さん。(まぁ、本人の許しは得ているから名前出し)
何とも不思議なご縁のこの方ではありますが、あたしがお肉を通販で買うところのしゃっちょうさんで、今はそれにとどまらず八面六臂のご活躍をされておられますご仁です。
https://sano-premium-italian.com/
で、忙しい体で、こんなジジィのためにわざわざ来なくていいと言っているのに、来てくれた。
10:00頃、あたしの予定が開いている頃を見計らってご来院いただき、一般の休憩所の椅子に腰を下ろして初めての邂逅を喜んだあたしでした。
At last ! のあたしの開口一番のあいさつで握手。
・・・でっかい手!
そしてハグ!・・・でっかい体!
ただ、全く圧は無くて。それはそれは優しく穏やかな彼でした。
一般の休憩するところのソファーに二人腰を掛け、しばらく談笑。
初めてなんだけれど、何かしらん、既知の友みたいに話して大変楽しかったです。
20分ほど一緒だったのか?やがて彼と別れます。
またまたでっかい体で握手とハグをして、彼は次の土地へと向かっていきました。
三神さん、お見舞い本当にありがとうございました。
お目にかかれて嬉しかったです。
あなたからエネルギー存分に頂きました。
治療、頑張ります。
ありがとうございました。
という午前を終えて、午後。
今度は、あのご夫婦が、定休日だということで時間を作って、お越しくださった。
この頃のことに、お母様が多少手間がかかるようで、特にみずちゃんが大変らしいですが、それでもご主人の直木さんと一緒に会いに来てくれた。
(改めて、そっくりな夫婦になってきたなと感じた時でした)
あたしが病気になってから、もちろん初めて。
だから、一年近く会ってないかもしれない。
まぁ、相変わらずのお二人で、それは仲良くて楽しいご夫婦でした。
「ぴかさんへのコメントに、気を使っているんだよこの人」
と、こっそり教えてくれるみずちゃん。
いつもあたしとFB上で毒付き合っているのですが、そんな彼のあえての心づくしを、あたしはいつも感謝して受け止めております。
直木さん、ありがとうね。
そしてみずちゃん、ありがとうね。
あなた達の励ましで、ますます退院への意欲がわいてきます。
ジジィ、まだまだ頑張るから、また遊んでください。
よろしくお願いします。
本当に、ありがとうございました。
今日は、カプセルカメラ再びで、その後の小腸の様子を調べたようです。
下痢のせいで肛門が痛いのもつらいですが、なぁに、移植のあの時を経験したあたしには大したことではない。
(むくみも相変わらずひどいですが、これも我慢できる範囲です。歩けないのがちとつらいけどね。)
お医者を信じて乗り切るだけと、意外に心は軽いです。
でもね、早くコウヤにご飯作ってやりたいなとかあるのも事実。
ここは焦っても仕方がないから、お任せの時間を過ごします。
皆様のおかげで、穏やかに過ごしております。
その分、皆様が穏やかに過ごされますようにとも念じています。
この時期、お体だけは、どうぞどうぞお大切にお過ごしください。
ありがとうございます。
こんばんは。
夜中の3時です。
目が開いてどうしようもないので、ブログ、書きます。
一昨日、お医者の許可が出て、19日目にして流動食から解放された。
当初、少しずつ食べられるものにしましょうかね・・・という感じだったのですが、いざ実食となりましたら、
翌朝から、いきなりこれが出た。
据え膳食わぬは男の恥でございますから、ありがたくいただきました。
(本人、いきなり食えるか?と思っていましたが、食えるもんだね)
ただ、その後しばらくは、やはりというかななんというか下痢が治まらずに、半日トイレを行ったり来たりしましたよ。
それでも、こうしたご飯が食べられる判断をいただいたということは、あたしがそれなりの回復をしていると見立てられたと思うと、それは嬉しいのであります。
で、その日は3食、ご飯こそお粥ですが、しっかり献立通りをいただきまして、明けて翌日の昨日。
この日は大腸カメラがありまして、朝からまた絶食の上こちらを飲んで、昨日食べたものを全部排出するという、直木さんいうところのイジメみたいな行事が続きました。
これが大変まずい。
過去にも3回やりましたが、同じものながら、今回は格別不味かったような気がしました。
それでも、治療のためなら仕方がないので、9時から11時にかけておよそ1.5Lをゆっくり飲む。
飲んでしばらくすると、すぐ便意が表れてトイレへ。
これを10数回繰り返すと、便が透明になって、診察におあつらえ向きとなるのですね。
一応準備が整ったと検査部に報告はいったようですが、他の患者との調整もあり2時間ほど後にいよいよカメラ。
この頃になると、朝昼食べてない上に例の下剤で疲れてしまっていましたね。
それでも車いすに乗せられて、検査室へ。
前回カメラで初めて麻酔なしをやったらめっちゃ痛かったので、今回は麻酔でカメラだよ。
・・・
知らんうちにあっという間に終わって、半分寝ぼけながら部屋に戻りました。
その後も眠くて半寝しながら、そのせいで今午前3時の丑三つ時に、棟の応接室でこれ書いてます。
良い結果を願っています。
前回のおじいちゃんに続き、もう一つあたしの気にとまったことがある。
当然ながら、入院している人がいずれ退院していかれます。
そんな人たちの中に、たまたま同室の誼(よしみ)もあり
「ご退院、おめでとうございます」
と声を掛けますが、中に、
「退院したくないんだ・・・」
と、愚痴のようにおっしゃる方がいる。
どうやら、家に帰っても誰もいない、世話をしてくれる人もいない、頼む人さえいない・・・という理由があるみたい。
なるほど、そういうこともあるだろうと、あたしはようやく気付くのでした。
(あたしなんざ退院したいばっかりだから、つい「おめでとう」になってしまうのね)
そしてまた考えた。
図らずもそうなった人もいるだろうが、わかっていながらそうなるべくしてなった人もいる。
自己責任とかを言うつもりはなくて、それは本当に、なりたく無くても体がそう動いてしまうとか、障害があるとか、言わなくてもいいことを言ってしまうことを抑えられないとか、いろいろあるですね。
で、退院したのちに困る自分がいるから、退院したくないという結論。
さて、どうする?
・・・わからん。
一つ期待できるとすれば、政治力。
つまり、望まぬのに萬止むを得ずそうした人は、政治で救うしかないかもと思うのでした。
関係ない話を一つ。
小学校くらいかな?
家族で晩御飯を食べていて、何かの拍子にテレビかで可哀そうな捨て子の絵が映った。
それを見て、助けてあげたらいいのに・・・とあたしが言うと、父が、「芭蕉は、その子を見捨てた」と言った。
つまり、旅の途中で芭蕉さんが捨て子を見つけたときに、およそ世話ができるはずもなく、その子の生い立ちこそ恨め、その子に罪はなく、それをひっくるめて許せと念じながらそこを立ち去ったというお話を、父がしてくれた。
子供心にこれはある種、良い教訓になったと思っています。
まぁ、そういう事が、この退院患者にも当てはまると思うのね。
だから、国家とかという単位でないと対処できないことかと思うのでした。
そんなことを考えながら、あたしは幸せである・・・という結論でした。ちゃんちゃん。
あたしが幸せなわけの、一部紹介。
少し前の長男からの便り。
とっとと元気になれというのが、長男らしい。
次男は良くやり取りしてますが、一人でダイエット頑張ってます。
随分頼りがいが出てきました。
琴美ちゃん。
全方位に馬力の違いを見せつけております。
そんな琴美ちゃんに、いつも助けられています。
琴美ちゃん、ありがとう。
まだまだたくさんのご縁のお陰のあたしですが、それがまたあたしの幸せの原動力でもありますの。
みなさん、ありがとうございます。
早く退院して、みんなと遊ぼう。
よろしくお願いします。
こんにちは。
もう6月も終わろうとしていますね。
今のあたしは、日付も曜日も関係ないような生活になっていますので、まして室内で温度の変化も感じられないから、下界の肌感がありません。
3畳ほどのカーテンで区切っただけの部屋のベッドの上で日がな一日を過ごしますので、尚のこと変化がない。
だから暇で退屈と言えますが、そう言いたくないあたしもいますから、壊れない限り使える脳みそで思考することを楽しみます。
とは言え、こんな楽しみが来たりもする。
孫3号の誕生日の写真。
そして、
次男が、お母ちゃんと飲んで、あたしの応援にいい気分で塾歌を歌ってくれた。
(よく覚えたもんだ)
みんな、ありがとう。
さて、前回の続きにもなりますが、しばらく考えていたこと。
会ったその日の夜に,水を飲みたいと言いながらかなわず亡くなったおじいちゃん。
彼が幸せだったかどうか?は、あたしが関知するところではないと思いますので、それはそれとして、さて、あたしだったらどうであろう?と考えた。
その末期の瞬間だけ、飲めぬ水に念を残して逝くのであろうか?
はたまた、しょうがねぇなぁ・・・と達観できたのか?
それもまた、その時のあたしの精神状態とかもあるであろうと思いますが、ただ一つたぶんそうであろうと思ったのは、あの場面を救うのは、死ぬこと以外なかったのではないか?ということ。
彼の不本意は、もしくは痛み辛さは、死ぬことで解放されたのではないか?ということ。
となれば、死は決して忌避するものではなくて、むしろ魂の解放への手段だったともいえるのではないか?
どちら様にも理解いただけると思いますが、何より辛いのは、病気であるという事よりも、痛い辛いという事実的な痛み。
それをまず取り除くことが、当人にとっては喫緊となる。
死んでもいいから痛いのを取ってくれ・・・とさえ思うの、わかっていただけるかな?
今回の場面で、それをあたしは実際に見たような気がします。
死にたいわけではないが、死んだほうがいいくらいの辛さもあるという事。
精神的な痛みも含めて、それはあるとあたしは思うのだな。
元に戻る。
あのおじいちゃんがあたしだったらという思考の結論。
あれはあれで、なるべくしてなったのだと思う。
だから、そうならないように、極力入院しないようにする。
(救命はしていただくが、延命は避けたい)
そうなっても納得いくように、今できること、やりたいことはやっておく。
家族の負担も考えれば、最後見取りの場所で死ぬということは、悪いことではないと思う。
・・・
というようなことを、つらつら考えておりました。
子供たちへ
父の取り扱いは、こんな風にしていただけたらありがたい。
よろしくお願いします。
こんばんは・・・というより、おはようございますの24日午前4時。
@病院7階の病棟応接室。
早すぎて誰もいないから、よくこの時間にここにきて朝明けの窓外を眺めるのが好きですが、さすがに今日は早すぎてまだ暗いや。
さて、思い立って今朝はこちらから初めてパソを持ち込んで、ブログを書いてみようと思います。
いざ。
閉鎖空間となっていますこの病院というところですが、かつて申しましたように、あたしが言うところの光はないのですが(少ないと言い換えたほうがいいかもしれない)、それでもいろいろなところで気付きはある。
この頃目にした他人様の投稿で、「入院したけれど、医療の様子がひどい」というものがあった。
医療も一律ではないから、出来の良いところ悪いところ、得手のいいところ悪いところがあるのかもしれないとは理解できる。
ただ、あたしもそうであったけれど,急な入院とか対処できるのがソコしかないという場合もあって、これは選択の余地がない。
今回の投稿主もご主人が事故だそうで、救急に入られたところがそういう対応なのを嘆いておられた。
今は、ご快癒と早期の退院を念じておりますが、それはそれとして、比してあたしのこちらは十分に満足のいく体制だと思います。
それでもよく見ていると、その理由というものがわかってきたりもする。
一つ気付いたのは、ご本人たちがどう思っているかはわかりませんが、お医者や看護師さんたちの努力というのか献身というのか?そういうものの上でようやく成り立っているという事実。
つまり、患者の尊厳をどこまで理解して対処できるかの精神的技術的な高度なことを、ここの看護師さんたちなどは十分に合格点というところでやっていると思うのですが、ご本人たちの精神的体力的な負担はそれは多大なものであろうとも想像できます。
それゆえ、ここの看護師さん(特に女性)に、年配の人が大変少ない。
若い女性が多いのはおじいちゃんにはありがたいですが、そうでないと務まらないハードさがあると思うのでありました。
「だから、患者の相手がぞんざいになっても仕方がない」という理屈は当てはまりませんが、負担のなるべく少ない範囲で、長続きする程度のお務めの中で、この患者の満足度、医療の高度さを保っていただきたいと切に思うのでありました。
ちなみに、患者もいろいろで、ものすごくわがままを言う輩もいる。
それでも献身的に対処する彼女たちには頭が下がるのですが、そこまでせんでもええだろう?と思うところもあってたまに進言したりすると、彼女たちは黙ってしまう。
そこは、先輩というのが指導するといいなと思ったりしますが、先の通りに先輩があまりいないから、直近の若い先輩がお手本になっていて、その為に過剰かもなとも思える看護?をすることになっているのかもしれないと、理解しているところもあるのでした。
次。
入院が長かったから、いろいろなシーンに出くわしました。
楽しいこともありましたが、
心に深く残っているのは、こんな場面。
3カ月ほど前かな?
部屋の移動があって、個室から大部屋に移った。
それくらい、あたしの症状は改善してきたのだろうと思っていた。
その4人部屋に、一人おじいちゃんがいた。
およそ動ける様子もなく、御一緒したその時点から何やら念仏のようなものを寝たままでゴニョゴニョ口籠っていた。
で、相当のお年のようだし、半ボケのおじいちゃんが訳もわからぬことを一人口しているのかと思っていたら、たまに看護師さんが見回りにやって来た時にハッキリしゃべるのを聞いて、それがなんであるのか理解した。
このおじいちゃん、水が飲みたかったのだ。
ただ、病気のせいかお医者から止められているらしく、看護師さんも「飲ませてあげられないんです」と答えていた。
そして・・・その夜おじいちゃんは、亡くなった。
・・・
これは一体なんであるのか?
その時のあたしの、咄嗟の感情でしたね。
事の良し悪しを言うつもりはない。
それぞれの立場で、それぞれが良いと思った結果であった。
が、あたしは今一つ釈然としない何かがいまだに残っている。
人間の尊厳というものの扱い。
あのおじいちゃん、今生、幸せだったんかな?
そうでありますように。
それがずっと残っています。合掌。
さて、この頃も変わらず、あたしゃ入院生活が続いておりますが、下痢も相変わらずでその上に投薬のせいで浮腫みもすごい。
足首以下が象の足になりまちた。
足首が膨れすぎて曲がらないから、歩けないヨ。
これが結構つらいのよ。
でも、リハビリ頑張りまっす。
これも見せちゃおう。
ドン!
心電図みたいなの二つ付きの、サイボーグP。
どや、カッコエエだろ?
そして、とどめだ!
オムツだよ。
腸がGVHD(二つの免疫が体の中で軋轢を起こして調子の悪い状態になるのだ)で、それが下痢の原因らしいのですが、便の量を計るのにオムツで便を取ります。
もうすっかり慣れました(当初は大騒ぎ)・・・エヘッ!
絶食も10日を過ぎまして、固形物を10日間食べてないよ。
味覚障害もあるから美味しいものが食べられないとわかっていますが、おなかが頼りないのだな。
2日前から腸の練習にと言われて、飲み始めたのがコレ。
顆粒のこいつを、朝と昼、お湯で溶かして飲む。
甘いです。
一日、朝昼、100ccずつ飲みます。
それで腸を鳴らしているらしいです。
あぁ、ちょうですか?・・・はい、ちょうです。
(最近身内で、腸ネタが多いな)
・・・
あ、夜明けだ!
さて、今日もおじいちゃん頑張りまっす。
いつもながらの何の役にも立たぬブログですが、ご高覧いただき、ありがとうございました。
どうぞ、あまねく穏やかでありますように。