こんにちは。
昨日、一週間の回想を書き上げたところで、いざネットに揚げようとした際に押すボタンを間違えたらしく、全文が一瞬で消えた。
大変悔しがりましたが、再度書く気力がなく、今日改めて書く。
昨日は飲んでいて調子が良かったんだがな・・・(あほ)
さて、再記。
この頃朝の散歩に精を出しております。
昨日もこんな。
時期的に、暑くもなく、桜なんぞを見ながら歩を進めるというのは、なかなか良いものなのだ。
それでも、1時間半から2時間歩いて、飽きてくるあたりがある。
そんな気分も大事にしているから、毎回同じくらいの距離になる。
もともと、冬の運動不足のせいか?腰が痛くなってきて、その予防のためもあるから、気持ちの良いところでやるというのはそれで良いのだ。
腰が少し丈夫になった気がします。
続けたいと思います。
帰宅後一休みして、定休日の本日は、住人のいなくなった隠居屋敷で、父母の持ち物整理をしてみた。
父にとっては遺品整理とも言うべきもので、一般的な鍋釜・食器・普段着などの日用品は姉たちのお陰もあって大方片付けたのですが、最大のお荷物が・・・大量の本!
ドン!
そして、ドン!
こんなのが、これの3倍くらいある。
文庫本や一般的な単行本なら、一からげにしてやすやすと捨てられるのですが、中にはこんなのもあるのよ。
(いつのものかもわからない)
俳句の求道者だった父ですから、こんなのもあったりする。
(俳句雑誌アララギの第一号とか、馬酔木とか・・・子規さんが見たら、泣いて喜ぶとおもわれた。)
そして、実はこれだから大変困るあたしでした。
かつて、地元の図書館に引き取っていただけないかと相談したこともありましたが、どうやら一般人からの引き受けはできないらしいと言われた。
どうしたものかなぁ・・・、しばらく考えてみます。
こんなものを眺めながらですが、楽しいこともあるんだよ。
父が存命のころのいろいろを思い出したりします。
少し父のことも書いておこう。
大正8年生まれの父。
戦後、旧国鉄に入って、名古屋でお勤め。
主計局の責任者になったあたりで、「静岡駅の駅長をやらないか?」と声がかかった。
栄転だったらしい。
が、父はそれを断った。
父いわく、呉服屋を切り盛りしている母と子を置いて、とても赴任できない。
当時のお役所は、年功序列のヒエラルヒーがあって、上が退かないと下が上がれない。
ということで、辞令を断った父はすっぱりと退職。
このとき、父53歳。
53歳で無職の父・・・どうでしょう?
その後、家にいることになるのだが、呉服屋の3男坊でありながら、このお方、商売にはまったく向いていなかった。
ということで、決算書を作るくらいが父のお仕事となりました。
それでも、昔の夫婦だから、母が何か文句を言ったかというと、そんな場面を見たことがない。
そして父は、好きな俳句の学求の徒?よろしく、日がな一日、自分の集めた本の中に埋もれるようにして、今は無き以前の家の2階の書斎で勉強しておりました。
お陰で、安普請もあったでしょうが、家の柱が本の重みに耐えかねて座屈しておりましたね。
(柱の土台部分が、押しつぶされていたのでした)
新しく隠居を建てる際に、「本の重さにだけは耐えられるように」と父が要望していたのも思い出しました。
とまぁ・・・そんなことがらや、父と母の姿を思い出して、楽しんでいたりもしたのです。
実は、本も本ですが、もう一つ、抹茶茶碗(その他陶器)が大量にある。
これも父の趣味だったのかな?
こうして、あたしは、父のお荷物に振り回されることになるのでした。
まじ、やばいっす!
誰か欲しい方がおられましたら、全部差し上げますので、よろしくお願いします。
次。
令和の元号の発表があったからではないですが、かねてより考えていたことがありましたので、それを実行する。
これまでの週休二日から、火曜日も休みとして、週休3日とする。
だんだんわがままになるあたくしでございました。
どうぞ、よろしくお願いします。
こんな一週間でしたが、ますます春めいて、田んぼもそろそろ動き出します。
おかげさまで、ばあちゃんも元気です。
毎日を、楽しみたいと思います。
どちらさまも、穏やかであられますようにと祈りつつ・・・
ありがとうございます。
(ますますヨロヨロしてきましたが、まだ元気です。もも)
昨日、一週間の回想を書き上げたところで、いざネットに揚げようとした際に押すボタンを間違えたらしく、全文が一瞬で消えた。
大変悔しがりましたが、再度書く気力がなく、今日改めて書く。
昨日は飲んでいて調子が良かったんだがな・・・(あほ)
さて、再記。
この頃朝の散歩に精を出しております。
昨日もこんな。
時期的に、暑くもなく、桜なんぞを見ながら歩を進めるというのは、なかなか良いものなのだ。
それでも、1時間半から2時間歩いて、飽きてくるあたりがある。
そんな気分も大事にしているから、毎回同じくらいの距離になる。
もともと、冬の運動不足のせいか?腰が痛くなってきて、その予防のためもあるから、気持ちの良いところでやるというのはそれで良いのだ。
腰が少し丈夫になった気がします。
続けたいと思います。
帰宅後一休みして、定休日の本日は、住人のいなくなった隠居屋敷で、父母の持ち物整理をしてみた。
父にとっては遺品整理とも言うべきもので、一般的な鍋釜・食器・普段着などの日用品は姉たちのお陰もあって大方片付けたのですが、最大のお荷物が・・・大量の本!
ドン!
そして、ドン!
こんなのが、これの3倍くらいある。
文庫本や一般的な単行本なら、一からげにしてやすやすと捨てられるのですが、中にはこんなのもあるのよ。
(いつのものかもわからない)
俳句の求道者だった父ですから、こんなのもあったりする。
(俳句雑誌アララギの第一号とか、馬酔木とか・・・子規さんが見たら、泣いて喜ぶとおもわれた。)
そして、実はこれだから大変困るあたしでした。
かつて、地元の図書館に引き取っていただけないかと相談したこともありましたが、どうやら一般人からの引き受けはできないらしいと言われた。
どうしたものかなぁ・・・、しばらく考えてみます。
こんなものを眺めながらですが、楽しいこともあるんだよ。
父が存命のころのいろいろを思い出したりします。
少し父のことも書いておこう。
大正8年生まれの父。
戦後、旧国鉄に入って、名古屋でお勤め。
主計局の責任者になったあたりで、「静岡駅の駅長をやらないか?」と声がかかった。
栄転だったらしい。
が、父はそれを断った。
父いわく、呉服屋を切り盛りしている母と子を置いて、とても赴任できない。
当時のお役所は、年功序列のヒエラルヒーがあって、上が退かないと下が上がれない。
ということで、辞令を断った父はすっぱりと退職。
このとき、父53歳。
53歳で無職の父・・・どうでしょう?
その後、家にいることになるのだが、呉服屋の3男坊でありながら、このお方、商売にはまったく向いていなかった。
ということで、決算書を作るくらいが父のお仕事となりました。
それでも、昔の夫婦だから、母が何か文句を言ったかというと、そんな場面を見たことがない。
そして父は、好きな俳句の学求の徒?よろしく、日がな一日、自分の集めた本の中に埋もれるようにして、今は無き以前の家の2階の書斎で勉強しておりました。
お陰で、安普請もあったでしょうが、家の柱が本の重みに耐えかねて座屈しておりましたね。
(柱の土台部分が、押しつぶされていたのでした)
新しく隠居を建てる際に、「本の重さにだけは耐えられるように」と父が要望していたのも思い出しました。
とまぁ・・・そんなことがらや、父と母の姿を思い出して、楽しんでいたりもしたのです。
実は、本も本ですが、もう一つ、抹茶茶碗(その他陶器)が大量にある。
これも父の趣味だったのかな?
こうして、あたしは、父のお荷物に振り回されることになるのでした。
まじ、やばいっす!
誰か欲しい方がおられましたら、全部差し上げますので、よろしくお願いします。
次。
令和の元号の発表があったからではないですが、かねてより考えていたことがありましたので、それを実行する。
これまでの週休二日から、火曜日も休みとして、週休3日とする。
だんだんわがままになるあたくしでございました。
どうぞ、よろしくお願いします。
こんな一週間でしたが、ますます春めいて、田んぼもそろそろ動き出します。
おかげさまで、ばあちゃんも元気です。
毎日を、楽しみたいと思います。
どちらさまも、穏やかであられますようにと祈りつつ・・・
ありがとうございます。
(ますますヨロヨロしてきましたが、まだ元気です。もも)