こんにちは。
昨夜は次男がお泊りで、朝ごはんもお弁当もないのですが、やはり定時に起きてしまいましたお父さんです。
この頃、ももちゃんがまったく足が弱りまして、動けないから夜中にオシッコで何度も鳴く。
昨夜も4回くらい鳴いたかな?
それがたまに、すんなりオシッコでないときもあったりして、水を飲ませたり、ウンチかと思ってしばらく体を持ち上げておなかをもんでみたり・・・
そんなこんなのこの頃です。
それなら、こんなときこそ2度寝をすればよいではないか?と思うでしょ?
それが、あにはからんや・・・年寄りは、朝目が覚めてしまうと、再度寝られないのでした。(残念)
朝5時半に起きて、することがないから散歩に行った。
氏神さま経由で、もうすぐ代かきの田んぼまで。
う~む・・・もう、疲れてしまったがね。
帰宅後、有り合わせでご飯を食べて、録画しておいた「新日本風土記」を見た。
あたしゃこれが好きです。
さて、それも見終わって、久しぶりにヤギに会いに行ったろう。
美子ちゃんの竹林を目指すと・・・いた。
ユキもメイも、お元気そうでした。
丁度美子ちゃんもいたのでご挨拶をして、少しだけ、竹林からの竹の運び出しのお手伝い。
ものの30分もしないうちに、暑さでばてるあたしでございました。
散歩の後で、ビール飲んだのが敗因だったかもしれません。(あほ)
え~・・・思い出を、書きます。
考えて書くわけでもないから、思いついたことを書くだよ。
先日は、母の日だったらしい。
不出来のあたくし、母の日だからと母に何かした覚えがありません。
そんなことを言うと、お母ちゃんに、誕生日だからとか結婚記念日だからといって、何かした覚えがありません。
離婚の原因はそれだったのか?
まぁ、済んだこととして、お許しいただこう。
でね、ふと、こんなものが冷蔵庫に張ってあるのに改めて気がついたんだ。
読めるように、広げてみましたが、本来は1枚目を上にして張ってあります。
(ちなみに、その上にある可愛い画は、長女がたぶん幼稚園くらいの時に描いたものです。いつだったか、彼女の机の中に見つけまして、それ以後張ってありますの。)
なにげに気づいて、改めて、読んでみた。
・・・
思わず涙をこぼしてしまいました。
昭和4年生まれの母。
戦中派の、それでも教育熱心な親のお陰か、女学校を出ております。
それは後々彼女の自慢でした。
で、そんな母ですから、こんな字を書いておりました。
息子ながら、達筆だと思います。
(これを受け継いだのは長女で、次女とあたしは、字が下手)
文面からすると、あたしが53歳だから、9年前のお手紙です。
当時、彼女はすでに半身麻痺で、それでもお陰をもちまして利き腕は動いたので、こんなことも出来たのでしょう。
その上に、元来、大変筆まめな母でした。
5年分書ける日記を、何冊もずっと続けておりました。
そして、折りあるごとに、家族のみならず、ささやかなご縁の方々にも、それは丁寧に葉書を書いておりました。
(自分が動けないから、よく葉書や切手を買って来いと言われたのも、今では良い思い出です)
この一筆箋を改めて読んで、あたしの心の奥底から、グルングルンと湧き出してくるものがあるのでした。
そして、何より彼女の文章には、母から子への思いと共に、人としての大切なものがあるような気がしています。
箸が転がっても笑うという10代を、戦時に過ごした彼女は、どれほど笑ったのだろうか?
・・・
そんなことさえも思わせる、母の手紙でした。
今、93歳になるのかな?
施設に入って2年、今はコロナの影響で、面会も出来ません。
少し離れたところにいる次姉が、この前言うんだよ。
「週に一度、施設に来て、道路の端からおばあちゃんのいる部屋に向かって手を合わせています。・・・ヒマだからさ。」
ばあちゃんの薫陶、ここに生きておりました。
良いことを書いているつもりはまったくなくて、でも、この親のお陰を、あたしは知るのでした。
末筆ながら・・・
冷凍庫には、こちらが張ってあります。
(この横の紙の束は、彼女から頂いたレシピが満載)
こちらのご夫婦にも、あたくし、ただならず感謝申しております。
それに敬意をこめて・・・ありがとうございます。
(しおらしくするのが苦手なんだ・・・あなたたちをオチに使う・・・こんなあたしを許してください)
昨夜は次男がお泊りで、朝ごはんもお弁当もないのですが、やはり定時に起きてしまいましたお父さんです。
この頃、ももちゃんがまったく足が弱りまして、動けないから夜中にオシッコで何度も鳴く。
昨夜も4回くらい鳴いたかな?
それがたまに、すんなりオシッコでないときもあったりして、水を飲ませたり、ウンチかと思ってしばらく体を持ち上げておなかをもんでみたり・・・
そんなこんなのこの頃です。
それなら、こんなときこそ2度寝をすればよいではないか?と思うでしょ?
それが、あにはからんや・・・年寄りは、朝目が覚めてしまうと、再度寝られないのでした。(残念)
朝5時半に起きて、することがないから散歩に行った。
氏神さま経由で、もうすぐ代かきの田んぼまで。
う~む・・・もう、疲れてしまったがね。
帰宅後、有り合わせでご飯を食べて、録画しておいた「新日本風土記」を見た。
あたしゃこれが好きです。
さて、それも見終わって、久しぶりにヤギに会いに行ったろう。
美子ちゃんの竹林を目指すと・・・いた。
ユキもメイも、お元気そうでした。
丁度美子ちゃんもいたのでご挨拶をして、少しだけ、竹林からの竹の運び出しのお手伝い。
ものの30分もしないうちに、暑さでばてるあたしでございました。
散歩の後で、ビール飲んだのが敗因だったかもしれません。(あほ)
え~・・・思い出を、書きます。
考えて書くわけでもないから、思いついたことを書くだよ。
先日は、母の日だったらしい。
不出来のあたくし、母の日だからと母に何かした覚えがありません。
そんなことを言うと、お母ちゃんに、誕生日だからとか結婚記念日だからといって、何かした覚えがありません。
離婚の原因はそれだったのか?
まぁ、済んだこととして、お許しいただこう。
でね、ふと、こんなものが冷蔵庫に張ってあるのに改めて気がついたんだ。
読めるように、広げてみましたが、本来は1枚目を上にして張ってあります。
(ちなみに、その上にある可愛い画は、長女がたぶん幼稚園くらいの時に描いたものです。いつだったか、彼女の机の中に見つけまして、それ以後張ってありますの。)
なにげに気づいて、改めて、読んでみた。
・・・
思わず涙をこぼしてしまいました。
昭和4年生まれの母。
戦中派の、それでも教育熱心な親のお陰か、女学校を出ております。
それは後々彼女の自慢でした。
で、そんな母ですから、こんな字を書いておりました。
息子ながら、達筆だと思います。
(これを受け継いだのは長女で、次女とあたしは、字が下手)
文面からすると、あたしが53歳だから、9年前のお手紙です。
当時、彼女はすでに半身麻痺で、それでもお陰をもちまして利き腕は動いたので、こんなことも出来たのでしょう。
その上に、元来、大変筆まめな母でした。
5年分書ける日記を、何冊もずっと続けておりました。
そして、折りあるごとに、家族のみならず、ささやかなご縁の方々にも、それは丁寧に葉書を書いておりました。
(自分が動けないから、よく葉書や切手を買って来いと言われたのも、今では良い思い出です)
この一筆箋を改めて読んで、あたしの心の奥底から、グルングルンと湧き出してくるものがあるのでした。
そして、何より彼女の文章には、母から子への思いと共に、人としての大切なものがあるような気がしています。
箸が転がっても笑うという10代を、戦時に過ごした彼女は、どれほど笑ったのだろうか?
・・・
そんなことさえも思わせる、母の手紙でした。
今、93歳になるのかな?
施設に入って2年、今はコロナの影響で、面会も出来ません。
少し離れたところにいる次姉が、この前言うんだよ。
「週に一度、施設に来て、道路の端からおばあちゃんのいる部屋に向かって手を合わせています。・・・ヒマだからさ。」
ばあちゃんの薫陶、ここに生きておりました。
良いことを書いているつもりはまったくなくて、でも、この親のお陰を、あたしは知るのでした。
末筆ながら・・・
冷凍庫には、こちらが張ってあります。
(この横の紙の束は、彼女から頂いたレシピが満載)
こちらのご夫婦にも、あたくし、ただならず感謝申しております。
それに敬意をこめて・・・ありがとうございます。
(しおらしくするのが苦手なんだ・・・あなたたちをオチに使う・・・こんなあたしを許してください)
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