ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

東北ツーリング その5

2012-06-23 12:37:00 | ノンジャンル
こんにちは。

沖縄戦没者慰霊式典。

ちょうど今、NHKの中継で高校生の詩を聞いたところです。

過日の東北被災地がダブりまして、また涙が流れるのでありました。

忘れまじ・・・


さて、東北ツーリング5日目です。

この日は天気予報で、朝早い時間は天気が悪いながら、ゆっくりと回復するというようなお達しでしたので、少々出発を送らせて6時にユースをでました。

まずは、ここのそばにあります氏神様のお参り。

胡四王神社(こしのうじんじゃ)と申します。

それは、すぐ近くにあります。



鎮守の森にあるのだろうと登ってみましたが、20分ほど登っても現れない。

鳥居があるから、参道には違いないですが、おかしいなと思いまして引き返し、偶然出会ったオバアサンに聞いてみた。

すると、

「バイクなら、宮沢賢治記念館の横に道があるから、そこから行くとよい」

と教えてくださった。

お山をぐるっと回りまして、それらしい道を進みますと・・・



ありました。

生きとし生けるものが幸せでありますように

あまねく、穏やかでありますように

・・・祈りは同じです。


次に向かったのが、毘沙門堂

これも近くにあります。

ここには8世紀に作られた古いお堂があるというので、やってきました。



こちら。

東北というのは面白くて、地図を見るとよくわかるのですが、秋田岩手以北は、神社が少ない。

あったとしても、こういった大変古~いお社です。

藤原三代の頃の遺物ともいえますが、それ以後、宗教という形では栄えなかったのではないかとさえ思われます。

それは、もしかするとあたしが遠野で感じたように、人が生も死も含めて、自然物の一つであるということを当たり前として暮らしていたからではないだろうか?と思ったりしました。

草が時を得て枯れるように、ウサギがたまたまキツネに食われるように、己が命もそれまでという死生観において、求める救いは宗教ではないかもしれないな・・・

それは、河童のいたずらだったり、座敷わらしのご褒美だったり、そんなことの方がずっとわかりやすい辻褄だったと思えたのね。

さて、その後は平泉 中尊寺へ。

世界遺産だよ。

8時半ごろに到着。

丁度入口が開いた頃でした。

駐車場に亀太郎を止めて、境内へと入っていきました。

どこをどう歩いていいものか分からずに、まずは最初に出会った人に訪ねてみた。



境内には小さなお寺がいくつもありまして、その中の一つの社務所兼お土産売り場みたいなところのおばちゃんでした。

宝物館に行くと案内がありますよ」と教えていただいて、せっかくなのでここの御朱印を頂いて宝物館へ。

中には立派な仏様がおられました。(撮影不可)

そして、案内のパンフレットを手に入れてではと歩いてみます。

そのそばにあの有名な金色堂



五月雨を 降り残してや 光リ堂 (芭蕉)

それは美しい金色でした。

参道のままに歩いてみます。



10ほどもありますそれぞれのお寺にもお参りしまして、さて次へ。

そこで思い出した。

最初に出逢ったオバサンが、「モウツウジにも行かれるとよろしい」と言っていた。

そのモウツウジをナビ子ちゃんで検索してみます。

どうやら近いです。

ということで、急遽モウツウジへ。

こちら



毛越寺と書くらしい。

こちら本堂。



元々は、中尊寺よりも立派なお寺だったんです(8世紀頃の話ですよ)と、受付のおネイサンが教えてくれました。

中には曲水の宴が催されるような立派な池と築山がありました。

藤原の栄華をしのばせておりますね。

ただ、今となっては栄枯盛衰を知らされる風情です。

夏草や つわものどもが 夢の跡

無残やな 甲の下の きりぎりす


どこで作られた歌か知りませんが、そんな俳句が浮かんだところでした。


時間はありましてせっかくここまで来たので、見るところが他にないか?と地図を見ると、厳美渓と猊美溪という名所があるらしい。

で、行ってみた。

こちら、厳美渓



奇岩奇石の渓谷です。

しばらく歩いてみました。

すると、川の向こうからワイヤーを伝って、なにやらカゴが降りてきた。

ん?なんぞ?と思ってそちらに向かってみますと、カゴにはお団子が入っていて、川のこちらからあちらの団子屋さんに注文をすると、ワイヤーで川を超えてお団子を届けてくれているらしい。

テレビで観たことがありますが、こことは知らなんだ。



ここから(がっこうだんごと言うんだね)



これが届きます。(あたしは頼みませんでした)

いろいろな商売があるものですねぇ。


さて、次は猊美渓。

が・・・



ここは船でないと行けないらしい。

聞いてみたら、往復1時間半かかるという。

諦めまして、次の目的地へと向かう事と致しました。


次に向かうは、山形を通過しまして本日のメインイベントの立石寺

閑かさや 岩にしみいる 蝉の声

でおなじみのところです。

が、行ったことがないからただのお寺だと思っていた。

(相変わらず、あまり予備知識を得ていない)

それは・・・山でした。



山全体が山寺と称されたお寺になっておりました。

ボチボチと歩きます。



やがて、奥の院。



こんなところも。



谷の向こうにお堂があります。

まさしく修験のお山ですね。

山形に入りましたら、気温は一気に上がって27,8度あったんではないでしょうか?

汗をかきかき、お山をめぐりましたですよ。

しっかりとお参りをさせていただきまして、今日は山形市内の山形七日町ワシントンホテルに泊まります。

全国チェーンのワシントンホテルがここではユースも兼ねておりました。

5時前に無事到着。



すっかりくつろいだのでありました。

街を歩いてみたのですが、結局この日の夕食は・・・ラーメン。

それも、東京の有名店で修行したという人のラーメン。

山形の名物は、何なのだったのでしょうか?

そんなこんなで夜は更けていく・・・


本日の走行距離 320km

5日目 おわり。




東北ツーリング その4

2012-06-22 09:59:00 | ノンジャンル
おはよ。

今朝なんか、4時に起きちまいました。

あまりに早すぎると、フントに困る。

時間がありすぎて困る。

録画しておいたテレビでも観ればいいじゃないかとも思うのですが、朝からそんな気にならんのよ。

こういう時は、散歩が一番なんですが、実は先の東北ツーリングで、アタクシ首の筋を痛めたのでございます。

普段から首がこったりすると、左右に振ってコキコキやるのが癖なんですが、たまたまなにげにコキコキっとやったら、コキコキがグキッとなった。

そう・・・あたしはヘルメットをつけていた。

ヘルメットの思わぬ遠心力で、首の筋を痛めたのだ。(骨がずれたかもしれません)

その後、思うように回らぬ首で、なんとか帰還致したのでございました。

それが未だに治りきっておりませず、寝違えたかのような状態のままですよ。

それでも、こういうのは時間が経てば治るから心配はしておりません。

ただ、散歩に行くのはちょっと辛くて、尚のこと早起きがアダとなるのでありました。

あたしが起きたものだから、ももちゃんも起きる。

ももちゃんと二人で、なが~い朝を過ごしたのでありました。
(つい、年寄りのオカズを作っちまいました)


さて、その4です。

4日目、6月14日もシーツと枕カバーを入口に置いて5時出発。

今日は、十和田湖、奥入瀬渓谷へと参ります。

道中は長いですが、高速が通っているからどうということはない。

朝の気温が11度くらいで、これが昼になっても17度とかそれくらい。

しっかりと防寒をして出かけます。



途中のPAでの画像。


さぁここで、Pのファッションショー!(いらん?)

まずは、基本形。



Gパンにネルシャツ。

ただし、寒い場合は、この下にヒートテックの上下を着ます。
(東北では、ほとんど着ておりました)

これがバイクに乗るとなると、



基本形の上に、ジャンパーとオーバーパンツをまといます。

寒くない限りはだいたいこれでOK。

晴れていて少し寒くなると、



その上に、カッパの上だけまといます。

そして、雨となれば、



これでフル装備です。

なお、宿に入りました後には、



作務衣のズボンにTシャツとなります。

ちなみに、お守り勝負パンツは最後まで代えませんでした・・・臭くなかったヨ!?


話は元に戻って、

9時ごろには十和田湖着。

まずは、湖畔にあります十和田神社をお参り。



社守もいない小さなお社ですが、風情が良い。

神社には、森の緑がよく似合う。

精気が感じられる良いところでした。

昨日の記憶がまだ残っておりますので、今までどおりのお祈りに、尚「どうぞ被災者の皆様が穏やかでありますように」と心で唱えたとたん、訳も分からずボロボロっと涙がでてきた。

・・・自分でも驚いたよ。

あたしの涙なんぞ意味はないですが、ささやかな祈りが通じればありがたい。

(面白いことに、この後お参りをするたびに、あたしは涙を流すことになった・・・不思議でした)

お参りを済ませて、すぐそばの十和田湖へ。(歩いて3分)

ジャン!



高村光太郎の銅像がありました。

修学旅行と思しき女子学生の皆様(10人くらい)がおられまして、写真を撮っていたので、

「どれどれ、そこのオナゴ衆よ。せっかくだから、全員をオジサンが撮ってしんぜよう」

と声をかけて、カメラを構えていた子のカメラで全員をパチリ。

先にそう振っておいて、実は後からあたしを撮ってもらおうという魂胆なんだよ。

で、お願いしてみた。

「オナゴ衆よ、よかったら一緒にいかがかな?」

と声をかけたら、わーっと離れていきまして、なぜか逃げ遅れたこの子とパチリ。



あなたは良い人ね。

君の人生に、幸多かれと祈る。


さて、この後、すぐそばの新緑の奥入瀬へ。



初めても初めてなんだが、あまり前知識なしにやって来たPですよ。

どれくらいのものか、全く知らずにやって来た。

現地にくれば、観光案内とかあるだろうとも思っていた。

ところが、意に反して、思うような案内所が見当たりません。

とりあえず、これがどれほど長いのか?と亀太郎と渓谷沿いを走ってみました。

川に沿った道がどんどんと続いておりました。

どうやらこれが終点か?というところまで走ってみれば、その距離14キロ

う~む・・・歩いてやろうと思っていたが、ちょっと長すぎる。

歩けないことはないが、歩くと今日の予定がこなせない。

結局、渓谷沿いの思いついたところに亀太郎を止めて、めぼしいところを見て回ることにしました。

それでも、さすがの奥入瀬渓谷は、どこをとっても美しいところでしたよ。



一番下から上へと向かいますが、緩やかな川沿いがこんな景色。

左にチラッと見えるのが、散策道。

歩く人は、この道が最後までずっと続いているんだね。

ゆっくりと川を登っていきますと、変化のあるところにはそれぞれに立て札が立っていたりします。

それはこんなところ。



や、こんなところ、



散策をしている人も、たくさんおられました。

この頃の山ガールではないけれど、こういった自然の中を歩きたいという人は増えているんではないだろうか?

それが証拠に、道行く人のファッションが、すべからく山ガールファッションでした。



道標を見て、あぁ、青森なんだと実感。

やがて全てを回りましたので、記念撮影。



・・・ばか。

今度は、是非奥入瀬を全踏破してやろう。

そんなことを思いつつ、奥入瀬と十和田湖に別れを告げて帰路に着きます。


お昼ごろだったですね。

本日の宿泊地は、花巻

そこへ向かう途中、十和田から出てすぐのところにこんなものを発見。



うひひ・・・どうやら温泉のようです。

早速に亀太郎を止めて中へ・・・

・・・誰もいない。

大声で「ごめんくださ~い」と叫んでみた。

すると・・・

奥からオジサンが中へ来いと手招きをしている。

靴を脱いで中に入りました。

「やってますか?」

と聞けば、ウンウンとうなずいてくれた。

「いくらですか?」と聞けば、「:‘*+^~¥・・・」とおっしゃる。

東北弁で、「230円」という意味でした。

生粋の生東北弁でした。(聞き取れない)

大湯温泉というのだと思いましたが、これが気持ちえぇ~。

またまた一人でしたので、サービスショット。



あたしの旅の醍醐味ですよ。

ゆっくりとお湯に浸かり、再び亀太郎にまたがりまして、丁度ガソリンを入れなくてはいけませんでしたので、近くのスタンドへ。

そこで聞いてみた。

「どこか美味しいものはありませんか?」

しばらく考えて、そこの女性が教えてくれたのがこちら。



大当りのおそば屋さんでした。

これはうまかったなぁ。

お腹を満たして一路花巻へ。

3時ごろだったと思う。

そこから、こちらも行きたかった「宮沢賢治記念館」へ。



猫の事務員が出迎えてくれました。

中はというと、宮沢賢治の自筆の資料がたくさん収められております。

彼をよく知るものではありませんが、「永訣の朝」「雨ニモマケズ」「春と修羅」などの自筆を見るに付け、また、彼が2度の津波を体験していることを想うに付け、彼の言葉の奥深さを偲ぶのであります。

館外には、彼が設計したという花壇と花時計がありました。




・・・あぁ・・・今日も長いな。


良い頃合になりまして、本日の宿へ。

4時半、花巻ならの里ユースホステルへ。

宮沢賢治記念館からすぐです。



里山の一軒家という佇まい。

あたしと同じ年くらいの人に案内された部屋は、



ここで今日も一人です。

近くに食べるところがないものだから、こちらで夕食のお世話になります。

夕食時間の前に、かくしゃくとしたオジイサンがやってきまして、

「お茶をさしあげましょう」

とおっしゃる。

言われるままについていくと、それはそれは素敵なリビングに通されました。

木をふんだんに使った、立派なリビング。

そこでオジイサンは、あたしにお茶を振舞ってくれました。

大きな窓から里山の風景が気持ちよく広がる席を勧めてくれて、彼もまた、あたしの隣に座りました。



聞けば、84才のペアレントさん

玄関で応対してくれたのは息子さんだったらしい。

そこから彼の、あれこれを聞いた。

元々は獣医さん。

ご縁あってこの里山に移り住み、自給自足を良しとしながら、勧められてユースホステル開業。

が、齢を重ねると共に時代もまたユースホステルを必要としなくなった。

息子さんも、後を継ぐ気はないらしい。

呉服屋のあたしも、似たようなものです。

でも、彼のそれは愚痴には聞こえず、それながらを過ごしてきた彼の達観した姿が伺えて、あたしは嬉しかったよ。

やがて食事となりまして、ドン!



豪勢な食事でした。

「誰が作ったんですか?」

とあたし。

81才の家内がつくったんですよ」

・・・だって。

「野菜は全て、味噌も自前、そしてこれもボクが育てたんだ」

と言って、器のジュンサイを誇らしげに教えてくれました。

すげぇ~!

おジイチャンもおバアチャンも、どうぞ末永く穏やかでありますように。

そう念じつつ、ご飯を3杯お代わりして、全部平らげてやりました。
(苦しかったぜ・・・でも、食べ残せなかったぜ)


夜になり、息子さんが「温泉にお連れします」とやってきた。

おぉ。それは嬉しい。

彼の運転で、近くの浴場へ。(スーパー銭湯みたいなところでした)

それでも、サウナにも入り~の、ゆったりと温泉を楽しんで満足でした。

その後、寝返りを打つたびにギーギーと音を立ててきしむベッドで、安らかな眠りにつきますた。(部屋に一人でよかったと思いつつ・・・)


本日の走行距離 440km

4日目 おわり。


東北ツーリング その3

2012-06-21 10:18:00 | ノンジャンル
おはよ。

東北巡業?中、店の留守番電話にお客様からご注文を頂いておりました。

あたしが居なくても商売させていただきました。

ありがたいですね。

そのために仕入れた商品の値札を、朝から付けました。

早起きなものだから、することがなくて、ついお仕事をしてしまう。

ありがたいですね。


さて、値札を付けるといよいよ本当にすることがなくなりましたので、ブログを書きます。

このブログは、ひまつぶしを兼ねています。

では、東北ツーリング 3日目。


6月12日 この日も5時には出発。

勝手に目が覚めるのも事実ですが、実は早朝に出かけるのには訳もある。

ある程度の距離を走るとなると、まして、市街地を走るとなると、例えば朝のラッシュ時にぶつかりでもしたら大変効率が悪いのね。

まだ世間様がお休みのこの時間帯は、移動距離を稼ぐには大変都合が良いのだよ。

そんな理由もあり~ので、いつもながらの早朝の出発でした。


本日はいよいよ、津波の被害をもろに受けた地域を走ります。

昨日の松島から一般道となります国道45号線を北上します。

この道が、海沿いの道になるんだな。

仙台をでまして、三陸自動車道という高速を通って45号線へとつながります。

そしてまずは、石巻から少し内陸を走ってやがて南三陸町

それは、山を走ってきたあたしの目の前に突然現れました。



住居の基礎だけを残して、何もない。

それまで走ってきた道の両側には、見慣れた街の風景があったのにですよ。



平面の高さが同じだけ続くところまで、全て破壊されておりました。

咄嗟に浮かんだ言葉が「焼け野原

戦争体験者が言うところのこの言葉が、焼けてはいないんだけれど、全てを灰燼にされてしまったまっ平らな場所のこの光景から浮かんだんだな。

亀太郎を止めて、しばらく歩いてみました。









震災から1年以上経っていて、人の気配はなく、ガレキの撤去も進んでいて、それはとても無機質な印象を与えていましたが、ただなぜか空気だけは粘つくような気がしたのは、あたしの心象だったのかもしれません。

かつてエスミンがここを訪れたとき、「ぼくはカメラを置いた」と言っていましたが、記録するべきものよりも圧倒的なものがありました。

無残・・・

他所者のあたしですら感じるものを、あの日あの時ここにいた人たちはどうやって乗り切るのだろうか?

しばらく歩き回っておりましたが、やがて亀太郎にまたがりまして、逃げるようにそこを後にいたしました。

その後、高台にあります志津川中学校というところに立ち寄ってみました。

エバさんが支援のために社員を送っていると言っていたのは、ここではないかな?

そんなことを考えつつ校舎を覗いてみましたが、すっかりと平常の様子で、なぜか安堵したPでした。

ちょうど登校時でしたので、学生が麓からやってきております。



女の子二人にすれ違いざま「おはようございます」と声をかけてみれば、「おはようございます」と笑顔で答えてくれました。

おじさん、なんもでけんけど、がんばってね・・・と心でつぶやきました。


その後も45号線を北上。

海沿いの道路では、延々と同じような光景が続きます。



気仙沼を越えて、陸前高田へ。

ガレキの山・・・これがあちらこちらにあります。



そして、道から見つけた「奇跡の一本松



実際な~んにもないところに、一本だけあるから目立ちます。

良く生き残ったよなぁ、お前。

なおも北上を続け、小休止。

お伝えしましたように、海岸沿いにはとりあえず家がないから人がいない。ということで店がない。

そんなところにあるのはこんなところ。



プレハブづくりのローソンです。

寒いのでオデンで朝食。



(じつはあたし、コンビニのオデンを初めて食べました・・・おいしかったよ)


まだまだ走り続けまして、宮古市田老町までまいりました。

今日の海沿いの道はここが終点の目的地。



少し高いところからの様子ですが、これが道中、延々続いておりました。

・・・

南三陸町からずっと、あたしの頭の中では「般若心経」がエンドレスで流れておりました。


さて、田老町からは内陸に進路を取りまして、今日の宿泊地遠野を目指します。

そうそう、さっきも書いたけど、ちょうどお昼になった頃、ご飯を食べようと思ったんだ。

せっかくなら、被災の地でやっているお店があれば、そこで食べようと思っていたんです。

テレビでも、何度か仮設の商店街みたいなものを見ていたから、そんなものがあると思っていたんです。

でも、田老町には残念ながらなかった。

仕方がないので、しばらく走って、街中のラーメン屋さんがあったからそこで食事。



メニューに「ネギラーメン 復興支援特別価格」と書いてあったのでそれを頼んでみた。

ささやかでも支援できたらよいではないか・・・と思っていて、また後から気がついた。

聞けば、それは普段の値段より特別に安くした値段だったのね。

そんなことなら、普通のものにしときゃよかったと思ったPでした。


さて、長い話だな・・・

遠野につきましたのが午後3時過ぎ。

少し早く着きすぎました。

今回もナビ子ちゃんのおかげで、ピンポイントに到着したのがこちら



遠野ユースホステルです。

外見は大したことはないが、これが普通のユースです。

外にオッチャンがいましたので聞いてみた。(この人がペアレントさんね)

「何時から入れますか?」

「4時からならいいよ」

と言ってくださったので、少しばかり時間を潰そうとオススメのところを聞いてみると「ふるさと村」というところを紹介してくれた。

しばらくそこで遊びましょう。

ほどないところにそれはありました。



何をするところかというと、かつて柳田國男という人が「遠野物語」という本を書いていて、そこではこの地に伝わる多くの民話を紹介しているのです。

座敷わらしだったり河童だったり山男だったり雪女だったり、そんな人のすぐそばにいそうな妖怪もののけのたぐいの話が多いのですが、そんな話が生まれた理由が、実はこの遠野という土地に来て初めて理解できるのでした。



九州の阿蘇に近い気がします。

山に守られて人が暮らしている・・・そんな感じ。

そして、そんな人々の昔の暮らしを再現しているのがふるさと村でした。






昔ながらの家にはもいたんです。




4時を過ぎまして、再度ユースへ行き、入室。

と・・・入ってみて驚いた。

外観とは裏腹に、設備が大変整っております。

例えばお風呂。

綺麗なブルーの浴室に、ジャグジーが、そして、ヒノキの露天風呂が・・・

ただものではない気配。

そして、食事もここで頼んであります。

ドン!



食前酒にデザートまで付いてきました。

後から知ったのですが、ユースの番付みたいなのがあるらしく、国内で5本の指に入るのだそうな。

さもありなん。

まだまだいろいろあるんだが、あまりに長くなるから端折ります。


やがて9時。

寝床であたしは今日を振り返る。

津波で残酷な光景を見たあと、遠野に来てよかった。

この土地の穏やかな空気は、確かにあたしを癒してくれた。

何も考えずに、適当にルートを作ったまでのことでしたが、良くまぁこれほど見事な一日になったものよと、どこのどなたかは存じませんが、あたしはその方に感謝しましたです。

ありがとうございました。


本日の走行距離 280km

3日目 おわり。



東北ツーリング その2

2012-06-20 17:39:00 | ノンジャンル
こんにちは。

昨夜は台風で、家が揺れるほどでした。

ももちゃんはいつもながら、窓の外の風の音に怯えて、尻尾を股の間にしっかりと挟んだまま身じろぎもしませんでした。

今朝目覚めてみれば、ベランダの犬小屋が吹き飛んでおりましたが、それ以外は何事も無いようです。

とは言え、どちら様にも、穏やかに過ぎておられますように。


さて、定休日の本日は、朝からあちらこちらとやっつけ仕事でした。

それを終えて、ようやくただいま(午後6時)、こうしてパソの前に向かっております。

では、ツーリング二日目。


日光の初めての夜を過ごして目覚めたのは午前4時。

早起きはいつものことですが、なぜか大変気持ちが悪くて、吐き気がする。

そういえば前夜は、寒いなぁ・・・と思いつつ、床に入り眠りについたのね。

あら~・・・旅の初日で、風邪を引いてしまったかしらん? これはまいったなぁ・・・と思いながらも、次の移動が待っております。

なんとかなるところまで行って、その時はその時と腹をくくって、5時出発。

ユースホステルは、基本的にはチェックアウトの段取りは必要ないので、使ったシーツと枕カバーだけ玄関に置いて、勝手に出ていきます。
(もちろん、その旨は前日のうちに伝えてあります。そして、来た時と同じようにお部屋はきれいにしていきます)

亀太郎にまたがりまして、今日の目的地、仙台へ向かいました。

気持ちが悪いので、途中走りながら何度もウゲェ~とえづきつつ(えづくってわかるかな?)、さりとて胃の中は空っぽなのでなにもでません。

そんなことをしながら、東北自動車道のPAで休憩。(7時過ぎくらいかな?)



朝の早い時間ながら、食堂が開いていた。

気持ちは悪いけど、食欲はある。

ということで、ラーメンを食べてみたよ。(写真なし)

・・・うまいっ!

その後、気持ちの悪さは吹き飛びますた。

そこで気がつく・・・

どうやら、二日酔いの軽い奴だったようですね。

前夜、大して飲んでいなかったつもりでしたが、環境の変化に体が順応していなかったようです。

そして、これを教訓に、以後酒量はがくんと落ちます。

ただ、あたしはアル中ではないということが、証明されて嬉しい。

朝一のラーメンで、すっかり機嫌がよくなりまして、再び亀太郎と北上。

今日もお楽しみはこれからなのだぁ~!


長い道中、この日も曇り空で、やはりここまで来るとずいぶんと気温は低くて12度前後。

しっかりと防寒をしながら、こんなふうに休憩。



あったかい缶コーヒーがありがたいのです。

やがて、仙台が近くなってきましたのが午前9時。

実はこのそばに、天下の名泉「秋保温泉」があるのだよ。

高速を外れて、少し西に進路をとって、やがて秋保温泉につきました。

地図の上では、ここに「共同浴場」が印されている。

それは多分、地元の方々が集う浴場のことではないかと目星をつけて、ナビ子ちゃんに案内を頼みましたら・・・ありました。ドン



思ったとおりの佇まい。

そして、有難いことに、朝の8時からの開店だったようです。

入口のおじさんに、「入れますか?」と聞けば、「はい、300円」と言ってくれました。

300円を払って、どこからどう見ても異邦人のアタクシ、温泉に入ります。

ザブ~ン・・・あぁ・・・きもちえぇ・・・

冷えた体に、それはたいそう気持ちが良いのでありました。

たまさかあたし一人でしたので、記念撮影。



水戸黄門の由美かおるをイメージしていましたが、入口のドアにピントが合ってしまったようで、サービスショット不発。(いらん?)

のんびりと温まり、さて次へと向かいました。

宿泊地は仙台ですが、今日はまず、海沿いを走ります。

今回のツーリング目的の一番は、先の地震と津波の被災地を現場で見ることです。

その最初に訪れるのが、松島近辺。

ズンドコと走りますと、ドン



日本三景の一つ、松島が現れました。

これが松島か・・・と思いはしましたが、あまり感動はない。

海沿いの景色としては、例えば紀伊半島あたりの景色も、似たようなものかなという印象です。

そして、幸いだったのは、聞いてはいたものの、津波の被害はそれほどではなかったということのままに、街はいたって穏やかでした。

せっかくですので、名所と言われるところには立ち寄ってみます。



こんなところを通って、



こちらが、五大堂。(いわれはよく知りません)

そして、有名な瑞巌寺。(の入口)



ただ、



本堂は地震の被災で、修理中。

震災の爪痕を垣間見た気がしました。

お祈りをして、周りのあれこれも拝見しました。

お昼ごろだったので、そこらへんにいたタクシーの運転手さんに「美味しいものはないですか?」と尋ねてみた。

すると、「そうだねぇ・・・カキとウナギが有名なんだけどねぇ・・・今は何を食べても一緒だよ」とおっしゃる。

つまり、震災のあと、取れるはずのものが取れなくなって、地場のものは食べられなくなりましたと言っていたのであります。

別にカキとウナギでなくても何でもよかったのですが、そう言われると食べる気が失せまして、次の目的地へ移動。

次は、鹽竈神社へ向かいました。

ここは、奥州の一の宮。

奥州へお参りに来て、ここは外せぬだろうとそれは当初から思っておりました。

で、ドン



さすがに立派な神社でした。



山門も立派です。

で、本堂。



しっかりと祈りまして、そのお隣のお社にもお参り。

こちら、志波彦神社というらしい。



多分こちらは氏神様ですね。

あまねく穏やかでありますように・・・


さて、松島界隈はこれで終了ですので、いざ仙台市内へと向かいました。

まずはこちら、



ご存知、伊達政宗さんのいました仙台城(青葉城)跡。

こんな方にも、お目にかかりました。



「ワシは、伊達家家臣、なんちゃらかんちゃらじゃ」と自己紹介されましたが、覚えられませんでした。

名古屋のなんとか武将隊と同じですね。

他にも、足軽の方がおられましたが、それはそれは観光客の方々に気を配っておられまして、若い人たちでしたがあたしは感心して見ておりました。

皆さん、仙台のために、頑張ってください。

(ちなみに、この方々と写真を撮るときは、ハイチーズの代わりに、ズンダ餅~と言うのでつ)

城内には、こんな神社もありましたので参拝。



県の護国神社でした。

そろそろ良い時間となりましたので、今日の宿へと向かいました。

本日はこちら。



エスポール宮城ユースホステルという名前ですが、県の青年会館が兼業をしております。

中はビジネスホテルと変わりませんね。

官庁街のど真ん中にありました。

ここはレストランがあるということで、今夜はここで食事です。

で、6時になりましたので、食事タイムです。

ドン!



ユースの夕食は、予約がいります。

したがって、どの程度の食事がでるのかは、予想をして予約しないといけません。

基本的にあたくし、場末の定食屋みたいなところがあれば一番ですが、さもなければ昨日みたいにコンビニで調達するのもOKなのだ。

ただ、ここの場合、事前の謳い文句で「旬の食材を使い・・・」と書いてありましたので、予約をいれたのであります。

で、写真をご覧あれ。

トンカツにブリのてりやき。

旬のブタと旬のブリに違いない。

美味しかったけどね。

ここで気がつく・・・あぁ、今日はお昼を食べていない。

ということで、ご飯を4杯お代わりしますた。

苦しいほどにお腹いっぱいとなりまして、仙台の夜はすぎていったのであります。


本日の走行距離 350km

二日目、おわり。


東北ツーリング回想 その1

2012-06-19 11:52:00 | ツーリング
おはよ。

6月の11日に出発しました東北ツーリング、昨18日、無事に帰ってまいりました。

7泊8日の行程を記録しておこうと思います。

では、いざ・・・


6月11日(月)

午前4時起床。

適当に起きたら4時でした。

いよいよ出発の朝ですよ。

神さまと観音さまに、留守をくれぐれお願い申し上げましたのち、夜明けを待って、亀太郎といざ出発。



今回期待のナビ子ちゃんも無事にセットいたしまして、さて・・・

行くで~!

本日の目的地は日光

せっかくですので、新東名を走ってみます。

あいにくの曇り空で、時折雨にも会いながらでしたが、時間も早いし平日のせいもあったのでしょう。

順調にクルージング。

ドンドコと走って、海老名PA。



写真を見て思い出しますが、雨だったようですね。(着ているものが黄色い場合は、雨ですね)

やがて、都内に入ったのか分岐点。

が、ここまでも、またここにきても、期待のナビ子ちゃん、うんともすんとも言わにゃい。

道路の端に寄せて、ナビ子ちゃんを確認。

・・・う~ん・・・電源ジャックが外れてますた。

これでは何も言えません。

ということで、改めてナビ子ちゃんに電源をつないで、再度しゅっぱ~つ!

やがて東北自動車道に入りまして、一路北へ。

ズンドコと走るだけのツーリング初日であります。

それでも6時間くらい走ったのか?、無事に日光東照宮に到着。



昔々、来たような来たことがないような東照宮。

こうして来てみて改めて思うのですが、あたしは初めてかもしれない。

それならそれでよかったと思いながら、ご存知、陽明門



立派ですな。

時間的にタイミングだったのか、修学旅行の小学生とか観光客もたくさんおられましたね。

境内に入って、あちらこちらをキョロキョロと眺めてみますが、さすが徳川の威信なのか、本当に立派でした。

見るだけの価値は十分にありました。

ご存知、眠り猫



そして、見猿聞か猿言わ猿



奥の院も拝見。



参道を通っていきますと、



家康さんが眠ります、本廟がありました。

今回はともかく、いろいろあっての祈りの旅ですので、徹底的にお祈り。


生きとし生けるものが、幸せでありますように

あまねく、穏やかでありますように


鳴き龍も拝見して、東照宮を後にします。

徳川の威光の凄さは、感動でした。

ここには、神社とお寺がまだありますよ。

お隣の、二荒山(ふたらやま)神社も参拝。

そばにあります中禅寺湖の横の男体山(なんたいさん)が御神体です。



しっかりと祈りまして、いつもながら御朱印頂戴。

が、ここはなんと、7つも頂けるという。

一粒で七度おいしいかというとさにあらず、それぞれ300円だから、ここだけで2100円もかかるんだ。



とはいえ、今回の主題は、東北鎮魂ツーリング。

御布施だと思えばどうということはない。

カード払いはできますか?・・・とは言うこともなく、御朱印7つ、ゲットだぜ!

さて、もう一つ、輪王寺というお寺もありますので、そこも参拝。



とりあえず、行けるだけ行って、祈れるだけ祈るのです。

そうして、お昼。

参道にありますお店で、おそばをいただきました。



湯葉そばだそうです。

湯葉が名物なんかな?

悪口ではないですが、観光客相手のおそばでしたね。

そして、このおそばを皮切りにして、あたしはおそばを食べまくることになるのでありました。

お腹を満たして、亀太郎にまたがり、いろは坂を越えると中禅寺湖

お決まりの華厳の滝によってみました。



雨ですね。

とは言え、降ったり止んだり程度の雨でした。

だから、大丈夫大丈夫。

ここでまた考える・・・

来たことがあると思っていたのだが、どうも初めて見る光景だ。

やはりあたしは、来たことがないのかもしれません。

でも、なんで来たことがあると思っていたのだろう?

そんな不思議な気持ちもありつつ、そこをでまして、中禅寺湖をちょろっと走ってみます。



と・・・神社。



ここにも、二荒山神社と書いてある。

そしてこここそ、御神体男体山の麓です。

先程の神社が本宮で、こちらが里宮かもしれませんね。

良いご縁と思いまして、ここでもお参り。

さて、とりあえず本日の目的は完了。

ここから本日の宿となります、「日光杉並木ユースホステル」へ。

こういうとき、ナビ子ちゃん大活躍。

言われるままに走りますと、ドン!

到着でありました。



この時点で午後4時。

どうやら誰もおりませず、玄関も開いていない。

となれば、ドン!



今日は素泊まりなので、近くのコンビニで食料を調達して、飲んでいればよいのです。

やがて、ペアレントさんがやってきまして、部屋に入りました。

こちらお部屋。



ユースホステルにもいろいろありまして、和室と洋室、さらによくあるのが二段ベッドの間。

こういう和室は、実はあたしは好きなんだ。(お布団が好き)

この頃はユースを使う人も少なくて、時期のせいもあるのでしょうが、今日はこの部屋に一人で泊まります。(人が多いと相部屋になるんだよ)

荷ほどきをしまして、こちらでツーリング初夜。



せっかくの旅行で、なんじゃこれは!?と言われる方もあるかもしれませんが、こんなものなんでつ!

これでいいのだ!

あまり食べるものに頓着がないというあたしが出ておりますの・・・オホホ。

しばらくぼんやりとしておりましたら、バチンバチンと音がする。

何事か?と思いつつ、音の方へ行ってみましたら、



剣道場が併設されていまして、そこで若者が練習しておりました。

ユースホステルは、こんなところも面白い。


そんなこんなでホロホロとして、やがて日光の夜は更けていったのでありました。

本日の走行距離 580km


その一、おわり。