ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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ご無沙汰しておりました。その3

2023-12-03 12:16:18 | 病気

こんにちは。

おかげ様で、退院後4日目となります本日も元気ですので、朝からブログの続きを書いて、今暇になったのでまた書きます。

では・・・


再入院決定から10日くらい過ぎたころから、第2クールが開始

この時からまた、第1クールと同様の化学療法が始まった。

そう・・・またひと月を、無機質な個室で過ごすのだ。

ただ、一度経験しているから、慣れたものと言えなくもない。

相変わらずに、日がな一日を腕に針を刺されてつながれて、ベッドの上で過ごす。

が、そういうものだというところがデフォルトなので、そこからの余裕も見出したりもする。


一日のスケジュールとして、何時ごろに何があるということがわかれば、その間の余白をいかに過ごすか?と考えればよい。

武器はあまりないが、例えばそれは本を読むことであり、ipadで映画を見ることであり、狭いながらの院内をこっそり探索することであり、都度都度の見聞きするものから俳句をひねったりもした。

朝の楽しみは何といっても、ファミマのコーヒー

これを、朝食後に、担当医が回診に来る30分ほどの間に飲む。

便秘が解消しているので、ファイブミニはもう買いませんが、代わりに1リットルのお茶(大体ジャスミンティー)と、小さなパンを買うようになった。
(5個入りで150円のあんパンとか、そんなの。お茶は毎日1リットル飲むからこれは必要)

食事が規則正しくて、口さみしい時もあったが、それをこれで解消した。
(基本的にお菓子を食べるということをしないので、お昼の3時ごろに、そのパン一つをお茶と一緒に楽しむ・・・これだけでかなりあたしの生活の質向上となった。)

スマホでのやり取りも、楽しみの一つ。

そうそう打つこともないですが、たまの出来事をFBに載せれば、誰かしら返信が来るのが嬉しかった。

友人の人情に触れて、そんなことに支えられて、病院生活を充実させておりました。

お相手いただきました皆様、ありがとうございました。


治療自体は、注射ばかりなので、何ということはない。

が、点滴同様、7日間連続の腹に打つ皮下注射なんぞは、こんな風になる。


(あぁ、汚い)

一回につき、左右に一本ずつ打たれる。

これが当初赤くなって、やがて引くのだが、跡はしっかり残る。

そして、腕の静脈に刺された血管は、すべてではないですが刺される期間が長いと、そこが固くなって腫れてきて結構痛い。

でもまぁ、どうということはないでした。


それぞれ一度ずつでしたが、からの応援もいただきました。



「じぃじ、頑張ってね」

と、いかにもに言わされましたという動画。



でも、それはそれで、嬉しくありがたいのです。

ありがとうございました。


院内探索と書きましたが、第2クールともなって、その範囲が巧妙にして大胆にもなっていく。

こちらには医療系大学が併設なので、それ用かと思われるが、本屋さんがあった。

中には、医療関係の本がずらりと並んでおりますが、一部週刊誌などのコーナーも小さいながらにあった。

で・・・見つけた!



生前整理ノート・・・市場調査怠りない、見事な品揃えでした。


こんなして日は過ぎて、さていよいよ長かった第2クールも終了。

そうして今回は、11月30日に退院が決定。

のお世話に再びなりまして、帰りの車中で、あたしは今度こそ同じ轍を踏まぬようにと決意するのでありました。


・・・ちょうど時間となりまして、続きはまたあとで。

あともうちょっと続く。

よろしくお願いします。














 


ご無沙汰しておりました。その2

2023-12-03 07:00:09 | 病気

おはよ。

退院4日目となりますが、おかげ様で体調もよろしい。

ありがとうございます。

そして今朝は、いつも通り6時起床で、次男に久しぶりにお弁当作ったりました。

2か月ぶりのお父さんのお弁当は、2か月前とさして変わらぬものですが、次男がありがとうと言って持って行ってくれるのはとても嬉しい。

こちらこそ、ありがとう。


さて、昨日の続き。

11月2日、10時過ぎにの迎えで、ひと月ぶりの一時退院となった。



なぜか?髭剃りは持ち込み禁止であるとのことで(多分、これも肌を切ったりして感染するのを予防するためだと思われる)、まぁ気分的には長期のキャンプみたいなものだと思っていましたので、髭は伸ばし放題にしていました。

およそ3週間で、こんな。

汚いジジィがますます汚くなっていますが、本人は気にしていない。

さて、一時とはいえ、それは待ちに待った感がありまして、退院に際して、帰ったらあれもしよう、これもしようと少し意気込んでおりました。

やがて、無事帰宅。

いの一番で、こちらにご挨拶。



次男がそれながらにお守りをしてくれておりました。

コウヤ君、ありがとう。

次男は仕事で留守なので、さて、荷解きをして、持ち帰った下着の洗濯やらを開始。
(院内には、コインランドリーもあって、あたしも使いました)

そして、とりあえず、やりたいことの一つ「湯船につかる」を実践。

個室にありますのはユニットバスのシャワーのみで、いつでも使えるのですが、腕に針を刺しているから気が乗らないと使う気にならない。

動いていないから、汗をかくわけでもなくて、一日二日シャワーを浴びなくても、それもあまり気にならない。

ただ、お医者からは、清潔にするために極力体をきれいに保ちなさい(これも感染予防のため)と言われていたので、二日に一度程度はシャワーを浴びるようにしていましたよ。

ただ、それでもいいのだが、やはりお風呂に入るという感覚はないので、入院当初より、湯船につかりたいという希望はあった。

そして、今回それをかなえるのだ。


入浴剤の入った湯船に、ドッポーンとつかる・・・あぁ、気持ちエエ。

風呂はこうでなくてはいけない。

そして、久しぶりに針のない腕を使って、体をごしごしときれいにするのでした。

髭も落として、きれいなおじいちゃん、復活です!



さて、次。

昼に何か残り物でも食べたのだと思いますが、その後、これまた久しぶりに田んぼを見に行った。

これも、念願の一つ。



入院前と、さほどに何も変わっておらぬ・・・当たり前。

で、動けるものなら、野焼きもしてやろうと思っていましたが、そこはさすがに体がもたないのがわかりまして断念。

ただ、ボーっと田んぼを見ているだけで、あたしは精気がみなぎってくるのです。

なんやろね、これ?


その後、冷蔵庫に何もないのを確認して、買い物。

そして、夕飯の準備にとりかかる。

と、夕方にご来客。

そこにいたのが、琴美ちゃんと息子のミキ。

あたしが退院したのを知って、ちょうどどちら様からかいただいた生シラスを分けて持ってきてくれた。

あたしの顔を見て、琴美ちゃんが言った。

「ぴかさん・・・あたしもアキラも、ぴかさんなら骨髄移植に協力しますからね。」

だって。

大変ありがたいお言葉をいただいたのでありました。

生シラスと同じくらい、嬉しかったです。(うそ、もっと嬉しかったです。)

琴美ちゃん、ありがとうございます!

アキラさんにも、どうぞよろしくお伝えくださいませ。


そんなして、やがて次男も帰宅で、久しぶりにビールで乾杯をして、その夜は過ぎた。
(飲めるかと思いましたが、やはりというのか、缶ビール一本が飲めませんでしたね。酔いもありますが、体が受け付けない感じ。
今でもそうですが、胃も小さくなっているようで、食えない。)

それでも、風呂に続いて、「酒を飲む」「タバコを吸う」も達成。(望みが低級)

これはあまり感慨はなかった。

次男との乾杯は嬉しかったです。


その後8時くらいかな?

することもないので、床につく。

しばらくすると、なんか嫌な予感・・・発熱だ。

そして、体温を計ってみると、38℃。

とりあえず、お医者には「熱が出やすいので、出たら解熱剤を使ってください」と言われていたので、それを服用。

いったん下がるが、丑三つ時になって再び熱が上がるのがわかる。

今度は、39℃。

8時間置かないと次の薬は飲めないので、何とか体を冷やして対応。

そして明け方に再度お薬で一時的に下げる。

が、下がっても37℃後半をキープ。

やがて朝となり、次男は出勤。

お父さん、対応できず、布団の中から「いってらっしゃ~い」。

何とか起き上がれるが、退院後一日目でこの状態はどうなのであろうか?と思いつつ、それでも歯を磨いたり、何とか口にできるものを口にして、朝のお薬だけは飲んだ。

9時を過ぎたころかな?姉から電話。

その後どうだ?と心配をしての電話だった。

実はかくかくしかじか、と伝えると、それは病院へ知らせたほうが良いのではないか?と言われた。

そういえば、38℃超したら連絡するようにと言われていたのを思い出して、電話を入れてみた。

担当医師の確認をします」というのを待って、言われたことが、

「泊りの準備をして、すぐ来なさい!」でちた。

(入院当初も言われていましたが、この病気は、感染などするとあっという間に悪化する場合もあって、例えばそれは急に肺炎になったりもするらしい。コロナで急に亡くなった話は、ここで、まんざらではないのだなと知りました)


それから、乾いた昨日の洗濯ものをまたぞろスーツケースに詰めて、初回の入院時同様に本も忘れず、今回は電気カミソリも入れて、再度病院へ。

この日は、たまたま次姉の旦那さんが、仕事も休みで運転をしてくれるというので、それに甘えて送ってもらった。

昨日退院で、今日再入院・・・なんやねん、この体!!!

ぼやいても仕方がないので、姉夫婦には礼を言って、あたしは仮出所翌日にして再び入所と相成ったのでございました。

チャンチャン!


さて、熱はというと、お医者の言葉通り、抵抗力がない体なので、回復までに大変時間がかかりましたね。

つまり、細菌と戦うにしても、防御する戦力が不足しているので、なかなかやっつけられなくて、お薬を使うものの時間勝負の様相です。

こうなった我が身を振り返って、体力が落ちただけで、いつもと変わらぬ・・・と思っていたのが大きな間違いでした。

あたしはまさしく、病人なのでありました。


7日間ほど熱は続き、それでも何とか回復したので、引き続いて第二クールに突入いたしました。

あぁ・・・あたしの仮出所一週間がこうしてパァ。

これは大変口惜しかったのでありました。

コウヤ君、もうちょっと世話したかったけど、ごめんね~。


ということで、第二2クール突入後は、またあとで。

今回も長文になりました。

で、まだ続く。

to be continued again.










 

 


大変ご無沙汰しておりました。その1

2023-12-02 11:58:55 | 病気

こんにちは。

あっという間に12月突入で、時の移ろいの速さに我ながら驚いていますが、同様にどちら様もご無沙汰しておりまして、お変わりなくお過ごしいただいておりますこと、念じております。


どうでしょう? およそ2か月ぶりのブログです。

前回書きましたが、しばらく療養生活で入院しておりまして、その間、スマホではこちらのブログが書けませず、ようやく本日、2か月ぶりに一時退院を果たしましたので、これまでのことを、記録も含め書いておきます。

では、以下、どうぞよろしく。


10月10日、藤田病院へ入院。

この日から、あたしの治療生活が始まりました。

お昼ごろ、姉二人に車で送ってもらって、諸々手続きを済ませて早速入院生活開始。

入院自体が初めてなので、よくわからないまま、各所の指示に従って7階の病室へ。

ここで、一般病室とは区別された「クリーンルーム」という個室に入った。

要は、あたしの病気は治療中に免疫力が極端に下がるので、感染予防のため負圧の無菌状態の場所に入ったということです。

それは、10畳ほどの、シャワーとトイレが併設された部屋でした。

そこに、いかにも病院ですというベッドがデンッ!と置かれている。



さて、ここからいよいよ治療開始。


あたしの病気は血液のガンなので、切ったり張ったりは無くて、お薬で化学療法となります。

その為、日がな一日を点滴されたり注射をされたりで過ごすのだ。

常時点滴の針が腕につながっているので、ほとんどをベッドの上だけで過ごす。

そして、これが1クール約ひと月かかる。(それが、なんと、4クールもある!)

なげぇーよ!

最初の頃こそ、興味もあって過ごしましたが、そのうち飽きてきた。

とは言え、点滴がつながっているから、そして、あたしはか弱い免疫力のない体だから、このクリーンルームからあまり出ないようにとお達しいただいておる。

さて、どうするべ?


事前にこの期間の長さは聞いていたので、それながらに準備はしてきた。

が一番よかろうと思って、トランクの半分を本で埋めてきた。

そして、携帯ラジオといつも台所で使っていた古いipad、を持ってきた。(あと、スマホね)

そして、これは確かに役に立った。


おおよその毎日は、午前6時に消灯解除となり、早速に点滴が始まる。(これが8時間に一度、一日3回ある)

大体この通常の点滴一回に一時間強かかって、その後7時半に朝食。



まぁ、大体こんなものが、7時半と12時と18時に供される。

食べるものに汚くないあたしですので、これでも質素だなとは思いましたが、さして不満はなかった。

右の紙にありますが、一日1600キロカロリーの計算らしい。

動かないから、毎日体重を計るのですが、やせるということもなかったです。

人の体は、おもろいね。


で、これ以外に、抗がん剤の注射、採血など、針ばっかり刺されておりました。



まぁ、病人だからしゃぁあんめぇ。

でも、腕は使えないから、両腕がみるみる細くなるのはわかりましたよ。

ちなみに、体は動かせるので、体力維持もあってリハビリのトレーナーさんが週に5日、運動を強制的にさせてくれます。

下半身を使って、スクワットとか足の振り上げとかつま先の上げ下げとか、そんなの。

それはありがたいですよ。(さもなければ、筋力がた落ちでしょう)


この頃、薬のせいなのか環境のせいなのか、便秘が始まってやがてになった。

そうなると、痛くて寝てもいられない。

常にお尻が痛い。

で、お医者に薬をもらうのだが、一向に効かず、約10日間苦しみましたね。

FBでは、時々のことを伝えていましたので、お友達がいろいろ心配をしてもくださいました。

その節は、みなさま、ありがとう。

で、何でもよく知っている稲村Aさんが、「食物繊維摂取のため、ファイブミニがよろしいのではないか?」とご助言くださって、院内のファミマに買いに行った。
(クリーンルームから出ないようにとは言われていましたが、同じ階の自販機にお茶を買いに行く風で、エレベーターで一般の患者さんがいるそこへ買いに行ったった。)

・・・あった!



で、せっかくここまで忍んできたのだからと、コーヒー飲んだった。

入所初めての、久しぶりのコーヒー・・・うまかったです。

(そしてあたしは、これに味をしめて、一日一度は看護師さんの目を盗みつつ、コーヒーを飲んだるのでありました・・・ささやかな楽しみ・・・稲村さん、ありがとう)


その後、お薬は飲むもののどうにも排便がなくて、オケツが痛くてしょうがないものだから、お医者に強力に直訴したところ、「最強の座薬です」というのを若くてかわいい看護師さんが優しく挿入。

すると、ものの30分で排便。

いやぁ、これまでこれほど救われたと感じたことはなかったです。

が、一方で、そんな薬があるなら、もっと早く使ったらんかい!という怒りも感じておりました。

あたしの苦痛の10日間はなんだったのか?

・・・まぁ、治ったから良しとしたる。



さて、そんなこんなもありつつ、一日は相変わらず長い。

それを解消するのが、こんなの。



40冊くらい持ってきた本。

これでかなり救われた。

また、長文は読む気にもならんだろうと、



父と母の句集も持ってきた。

このページは、が軍隊に行っていたころの俳句で(実際には、彼は戦地にはいかずに済んだのだが、軍隊で死というものはいつもそばにあったということがよくわかる)、それにまつわる句は、今のあたしに刺さるものがあった。

まぁ、暇つぶしには良い選書でありました。



そうしてやがて、第一クールが終了となって、11月の2日に一時退院となった。

そして、第2クールのための再入院まで約1週間の帰宅となっていた。

うん、なっていたのだ!

が、あちら様の計らいというものは人智を超えておりましたのね。

さてもさても、この後のあたしは、どうなったのでありませうや?

長文につき、とりあえず第一部はここまで。

to be continued.