たくさんの学級を見てきた。
その中で、学級崩壊(もしくは崩壊気味に)させる指導者に共通する点がある。
それは、
「教師の指示を聞かせていない。」
という点である。
例えば、「おしゃべりしないで体育館まで行きなさい。」
と言ったとする。
それなのに、子供が喋って行く場合がある。
それを見て、指導者が何も言わない。
もしくは、「ほらあ、さっき喋らないで行きなさいって言ったでしょ!」
等と言うだけで、そのまま体育館に行かせる。
この場面を見たら、「ああ、この学級は、崩壊するだろうなあ。」と思う。
こうした方がいいですよ。というアドバイスをしたくなる。
自分だったら、次のように指導する。
「体育館に移動します。みんなで移動するので、おしゃべりすると他のクラスの迷惑になります。静かに行きましょう。」
というように、なぜ静かに行くのかという理由も説明する。
さらに、高学年ならば、次のように付け足す。
「君たちは、○○小学校のお手本になる人たちです。君たちの行動を見て、下級生はあこがれます。こんな高学年になりたいと思われるような、静かなきびきびとした移動の仕方を見せましょう。」
実際に移動を始めたとき、しゃべり声が聞こえたなら、
「今、話し声が聞こえました。殆どの人は静かに移動しようとしていたけれども、できていない人がいます。やり直します。」
と言って、やり直しをさせる。
ここで妥協は禁物である。もし、妥協したら、子供達は次のように思う。
「この人は、口では○○しなさい。と言うけれども、別にしなくてもいいんだな。」
これでは、この後何を言っても教師の言葉は無意味になる。
周りの人の迷惑にならないように静かに行動するというのは、大事な躾である。大事な躾は自信を持って指導するべきである。
学級崩壊(もしくは崩壊気味に)させる指導者に、共通する点の1つめは、
「教師の指示を聞かせていない。」
である。
補足
何でこんなことを書けるかというと、私自身、若い頃に学級崩壊気味になった経験があるからである。厳しさも愛情であるということを、周りの先輩方の学級を見て学んだ。
その中で、学級崩壊(もしくは崩壊気味に)させる指導者に共通する点がある。
それは、
「教師の指示を聞かせていない。」
という点である。
例えば、「おしゃべりしないで体育館まで行きなさい。」
と言ったとする。
それなのに、子供が喋って行く場合がある。
それを見て、指導者が何も言わない。
もしくは、「ほらあ、さっき喋らないで行きなさいって言ったでしょ!」
等と言うだけで、そのまま体育館に行かせる。
この場面を見たら、「ああ、この学級は、崩壊するだろうなあ。」と思う。
こうした方がいいですよ。というアドバイスをしたくなる。
自分だったら、次のように指導する。
「体育館に移動します。みんなで移動するので、おしゃべりすると他のクラスの迷惑になります。静かに行きましょう。」
というように、なぜ静かに行くのかという理由も説明する。
さらに、高学年ならば、次のように付け足す。
「君たちは、○○小学校のお手本になる人たちです。君たちの行動を見て、下級生はあこがれます。こんな高学年になりたいと思われるような、静かなきびきびとした移動の仕方を見せましょう。」
実際に移動を始めたとき、しゃべり声が聞こえたなら、
「今、話し声が聞こえました。殆どの人は静かに移動しようとしていたけれども、できていない人がいます。やり直します。」
と言って、やり直しをさせる。
ここで妥協は禁物である。もし、妥協したら、子供達は次のように思う。
「この人は、口では○○しなさい。と言うけれども、別にしなくてもいいんだな。」
これでは、この後何を言っても教師の言葉は無意味になる。
周りの人の迷惑にならないように静かに行動するというのは、大事な躾である。大事な躾は自信を持って指導するべきである。
学級崩壊(もしくは崩壊気味に)させる指導者に、共通する点の1つめは、
「教師の指示を聞かせていない。」
である。
補足
何でこんなことを書けるかというと、私自身、若い頃に学級崩壊気味になった経験があるからである。厳しさも愛情であるということを、周りの先輩方の学級を見て学んだ。