仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

討論の授業へのステップ

2015年11月10日 | 授業づくり

 勤務校には、「学びの3K」という言葉がある。

 これは、「聞く、考える、交流する」の頭文字をとった言葉である。

自分は、この「学びの3K」を充実させるには、討論を取り入れた授業が適していると考えている。どちらの考えがより正しいかを考え、発表することで、自然と「聞く、考える、交流する」という学習活動が生まれるからである。


「学びの3K」を充実させる討論の授業へのステップ

 

 「学びの3K」を充実させる討論の授業へのステップは、次のように考えている。

1 選択的発問をする。
  (例)「この2人の若者は『紳士』ですか?」(「注文の多い料理店」の場合)

2 どちらが正しいか選択させる。
 「『紳士』だと考える人は、○。違う人は×をノートに書きなさい。」

3 挙手して人数を確認する。
「○の人?(・・・黒板に人数を書く。)」 「×の人?(・・・黒板に人数を書く。)」

4 なぜ自分の考えが正しいか、もしくは相手が間違っているかを発表させる。
 (論点がずれたときは、教師が修正する)

5 発言が終わったところで、もう一度自分はどちらの考えかを選択させる。
 「○の人?(・・・黒板に人数を書く。)」 「×の人?(・・・黒板に人数を書く。)」

6 話合いの中で、良く発表した子、良く聞いていた子を褒める。
  (必要があれば、教師の考えを述べる。)

 とても荒いが、大まかには、上のようなステップを踏めば、「学びの3K」は少しは充実する気がする。




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イカのバター炒めが数段うまくなる一工夫

2015年11月09日 | 食・レシピ
 スルメイカが一杯150円と安いので買ってきた。

 内臓を取って食べやすい大きさに切り、バターで炒める。

 結構うまい。

 今日は、ちょっと一工夫したところ、数段レベルアップしたうまさになった。

 ちょっと一工夫というのは、「肝も一緒に炒める」という工夫である。

 肝は、これまで塩辛を作るときはとっておいた。しかし、バター炒めの時は、捨てていたような気がする。

 塩辛を作るときの旨みやコクは、この肝が大事である。

 そこで、今日は、取った内臓の中から肝だけを外し、その肝も一緒に炒めてみた。

 うまい!

 何でこれまで肝を捨てていたのだろうと思った。

 これからイカのバター炒めの機会が増えそうな気がする


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テレビやゲーム、携帯とのつきあい方

2015年11月08日 | 家庭教育
 うちでは、月曜から木曜日までは、ノーテレビデーである。ゲームもしない。

 テレビ、ゲーム、携帯は、ある意味時間泥棒である。

 見たい番組があれば、録画をしてもらう。週末にまとめてみるようにしている。

 そうすることで、部活帰りでも勉強する時間がとれる。家族の会話も増える。また、睡眠時間もとりやすい。
 
 さらに、携帯も午後9時過ぎには所定の場所に置いてもらう。

 かわいそうな気もするけれども、長い目で見ればきっと子供のためになる。

 ただ、素晴らしい番組や映画は、週末に家族で見る。家族で映画館に行く回数も多い方ではないかと思う。

 大事なのは、メリハリを付けてメディアとつきあうことなのかなあと感じている。
 



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「素晴らしい体育の授業を見せてもらえる!」という期待が高まるとき

2015年11月07日 | 授業づくり
 体育の授業を見せてもらうときがある。

 自分は、子供達が体育館に移動する様子を見る。

 移動するときの様子を見るだけでも、期待感が高まる。表情を見れば、それまでの体育の授業でどれだけ楽しんできたかが想像できる気がする。

 その後、自分は体育館には行かない。まず、教室を見せてもらう。

 子どもがいなくなった教室を見れば、どんな学級かが分かってしまう。

 これはまずいなあ・・・と思うのは、次のような教室だったときである。

○ 明かりが付いたまま。

○ 椅子が出ている。

 つまり、整理整頓ができていない教室だった場合、多くはまずい授業になる。

 明かりが付いたまま、椅子が出たままという状態に気付いていない教師は、運動ができない子どもに気付けない場合が多い。

 また、もし気付いていたとしても、明かりを消す、椅子を入れるという指導が徹底できてないことになる。

 同じように、できていない子どもをできるようにさせる指導が徹底できない(ことが多い)。



 逆に、

○ 明かりが消してある。

○ 椅子が机に入れてある。

 さらに、着替えた後の服がきちんと畳んで置いてあったりすれば、「きっと素晴らしい体育の授業を、これから見せてもらえる」と期待感がますます高まる。そして、多くの場合、その期待が裏切られることはない。
 


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「情けは人のためならず」を動画にするとこうなる

2015年11月06日 | 修養
 「ライフベスト インサイド」という動画がある。
 
 見ると豊かな気持ちになれる。

 「善の循環」を分かりやすく表現した動画である。
 
 「情けは人のためならず」を動画にして表現するとこのようになるだろうなあ。
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社員教育のスペシャリストが放った一言

2015年11月05日 | 家庭教育
 映画「何のために」を見ていて一番印象に残ったことがある。

 それは、氷室優氏がでていた場面である。

 氷室氏は、氷室建設の社長であり、社員教育のスペシャリストでもある。

 彼が言った言葉が心に残った。

 それは、食事の際、社員に言った一言である。

 「茶碗を持って食べろ」

 である。

 つまり「両手を使って食べよ」ということである。

 些細な一言だが、社員教育で凡事を徹底していることがこの一言で分かった。

 こういう些細な行動が当たり前にできるようにする教育の積み重ねこそが、難しい行動ができるようにするための土台であり、近道でもあると感じている。
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大人が読むべき絵本・・・「おこだでませんように」

2015年11月04日 | 家庭教育
 絵本「おこだでませんように

 これは、子育てに関わる大人が読む絵本である。

 読み終わるときには涙が出そうだった。
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寒い日に温まる飲み物

2015年11月02日 | 健康・病気
 先週金曜日は、クールビズ最後の日ということで、半袖で過ごしたら寒くなった。

 寒気がする。素直に長袖を着ればよかった。

 身体を温めるために、一番いいのは、何かを考えた。

 ・・・そうだショウガ紅茶にしよう!

 紅茶を通常通りに入れている間に、ショウガをひとかけらすり下ろす。(適当でよい。何回か飲んでいるうちに、自分に合ったショウガの量が見つかるはず)

 すり下ろしたショウガに紅茶を入れて、蜂蜜を加える。

 一口飲んだだけで身体が温まる気がする。

 実際に温まる。週末は寒気を感じる度に飲んでいたら、風邪にはならずにすみそうな感じである。(油断は禁物だけど)

 冬に向けて寒くなるこれから、職場に持って行く飲み物もショウガ紅茶になる火が多くなりそうである。

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「楽しむ」を超えた境地とは・・・。

2015年11月01日 | 修養
 月刊誌「致知」平成27年(2015年)4月号に、伊與田覺氏と渡部昇一氏の対談があった。

 渡部昇一氏の本は、殆ど読んでいる。私が尊敬する大学者である。

 対談の中で渡部氏は、次のように言う。

 「大学教員時代に学生に常々教えていた言葉として、

 之を知るものは之を好むものに如かず。

 之を好むものは之を楽しむ者に如かず。
 
 を上げたいと思います。

 (中略)

 この「楽しむ」という境地に早く至るべきだと学生には言ってきました。」

 なるほど!と思う。楽しんだ者が勝ち!と思って仕事も遊びもやっている自分には納得できる言葉であった。





 それに対して、伊與田氏が言った言葉が驚きだった。

 「僕は最近、『楽しむ』という者を超えた境地があると思うようになったんです。」





「といいますのは、楽しむというのはまだ苦楽の境涯をでていない。楽しむことは大事だが、同時にレジャーやバカンスというものを与えなくてはいけない。だとしたら、もう一つ、上の段階がないものかなと。



 そうしたら、『論語』にこういう言葉がありました。


 道に志し、徳により、仁に依り、芸に遊ぶ」



「『遊ぶ』というのは苦楽を超えた世界ですから、時間も忘れ、寝ることも忘れて熱中することです
。」

「考えてみたら、昔から『遊学』という言葉があるが、あれは遊ぶということではない。真剣に勉強するという意味です。」



 伊與田氏は、100歳。きっとこれまでに学ぶ苦しさを乗り越え、学ぶ楽しさを味わい、今は学びか遊びか分からない境地を過ごしていらっしゃることであろう。

 ひょっっとしたら、生きていることが楽しくてたまらないのではないだろうか。

 このブログのタイトル「仕事の道楽化」を体現している方ではないかと思った。
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