
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 金で買えるものなんてたかが知れている、実はないのではあるまいかと若年のころ私は
漠然と思ってはいたが、隠して言わなかった。一文なしの若者がそんなことを言ったら
冷笑される。
けれども間もなく金が少しはいってきたとき、はたして金で買えるものなんかたかが知
れていると分ったのは、私の個人的なあまりに個人的な管見だと思うかもしれないがそ
うではない。いま日本人の多くはそれを経験している。
昭和三十年代までは『船橋ヘルスセンター』へ行くのが楽しみだった。高度成長はそれ
を楽しみでなくした。大挙して熱海へ一泊旅行するようになった。それもつかのまで和
歌山へ九州へ北海道へ旅するようになった。
今はハワイへ行く。ハワイが昔の熱海になったのである。気のきいたのはパリへは再三
行ったから今度はオーストラリアへ、はてはアフリカへ行く。何用あって行くか。
すこしでも差をつけるために行く。地の果てまで行く。近く行くところがなくなるだろう。
〔Ⅵ『住み心地はどうか』平2・3・8〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う-山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)
