今日の「お気に入り」。
「 俊成の子の定家もまた名高い歌よみである。源平の争いを横に見て、『紅旗征戎(せいじゅう)は
わが事にあらず』といった。私はわが国の文学は風流韻事(いんじ)だと思っている。明治になっても
『我楽多(がらくた)文庫』の尾崎紅葉は洒落本の模倣から出発した。のちの売文社に似たものをこしらえて、
開店や祝儀の広告なら何でも引受ける、詩歌の代作もする、よろず文筆に関するご註文なら二つ返事で応
ずる、ただし建白書、政治向き文章なら命にかえてもお断りすると書いている。
江戸の町人はお上(かみ)のご政道に間違いはございますまいと抵抗しなかった。浮世の事は笑うよりほか
ないと川柳、狂歌に鬱を散じて処士(しょし)横議(おうぎ)することをヤボとした。役人の子はニギニギを
すぐおぼえ。
それでいて何でも知っていたのである。自分が役人になったら必ずするだろうことを、役人になれなか
ったばかりに、居丈高に難じたくなかったのである。
一葉、紅葉は人情の機微は書いたが、政治向きのことは書かなかった。花袋や藤村の自然主義の作者も
女については書いても同じく政治は論じなかった。
政治を論じなければ文学ではないと言ったのはプロレタリア文学である。ただしつけ焼刃だったからすぐ
転向して旧に復した。
(『文藝春秋』平成十二年六月号)」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)