「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2014・01・08

2014-01-08 08:05:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「『日本海大海戦』という映画がある。実物は見ないが、看板を見た。東郷、乃木以下の将軍が、
 綺羅星(きらぼし)のように並んでいる。
  東郷元帥なら、お目にかかったことがある。正しくは見たことがある。
  小学生のとき、先生に引率されて、元帥邸へ行ったのである。元帥は肖像写真そっくりで、
 ただ、色あくまで黒く、背が低かった。昭和初年のことである。
  乃木大将は知らない。昭和初年は将軍死後二十年、すでに歴史中の人物になっていた。
  将軍は軍人らしい軍人の、最後の人といわれる。旅順を攻めあぐんで、なん千なん万の将兵を
 死なせた人である。自分も二児を失った。ほかに子どもはない。その二人を、将軍はわざと旅順
 の攻囲戦に参加させた。みすみす死地に赴かせたのである。
  はたして、二人は相次いで死んだ。その報告を受けたとき、将軍は眉ひとつ動かさなかったと
 いう。
  悪戦苦闘の末、旅順は落ち、世間は狂喜したが、将軍は自分を責めてやまなかった。『何の顔
 (かんばせ)あって故郷の父老(ふろう)にまみえんや』と、嘆いたという。
  美談だといわれた。けれども、インテリの多くは悪くいった。わざと死地に追いやって、眉ひ
 とつ動かさぬとは人情の自然に反する。
  そもそも男らしい、軍人らしいというのがウソである。悲しければ泣くがいい。泣いてはじめ
 てま人間である。顔で笑って心で泣いて、何が毅然たる古武士かと難じたのである。
  いかにもウソである。わが子を失った悲しみに、古人も今人もありはしない。元来、人に武士
 も町人もあるものか。
  この説、自然主義以来有力である。白樺派以下にも支持されている。志賀直哉も芥川龍之介も、
 将軍に好意を寄せなかった。
  その影響だろう。太平洋戦争では、軍人はすでに軍人らしくなかった。退却を転進と詐称して、
 責任者を出すまいとした。ついに総くずれになったら、兵卒を置きざりにして、ひとり飛行機で
 逃げ帰る将軍があったという。
  戦後、労働組合の幹部がそのまねをした。ストライキは連戦連勝で、負けたためしがない。負
 けたと白状すれば、責任をとらなければならないからである。
  社長も社長である。会社がつぶれても、社長はつぶれなくなった。株式会社という法人の責任
 は有限だから、社長という個人はまぬかれて、裕福でいられるのである。
  それをとがめるものがあるが、その声には迫力がない。自分が会社の重役に、また組合の幹部
 になれば、同じことをするにきまっているからである。
  人は決心して男らしく、軍人らしく、社長らしくなるのである。軍人にある
 まじき振舞、社長にあるまじき振舞というものを、心にかたくきめておいて、それを守って、男
 はからくも男なのである。
  それは自然に反する、反することを自分に強いるのはウソである。
  けれどもこの世はウソでかためたところであるカネと命が惜しくて、他人
 の責任なら追及して、自分のそれならまぬかれたいのは人情である
。だが、それに従え
 ば兵卒や組合員は、死地に置きざりにされる恐れがある。
  私はこんにちほど人が決心しなくなった時代はまれだと見ている。昔は武士
 も町人も決心した。
 『盗みはすれど、非道(ひどう)はせず』と、ドロボーでさえ決心したものである。
                           (『週刊朝日』昭和44年9月5日号)」

 (山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)


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