今日の「お気に入り」。
「 まことに人生は些事から成るというがその些事を書いたものは稀である。
私は新聞雑誌の記事は読まないが広告は見る、読者の声を見る。読者の声で前号で見るべき
記事のいくつかを知って、切抜いてゼムクリップでとめておく。結局は読まないが気休めに
はなる。
これによってそれまで朝日新聞は皇室に敬語を使わなかったのに昭和天皇のご不例がながび
いて万一に備えて、殿下妃殿下を用いると共に一段上の敬語を使いだしたことを知る。これ
は昭和天皇がおかくれになった時に死去、逝去、薨去(こうきょ)、崩御(ほうぎょ)のどれを用
いるかの準備で、ほとんど敬語なしだったのに突然最大級の敬語は使いにくいからである。
読売新聞が崩御を用いるという情報がはいった。読売が用いて朝日が用いなければ、読者は
不敬だと朝日を去って読売に走りはしないか。
全新聞が崩御と書いたのは、商業主義の権化で敬意によるものでは全くない。日教組の教育
はすでに半世紀近くなる。半世紀といえば孫子の代である。新聞社のデスクも官公庁の役人
も皆日教組の申し子である。
(『文藝春秋』平成十二年六月号)」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)