今日の「お気に入り」。
「 小学一年生までパリにいて、帰って日本の一流大学を出て全くフランス語を忘れていた若者が、
就職して二、三年したらパリ駐在を命じられ『しまった』と思ったら、不思議ではないか、パリ
に着いたら響きの声に応ずるようにすらすらフランス語が出てきたという。
外部から様々な内部を察するのだ、脳ミソをたち割って見るわけにはいかないからねと、教育
放送の担当者にすすめたが、関心を持つものはなかった。どうして持たないのか私は怪しんだ、
いまだに怪しんでいる。私は記憶というものの秘密が知りたかったのである。
五月号のホームドクターとの対談で私は医師に聴診と打診を怠るなと言った。レントゲン写真
以来怠るようになった。写真信仰は現代の病いである。奔馬性ガンだってあるぞ。
かくすよりあらわるるはなし、幼にして子供は SEX のことも知っている。両親は近く別れる
だろうことも知っている。
前に私は小学四年生のとき『人の一生』おおむねかくの如しと書いた綴方を紹介した。もとより
十歳の子供のことである。深い魂胆はないが、その直感は小児のときからのものだと今にして思わ
れる。はたしてその通りだったのは遺憾である。
(『文藝春秋』平成十三年七月号)」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)