「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

健康というものはイヤなものである 2014・01・23

2014-01-23 08:25:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『ああ玉杯に花うけて』という歌は一高(いちこう)の寮歌だそうで、校歌ではないという。金田一春彦によると

  一高にも東大にも校歌はない。そのかわり一高には寮歌がある。明治三十五年寮生矢野勘治が正岡子規系の歌よ

  みで詩才ありと認められて作ったのがこの寮歌で、ほかに寮生の名は忘れたが『友の憂いに吾(われ)は泣き、

  吾が喜びに友は舞う』というのをおぼえている。

   寮歌は毎年詩才ありと聞こえた寮生がつくった。七五調の新体詩の全盛時代だから手本があれば詩人でなくて

  も作れた。そのうち残ったのがこの二つだというわけで、あとの何十何百の寮歌は忘れられた。続いて、栄華の

  巷(ちまた)低く見て 向ヶ岡にそそりたつ 五寮の健児意気高しとあるから、ああ玉杯当時の寮は五つだけだっ

  たことが分る。一中一高東大はその栄華の巷の一員になるために昼夜をおかず勉強したのではないか、寮生は齢

  は十七、八である。それを言う友のないのは時代だろう。

   友の憂いに吾は泣き云々は似たところがある。友の悲運にかけつける足は我にもあらず勇むのである、

  わが喜びに友は一度は喜ぶが、再三再四かさなると面白くなくなる


   友の不運はひそかに嬉しいものだというと、滅相もないと怒る友に似たものがある。だから誰も言わない、栄

  華の巷低く見て、ウソをつけと言うものもない。

   故に友の幸運が何度重なっても喜んでくれる友こそ友である。俗に金銭の貸借は友情を失うからしないという

  友があるが、それは貸さないということを飾って言ったのである


   真の友なら貸す機会が与えられたことを喜び、貸したことを忘れる。形勢逆転してこんどは、貸し手が借り手

  に回ると、以前の借り手は喜んで貸して貸したことを忘れる


   かくの如き友は求めて得がたいから、にせの友を本ものの友だと思って、それも出来るだけ大勢にかこまれて

  死にたいのである。花環ぐらいはくれるだろう。この世にそれ以外の友があろうか


  誰の心のなかにも他人がいる。私はそれを自分のなかなる他人と呼ん

  でいる。どんな人にもいる。老若を問わず。第三者を見るときは、その他人の目で見て辛辣なことをいう。それ

  なのに自分のことになると皆目(かいもく)見えなくなる。それが健康というもので、健康というものはイヤなものである

                                  (『諸君!』平成十四年十、十一月号)」

        (山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)

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