「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・04・10

2006-04-10 08:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に連載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された俳句を一句。

 若葉みな心臓のかたち眼のかたち   (多田智満子)
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2006・04・09

2006-04-09 08:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、和漢朗詠集から。

 「人更(かさ)ねて少(わか)きことなし  時すべからく惜しむべし
  年常に春ならず  酒を空しくすることなかれ   野」

 〔現代語訳〕少年時代は、二度とはこないものです。だから、わずかな時を惜しみ、むだにしてはなりません。季節は、一年を通していつも春というわけではありません。だから、春を惜しみながら酌む酒の楽しみを、今尽くそうではありませんか。

 〔注〕野(や)とあるのは、野相公(やしょうこう)、小野篁(おののたかむら)のこと。

  (川口久雄 全訳注「和漢朗詠集」 講談社学術文庫 所収)
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2006・04・08

2006-04-08 04:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、「花開いて風雨多し」という題のコラムの一節とその補足。

 「昭和三十年ごろ私はタキシーで東京中の桜を見て歩いたことがある。上野九段飛鳥山、あまりの人出に辟易して青山墓地ならいいだろうと行ってもらった。墓地の桜は早や散るところで、春の日は暮れかけて人影もまばらだった。私は車を待たせて、道もせに散る花を踏んで歩いた。するとどこからかひそかにさんざめく声がする。
 怪しんで近づくと、墓の前に緋もうせんを敷いた一族が、酒盛をして死んだ人と話をしているのである。それが花やいで聞えたのはなかに娘と幼な子の声がまじっていたからである。(略)
 昭和十九年、敗戦の報しきりにいたるころ神楽坂の毘沙門の桜の前で深夜、うら若い女がお百度をふんでいるのを見た。女は血相が変っている。ああ結婚したばかりなのだなと分った。お百度まいりというものを見たのはこれが初めであり終りである。
 花開いて風雨多しという。花を踏んで同じく惜しむ少年の春という。さまざまなこと思いだす桜かなという。私は待ってもらっていた車で帰った。

――私の記憶のなかには道も狭(せ)に散る山桜かなという歌がある。調べれば分るが私は調べるのがにが手である。花を踏んで同じく惜しむ少年の春は白楽天の詩で『和漢朗詠集』にある。さまざまなこと思いだす桜かなは芭蕉の句である。」


  (山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)
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2006・04・07

2006-04-07 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、和漢朗詠集から。

 「いたづらに過ぐす月日はおほかれど花みてくらす春ぞすくなき」

 〔現代語訳〕なにもしないでぼんやりと過ごす月日は多いのですが、花を見て暮らす春は、まことに短いものです。


   (川口久雄 全訳注「和漢朗詠集」 講談社学術文庫 所収)
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2006・04・06

2006-04-06 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「子供のすることはすべて大人のまねである。どうして凡夫凡婦の子にまね以外のことができよう。」


   (山本夏彦著「世はいかさま」 新潮社刊 所収)
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2006・04・05

2006-04-05 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中原中也(1907-1937)の詩一篇。

 閑寂

 なんにも訪(おとな)ふことのない、
 私の心は閑寂だ。

     それは日曜日の渡り廊下、
     ――みんなは野原へ行つちやつた。

 板は冷たい光沢(つや)をもち、
 小鳥は庭に啼いてゐる。

     締めの足りない水道の、
     蛇口の滴(しづく)は、つと光り!

 土は薔薇色、空には雲雀
 空はきれいな四月です。

     なんにも訪ふことのない、
     私の心は閑寂だ。


  (角川春樹事務所刊「中原中也詩集」所収)
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2006・04・04

2006-04-04 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に連載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された俳句を二句。

  花はわれか吾は花かや花吹雪

  天職を辞するは死ぬ日葉鶏頭   (小林清子)
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2006・04・03

2006-04-03 08:35:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私はこの世を『生きている人の世の中だ』と思っている。死者はあっというまに忘れられる。」

 「死者でなくても社会的名士は社会的生命が終れば死んだとみなされる。そしてあらためて生理的に死んだときに、ああまだ生きていたかと思いだされる。すなわち二度死ぬのである。
 今年もまた私はわが家の近くの川のほとりで花見をした。花見客は去年と変らないように見えたが、去年の客で今年の客でない人があることは、去年死んだ人がおびただしかったことによっても察しられるのである。名士が死ぬ年は名士でない人もまた死んでいるのである。花かげに幾たびか酔いえんや、貧しともうま酒を買いてましと古人はうたった。
 私はわが家の庭に来るひよどり、尾長鳥、雀のたぐいを見て、それが去年来た鳥の子か孫か区別しない。たれか鴉の雌雄を知らんやというが区別できない。たぶん去年の鳥もいようが死んでその子もいよう。
 私には鳥たちが区別できないように、鳥たちには私たち人間を区別できない。年々歳々花は同じだが、それを見る人は同じでないとシナの詩人は言ったが、それが自然なのである。これを新陳代謝と言う。」

   (山本夏彦著「おじゃま虫」 中公文庫 所収)
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2006・04・02

2006-04-02 07:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日引用した「さきだつ不孝をお許しください」と題した小文の続きです。

 「孝が決定的になくなるのは戦後である。『君には忠、親には孝』のうち忠は首尾よく退治できたが孝は始末に困った。自然の情だから心配するな、子は孝養を尽してくれると識者は言ったが、子は尽さなかった。禽獣の親は仔が一人前になるまでは実によく面倒をみるが、一人前になるとあかの他人である、それが自然で孝は自然ではない、教育なのである。
 だから支那では二千年以上かかって孝を教えこんだのである。いくら教えても自然でないものは一朝にして雲散霧消する。いま親の老後は子供の全員がみることになっているが、全員が見るということは誰も見ないことで、子は国に老人ホームをつくれという。
 いくら善美をつくした老人ホームでも幼な子のいないホームはホームではない。老若男女がいてはじめて浮世である。赤子がいるから老人は死ねるのである。あれは老人の生れ変りである。選手は交替するのである。
 いかにも孝はうそである。三年喪に服すといって、喪中の主人の前で客が親の諱(いみな)を口にすると主人は声をあげて泣かなければならぬと教えるが如きは大うそである。けれどもうそを全く滅ぼすと親兄弟が死んでもああ死んだか。あと遺産の奪いあいになる。うそはどこまで必要か私たちはいま宿題を課されているのである。」

   (山本夏彦著「寄せては返す波の音」 新潮社刊 所収)
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2006・04・01

2006-04-01 08:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『さきだつ不幸をお許しください』とニュースで肉声で聞いてびっくりした、わが耳を疑った。実に三十年ぶりで聞く文句である。平成十年五月五日大蔵省の青山官舎で自殺した同省開発機関課係長(二十八)が残した言葉だという。
 昭和三十年代まで自殺する若者は両親にあててたいていこの言葉を書いた。その時だって本気じゃなかった。自分の体は自分のものだという考えが一般だったが、それでも自殺するのはよくよくのことだ、万感こもごもいたって筆舌につくせない。
 その時つかむのがこの紋切型だった。人は多く自分が信じてない言葉を残して死ぬのだな、二千年来の教えはまだどこかに生きているのだなと私のなかなる第三者は見た。若者たちは知るまいが『身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり』というのは『孝経』のなかの言葉で、明治大正時代までは知らないものはなかった。毀傷は傷つけることで親にさきだって死ぬのは不幸の極だった。
 『だって病気で死ぬんだ、どうしてそれが不孝になるのか』と口をとがらすのは大正以来である。『親の嘆きを思わぬか』と歌舞伎のせりふにある。
 谷崎潤一郎や吉井勇は親不孝を看板にデビューしたと谷崎自身がその青春回顧に書いている。それが受けたのだから大正デモクラシーは親不孝が売物になった時代である。『あいつ親のためを思えば勉強せずにはいられないんだとサ』と嘉村礒多は長州の名門山口中学で上級生にあざけられたことは前に書いた。明治末年のことである。それ以後でも田舎にはまだ親孝行は残っていた。近所でうしろ指さされるからである。」

  (山本夏彦著「寄せては返す波の音」 新潮社刊 所収)
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