と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

新任式・始業式・担任発表動画掲載

2011年04月06日 23時11分44秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 今朝は、始業式レジメを記事にして発表させていただきましたが、実はわたくしのマインドマップ・メモは、内容が最初から増えていました。計画的にレジメ破りをしたのかもしれませんが、どうしても在校生への語り部でありたいという欲求に勝てませんでした。




 1点目は、先達のこと。先輩として、明日入学してくる後輩たちをやさしく面倒見てほしいということ。
 徒然草を紹介しながら、少しのことにも案内人はあるべしということでありました。


 2点目は、学習のこと。
 授業の忠実なるコピーをノートに写し取っているだけではいかんということを力説しました。そのコピーを効果的に再生できるのが、学校秀才。しかし、それだけではいかんということをです。再編集できてこそ成長する。さらに、文脈で考えられる、表現できるレベルまで行ってこそ本物。学習指導要領で言われる言語活動はそれを言っているということを言いました。


 3点目は、「関係性」のこと。
 大震災で救助活動をしている方々、年端もいかない少年少女たちも一生懸命地域の方々、特にお年寄りのために活躍している。しかし、ちょっと前までは、自分さえ幸せなら他人なんかどうでもいい、あるいは他人に迷惑をかけなければなにをしてもいいんじゃんとかのたもう若者がたくさんいた。そんなんでいいのか?自分のことしか考えられないんでは、それはエゴイズムでしかない。エゴは、ニヒリズムを生む。そうであってはいけない。人間をまるでゴミのように扱うような思想を持ってはならない。関係性を持つことによって、先生と生徒ののりを超えずという生き方をしてほしい。これはあらゆる人間関係の基礎である。パッションという英語は、情熱という意味だそうだが、今朝のラジオではドイツ語で受難という意味もあるそうだ。どうか、どんな苦難があっても情熱を持って立ち向かってほしい!




 概略以上のようなことを申し述べました。


 かなり力が入っていました。
 動画にして、様子を拙ブログに載せてありますから、見てください。

 放課後印刷室で、先日全国に紹介していただいた日本教育新聞の記事と、卒業式について書いていただいた日刊紙大衆日報の記事を抜粋したプリントを印刷していました。


 ある先生に、「気合いが入っていましたね」と言われました。その先生の周りに、新任の先生が3人ほどおられたのですが、なにやら恐怖心を持ってわたくしを遠巻きにしておられるのがわかりました。


 思わず苦笑いが出ました。動物園のゴリラになったような錯覚に陥りました。


 


 そういえば、先日近隣の高校に出かけた時です。玄関を入って、すぐ事務室があるのですが、荷物がいっぱいあったので、玄関に荷物を置いて車に引き返して、追加の荷物を持って再度玄関を入っていきましたら、事務室が妙な雰囲気になっていました。つまり勘違いをなさっていた。すぐわかりました。あ、最初に名乗るべきだったと。幸い事務長先生が以前からの知り合いでありましたから、事なきを得ましたが。これもまた苦笑いの事例。


 


 普段から、できるだけ優しい声で話したいとこころがけているのですが。
 それがちっともできません。
 もう、無理でしょう。
 柔道部、応援団とまるっきりバンカラを気取って数十年たってしまったのですから。
 いまさらもう遅い。


 だいいち、気取っていたって、お里が知れる。
 風貌は、品格を如実に表している。まだまだわたくしごとき、修行が足らん。
 可能ならば、ほんとうにやさしく、愛のある言い方で、尊敬するマザーテレサのように接したいのでありますが、実に困難であります。わたくしの内部評価では、優しさの点では、高い評価をしておるんですがね。ご理解いただけないようです。ですから修行が足りないと思うわけです。

 一生かかっても改善したいことであります。




 担任発表は毎年微笑みます。 
 生徒の反応がです。
 こういうときが、教師としての楽しみでありましょう。実に担任の先生がうらやましい。


 動画ではちょっとだけ雰囲気を載せてあります。
 先生方の名前は編集でカットしてあります。


 生徒も楽しみにしているのがよくわかります。


 


 いい学校です。


 実にいい学校です。






 また明日!
 


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始業式レジメ

2011年04月06日 05時42分22秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

    先達はあらまほしき事なり
                                                                  校長 外山日出男
 年度末3月に大震災があって、未だ現在進行形で被災状況が報道されている。終業式でも申し上げたが、犠牲になられた方々や被災された方々にこころからお見舞い申し上げたい。
 さて、新年度を迎えた。今日から新学期が始まる。また、明日には新入生も迎える。在校生諸君は、新入生から見れば、先輩になるわけである。そこでお願いがある。どうか、新入生がよりよく学校生活を送ることができるように、手本となり、あたたかく相談にものっていただきたいということである。
 物事には必ず先達ということがある。
 古典の中でも名著とされる徒然草第52段「仁和寺にある法師」に先達という言葉が出てくる。


 仁和寺(にんなじ)にある法師(ほふし)、年寄(としよ)るまで石清水(いはしみづ)を拝(をが)まざりければ、心(こころ)うく覚(おぼ)えて、ある時思(おも)ひ立(た)ちて、たゞひとり、徒歩(かち)より詣(まう)でけり。極楽寺(ごくらくじ)・高良(かうら)などを拝(をが)みて、かばかりと心得(こころえ)て帰りにけり。
 さて、かたへの人にあひて、「年頃(としごろ)思ひつること、果(はた)し侍(はべ)りぬ。聞きしにも過(す)ぎて尊(たふと)くこそおはしけれ。そも、参(まゐ)りたる人ごとに山へ登(のぼ)りしは、何事(なにごと)かありけん、ゆかしかりしかど、神(かみ)へ参(まゐ)るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
 少しのことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり。


 仁和寺にいたある法師(僧)は、年寄りになるまで、石清水八幡宮に参ったことがなかったので、残念に思い、ある日思い立って、ただひとり歩いて参拝に出かけた。極楽寺(ごくらくじ)や高良(こうら)神社などを拝んで、これだけと思い込み、帰ってきてしまったという。
 そして、仲間に会って、「長年思いつづけてきたことを果しました。うわさに聞いたのよりまさって、まことに尊い御様子でした。それにしても、参拝していた人たちがみな山へ登ったのは何かあったのだろうか。知りたかったけれども、神社へ参拝するのが本来の目的であると思って、山の上までは見ませんでした。」と言った。
 ちょっとしたことにも、案内役はあってほしいものである。


 これである。何事につけ勘違いというのはある。また、思い上がって世の中に自分ほどエライものはないとか、天才秀才であるとか、インテリであるとか思い込むのは勝手だが、自己分析力を身につけるのもまた必要なことである。高校生時代というのは、まことにおかしな時期でもある。そのあたりは太宰治の「津軽」という作品を読むと、若さ故の思い上がりがたくさんある。実に楽しい話のオンパレードである。なぜなら、批判力とうぬぼれと自信のなさも混在しているからである。つまりバランスがとれていないのである。ドンキホーテもいいところである。成熟した大人から見たら、かわいそうになるくらいである。
 であるからこそ、調和ということをマスターしてほしい。学問に精励し、健康体力を養成し、人物(人格)向上を図ってほしい。
 それが、「先達」である在校生諸君の、新入生へ示すことのできる姿である。あってほしいとこころから願わずにはおれない。諸君達が頑張らなくてはなにもならない。自らの進路を切り開き、大いに学び、大いに鍛え、大いに人物向上をしていただきたい。                                

                                    勉強なさいませ、全ての面で。  


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4月5日(火)のつぶやき

2011年04月06日 01時16分45秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

20:33 from web
人々が何を目指してよいのか、なんのために生きているのかがわからなくなる。至高の価値が、その価値を剥奪されること。「力への意志」・・・・・・・ニーチェ
20:34 from web
しかし、今回の大地震で、そんなことを考えている若人はいないと感じる。
20:36 from web
あれだけの被害を受けても、この世の中に絶望をしていない。どこかに興味のある対象があるはずだという観点からの映像を受け取る。これは貴重なり。
21:17 from web
尊敬すべきはエゴに陥っていない。これが東北の若人である。すばらしいことである。エゴは、ニヒリズムに陥る。それを明日の始業式では言いたい。レジメでは徒然草を扱ったが。話は、発展しそうである。
21:21 from web
ツイッターで、話の骨格を作っていくと、これはいいツールである。最近始めたばかりで、よくわかっていないから、どうしようもないが。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/