今朝は、始業式レジメを記事にして発表させていただきましたが、実はわたくしのマインドマップ・メモは、内容が最初から増えていました。計画的にレジメ破りをしたのかもしれませんが、どうしても在校生への語り部でありたいという欲求に勝てませんでした。
1点目は、先達のこと。先輩として、明日入学してくる後輩たちをやさしく面倒見てほしいということ。
徒然草を紹介しながら、少しのことにも案内人はあるべしということでありました。
2点目は、学習のこと。
授業の忠実なるコピーをノートに写し取っているだけではいかんということを力説しました。そのコピーを効果的に再生できるのが、学校秀才。しかし、それだけではいかんということをです。再編集できてこそ成長する。さらに、文脈で考えられる、表現できるレベルまで行ってこそ本物。学習指導要領で言われる言語活動はそれを言っているということを言いました。
3点目は、「関係性」のこと。
大震災で救助活動をしている方々、年端もいかない少年少女たちも一生懸命地域の方々、特にお年寄りのために活躍している。しかし、ちょっと前までは、自分さえ幸せなら他人なんかどうでもいい、あるいは他人に迷惑をかけなければなにをしてもいいんじゃんとかのたもう若者がたくさんいた。そんなんでいいのか?自分のことしか考えられないんでは、それはエゴイズムでしかない。エゴは、ニヒリズムを生む。そうであってはいけない。人間をまるでゴミのように扱うような思想を持ってはならない。関係性を持つことによって、先生と生徒ののりを超えずという生き方をしてほしい。これはあらゆる人間関係の基礎である。パッションという英語は、情熱という意味だそうだが、今朝のラジオではドイツ語で受難という意味もあるそうだ。どうか、どんな苦難があっても情熱を持って立ち向かってほしい!
概略以上のようなことを申し述べました。
かなり力が入っていました。
動画にして、様子を拙ブログに載せてありますから、見てください。
放課後印刷室で、先日全国に紹介していただいた日本教育新聞の記事と、卒業式について書いていただいた日刊紙大衆日報の記事を抜粋したプリントを印刷していました。
ある先生に、「気合いが入っていましたね」と言われました。その先生の周りに、新任の先生が3人ほどおられたのですが、なにやら恐怖心を持ってわたくしを遠巻きにしておられるのがわかりました。
思わず苦笑いが出ました。動物園のゴリラになったような錯覚に陥りました。
そういえば、先日近隣の高校に出かけた時です。玄関を入って、すぐ事務室があるのですが、荷物がいっぱいあったので、玄関に荷物を置いて車に引き返して、追加の荷物を持って再度玄関を入っていきましたら、事務室が妙な雰囲気になっていました。つまり勘違いをなさっていた。すぐわかりました。あ、最初に名乗るべきだったと。幸い事務長先生が以前からの知り合いでありましたから、事なきを得ましたが。これもまた苦笑いの事例。
普段から、できるだけ優しい声で話したいとこころがけているのですが。
それがちっともできません。
もう、無理でしょう。
柔道部、応援団とまるっきりバンカラを気取って数十年たってしまったのですから。
いまさらもう遅い。
だいいち、気取っていたって、お里が知れる。
風貌は、品格を如実に表している。まだまだわたくしごとき、修行が足らん。
可能ならば、ほんとうにやさしく、愛のある言い方で、尊敬するマザーテレサのように接したいのでありますが、実に困難であります。わたくしの内部評価では、優しさの点では、高い評価をしておるんですがね。ご理解いただけないようです。ですから修行が足りないと思うわけです。
一生かかっても改善したいことであります。
担任発表は毎年微笑みます。
生徒の反応がです。
こういうときが、教師としての楽しみでありましょう。実に担任の先生がうらやましい。
動画ではちょっとだけ雰囲気を載せてあります。
先生方の名前は編集でカットしてあります。
生徒も楽しみにしているのがよくわかります。
いい学校です。
実にいい学校です。
また明日!