本校からも入学させていただいている旭中央病院看護専門学校に今日は行きました。
入学式でありました。
うわさには聞いておりましたが、実に大きくて、近代的。
びっくりしました。鴨川にあるテレビにも出てくるような有名病院にも匹敵するようだと思いました。
この学校は、実にレベルが高い。なかなか入学できません。今年の卒業生で、複数名入学させていただきました。非常に感謝させていただいています。
入学式もシンプルであって、中身がぎゅっとつまっています。
こういう学校で、看護師としての勉強をさせていただくことが、本校からの入学生に役立つことだろうなと思って帰って参りました。
看護師という仕事は、尊い、実にすばらしい職業であります。とても、わたくしごときにできることではない。基礎が違います。人格的な基礎。もっと言えば、愛の無い人にはできない仕事でありますが故に。
わたくしはこれまで具合が悪くなって入院したということが殆どないので、これまでもこれからも病院と関係を持たしていただきたくは無いのです。つまり入院はしたくないのです。しかし、いつまでもそんなことを言っているわけにもいかないでしょうから、覚悟はできています。加齢がそれを許さないでしょうから。
ハイデガーの言うとおり、人間は死すべき存在でもあります。それを忘れて、永遠に生きているような錯覚に陥ってはならないのです。
しかし、今回の大震災で、わたくしたち日本人は、それを思い出したのではないでしょうか。永遠に続くものなど一切ないということをです。
実は、日本人の心が荒廃しているという前提のもとに、あるレポートを書こうとしています。荒廃の理由はなぜかということを課題として、それを分析して書こうと思っています。生と死を見つめることなくして、充実した人生を送ることはできないと思っているからです。そのことをこれから生涯かけて追求していこうと考えています。しかし、現実は違った。実に立派な行動を、実践を見させていただいています。大震災の現場の中継からです。尊い生き方をされている方々が多く、ボランティアをしている若者たちに感動しています。若者批判を封印しなくてはなりません。ですから、レポートの内容を変えなくてはなりません。前提が崩れたからです。
この話題はこれくらいにしましょう。いかに、専門とはいえ、教育の場にはふさわしくないからです。教育はある意味、前進主義ですから。永劫の発展のみを見る。それが教育でもあります。希望です。希望無くして教育は無い。
今日は、式場にわたくしのかつての教え子が、それは立派になられて、受付をされておられました。
最初、別の受付の方から、ご父兄の方ですか?と聞かれたわけです。
まさか、自分で、自分を来賓ですとは言えません。どんなに面の皮が厚くてもです。なんと言っていいかと迷っていました。偉そうに、そんなことを言えるわけもないですから。
そしたら、「先生、お久しぶりです」「1年3組の***です」「海上中の」とおっしゃる妙齢のご婦人がおられて助かりました。すぐわかりました。旧姓で。
ありがたいかぎりであります。わたくしごときものを覚えてくださいました。おかげで恥をかくこともありませんでした。これもまた関係性であります。いわゆるご縁。
きれいな胸章をつけてくださいと言われましたが、「そんなえらそうなもんでございません」と思わず言ってしまいました。まさに、ただの凡人です。このような晴れの場にはまったくふさわしくない。ただただ本校から入学させていただいたという御礼の気持ちでしたから。
また明日!