暗記力を高めるのに、もしかしたらブログが有効なのかもしれないと思い始めています。つまり、アウトプットすることで、自分の記憶を確かめることができるからです。生徒諸君のブログも、プロフも見させていただいています。しかし、あれをもう少し工夫されることで、勉強のツールになるかもしれないと思い始めました。自分の日常生活を書いているのもいいでしょう。それはそれとして、です。
なぜそんなことを思い始めたかというと、またまた明治大学の教授の齋藤孝先生の「暗記力」という本を、今日の出張の帰り、いつも行っている古書チェーン店で105円で買ってジムで読了したからです。40分も汗かきながら、自転車をこいでいれば読了してしまいます。健康にもいい。ためにもなります。
たとえばこの拙ブログでも、本を紹介する時には、直接書名を紹介したりはしておりません。あくまでも、わたくしの感想から入っています。それに気がつかれたことがありますでしょうか。本の内容紹介から入るのではなく、愚昧なるわたくしが、何を考えたかということから入っていきます。
なぜか?
周辺の知識から入ると暗記を基盤とした知識が本物になるからです。
ドストエフスキーをこれまで二回新潮社の全集で、全部読了しているのですが、これを友人に熱く語っていたから、読了できたのです。また、わが人生観の基盤を作ってくださった偉大なる作家でもあるわけです。重要な表現は今でもふっと脳裏に浮かびます。18歳から19歳の時でしたから、確かに40年前です。
以来、葉脈を通して太陽の光線を見るときに、マルメラードフを思い出したりするわけです。これが暗記力だと思うのです。いろいろな作家の気に入ったフレーズを、会話でも時々ですが、出てきます。これも暗記しているから出てくるわけです。
友人たちはおおいなる迷惑をこうむったと、いまでも言いますがね。
ただし、ブログが有効だと言っても、あまりに日常的な、朝何時に起きて、ご飯を何杯食べて、ああして、こうしてというのではいかがなものか。そんなのがどういう意味を持っているのでしょうか。学校名まで出して、遊びの記録を出している暇があったら、読書したまえと余計なことを言いたくなります。
自分の得た知識を書くことも勉強になるのかもしれないと思い始めています。
今日、フォイエルバッハの本がA**zonから自宅に送られてきました。これは、わたくしの別のブログに感想を綴っていきます。これで知識が本物になるわけです。そのブログには、ニコニコ動画から得たところのハイデガーの動画や、ニーチェの映像(本物かどうか知りませんが、動画まであります)までアップしてあります。大好きな歌手小椋佳様の山河という歌もです。この歌手は、東大大学院で道元の研究をして、修士論文まで書いています。また、いろいろな新聞記事を新聞社のHPからブログに感想を書くサービスを利用して、考えたことをまとめていきます。つまり要約のチカラを養成しているのです。これは勉強になります。
柔道もそう。
30歳で4段を取ってから、これまで30年間昇段したことの無い実に懶惰な柔道生活を送ってきました。しかし、これもまた柔道専門拙ブログにいろいろ書き込むことで、勉強になるわけです。やはり、ニコニコ動画から柔道の練習方法とかをアップしてあります。尊敬する木村政彦先生の練習風景も紹介してあります。空気投げの三船十段の動画もインターネットの世界にはありますから、それも紹介してあります。別ブログで。これは柔道教室の保護者の方々には好評であります。
そういう風に、何でも勉強になるわけであります。
工夫一つです。
ほんとうにそう思います。
しかし、本当に力がつくのは、立派な師匠を持って、真剣に論文を書くことです。齢60になんなんとしていますが、未だに書くことで勉強をさせていただいております。しかもまったくお話にならん低レベルです。それでも、低レベルなりに、書く以上は参考文献をいろいろ買って学ぶしか無い。あくまでも履歴のために学んでいるのではないからです。履歴書を飾るために勉強してはならないと、劣等生のわたくしは思っておるのです。これまでもそう。これからもそう。あの偉大なる教師、ソクラテスはまさにそう言われているではないですか。無知であるから、勉強するのです。
もっとも自慢したって笑われるのがオチです。
それこそ最も忌み嫌う「個人的に」でしかないからです。
なんか今日は熱く語ってしまいましたね。
うんざりするでしょうけれども。
また明日!
なぜそんなことを思い始めたかというと、またまた明治大学の教授の齋藤孝先生の「暗記力」という本を、今日の出張の帰り、いつも行っている古書チェーン店で105円で買ってジムで読了したからです。40分も汗かきながら、自転車をこいでいれば読了してしまいます。健康にもいい。ためにもなります。
たとえばこの拙ブログでも、本を紹介する時には、直接書名を紹介したりはしておりません。あくまでも、わたくしの感想から入っています。それに気がつかれたことがありますでしょうか。本の内容紹介から入るのではなく、愚昧なるわたくしが、何を考えたかということから入っていきます。
なぜか?
周辺の知識から入ると暗記を基盤とした知識が本物になるからです。
ドストエフスキーをこれまで二回新潮社の全集で、全部読了しているのですが、これを友人に熱く語っていたから、読了できたのです。また、わが人生観の基盤を作ってくださった偉大なる作家でもあるわけです。重要な表現は今でもふっと脳裏に浮かびます。18歳から19歳の時でしたから、確かに40年前です。
以来、葉脈を通して太陽の光線を見るときに、マルメラードフを思い出したりするわけです。これが暗記力だと思うのです。いろいろな作家の気に入ったフレーズを、会話でも時々ですが、出てきます。これも暗記しているから出てくるわけです。
友人たちはおおいなる迷惑をこうむったと、いまでも言いますがね。
ただし、ブログが有効だと言っても、あまりに日常的な、朝何時に起きて、ご飯を何杯食べて、ああして、こうしてというのではいかがなものか。そんなのがどういう意味を持っているのでしょうか。学校名まで出して、遊びの記録を出している暇があったら、読書したまえと余計なことを言いたくなります。
自分の得た知識を書くことも勉強になるのかもしれないと思い始めています。
今日、フォイエルバッハの本がA**zonから自宅に送られてきました。これは、わたくしの別のブログに感想を綴っていきます。これで知識が本物になるわけです。そのブログには、ニコニコ動画から得たところのハイデガーの動画や、ニーチェの映像(本物かどうか知りませんが、動画まであります)までアップしてあります。大好きな歌手小椋佳様の山河という歌もです。この歌手は、東大大学院で道元の研究をして、修士論文まで書いています。また、いろいろな新聞記事を新聞社のHPからブログに感想を書くサービスを利用して、考えたことをまとめていきます。つまり要約のチカラを養成しているのです。これは勉強になります。
柔道もそう。
30歳で4段を取ってから、これまで30年間昇段したことの無い実に懶惰な柔道生活を送ってきました。しかし、これもまた柔道専門拙ブログにいろいろ書き込むことで、勉強になるわけです。やはり、ニコニコ動画から柔道の練習方法とかをアップしてあります。尊敬する木村政彦先生の練習風景も紹介してあります。空気投げの三船十段の動画もインターネットの世界にはありますから、それも紹介してあります。別ブログで。これは柔道教室の保護者の方々には好評であります。
そういう風に、何でも勉強になるわけであります。
工夫一つです。
ほんとうにそう思います。
しかし、本当に力がつくのは、立派な師匠を持って、真剣に論文を書くことです。齢60になんなんとしていますが、未だに書くことで勉強をさせていただいております。しかもまったくお話にならん低レベルです。それでも、低レベルなりに、書く以上は参考文献をいろいろ買って学ぶしか無い。あくまでも履歴のために学んでいるのではないからです。履歴書を飾るために勉強してはならないと、劣等生のわたくしは思っておるのです。これまでもそう。これからもそう。あの偉大なる教師、ソクラテスはまさにそう言われているではないですか。無知であるから、勉強するのです。
もっとも自慢したって笑われるのがオチです。
それこそ最も忌み嫌う「個人的に」でしかないからです。
なんか今日は熱く語ってしまいましたね。
うんざりするでしょうけれども。
また明日!