「その日暮らし」はいかがなものかと思ふのである
昨日、某大学の授業終了後に、知人の勤めている学校に見学に行ってきた。知人は、私が40代のころから交流があるから行ってきたのである。まだその学校にいるとある人を介在して先週聞いたから、こっちからガラケーで連絡した。学校にではない。知人の携帯にである。学校に電話したら迷惑だろうからである。それくらいは、いくらバカの私でもわかっているからだ。
そしたら、来て見ないかと言われた。バイトをさせていただいている某大学の近くである。木曜日に授業をさせていただいていることは、知人にも言ってある。あるから、なんで知らんぷりをしているのだ?ということになった。だから行ったのである。一緒に仕事をした仲間である。酒席も共にしたことがある。何度も。
しかし、なるほどと思った。いくら退職したといっても、これじゃあ冷たい。思いやりがない。そういうのはいけない。私の主義にもとる。
リニューアルされた学校を案内していただいて、後は雑談していた。
なにしろ雑談の名手である。こちらのじーさまは(私のこと)。
それであっと思った。そうだ。これでどっかで死んじゃったら、知人とも会うことがなくなっちまったんだということに気がついたのである。いつもこんな具合にものごとが展開していくのだ。情けない。それに今月はカナダとアメリカに行く。もし、飛行機が落っこちたら、知人と会う機会もなくなってしまう。これでは成仏できない。だから、思い切って行ったのである。会いに。
確かに、退職したのだから、前の仕事に関わっている方々とは会わない方がよろしい。それは事実である。いつまでも、女々しく情けないことばかり言って、回顧談に花を咲かせるなんていうことは私の主義にもとる。やりたくないのである。そんなくだらないことは。
私は過去だけにとらわれて生きていたくはない。全てこれからである。これから前進していくしかない爺である。前進をストップしたら、こっちの命は危うい。
生涯学習でもって、惚け防止をしながら前進していくしかない。ところがである。応接室でちょっと話をしたら、その壁に私のみっともない写真が額に入れて貼り付けてあった。創立100年を超える学校だから、初代からずっと写真がある。なんだか恥ずかしくなった。私以外の写真の方々は、みんなエライ方々ばかりである。そんな方々と並んでいたら閻魔大王に怒られる。
早々に、応接室は退散して、事務室に移動した。さらに雑談をしていた。
たまには、こういうこともいいものである。
あまりベタベタした関係はこっちからお断りだが、たまに会って雑談しているのもいい。それに私は酒席に出ることがまったく無くなったから、余計いい。素面で雑談をしているのがである。おバカキャラのミニスカオネーチャンもいない。そういう世界は完全に厭きた(^_^)。
これからは、草の枕を旅の友として、長いおつきあいをいただいている古女房ドノと旅行をしていきたいと思っている。いや、実際してきた。これからもしていく。長い間働いてきたご褒美である。自分への。あるいは古女房ドノへの。
蟻とキリギリスではないが、まったく私は蟻のように働いてきた。すくなくとも「その日暮らし」ではなかった。
この「その日暮らし」というのは、私のもっとも忌み嫌う生き方である。
バブルのころに、そういうのが多かった。一時的に高収入であることを鼻にかけて、威張り、周囲をバカにし、夜な夜な遊んで暮らしているバカがいた。経験上知っているからである。しかも、ご丁寧に博打というか、ギャンブルにうつつを抜かしてすっからかんになっている輩である。
友達の数の多さを競い、社交自慢をしていた輩である。どれだけオノレが仕事人間として優れているかということを自慢していたのもいたっけなぁ。
退職したらな~んにも関係なくなっちまうのである。拘っていてはならない。自分が惨めになる。現役時代の人間関係は、退職したらそれきりである。そういう現実を踏まえていないと、自分が情けなくなる。それこそ、「その日暮らし」である。
計画性と展望をモテとは言わない。言わないが、牛歩のようにたとえ歩みは遅くとも、じっくりと生きていくべきであろう。
やはり同年配で(男だが)、もうおむつの世話になっているのがいる。知人で。私とは別の世界で派手に稼いできた男である。月収が100万を超えていた。だから、派手に遊んでいた。さらにギャンブルも大いにやっていた。東大教授よりも月収があった。唯一の自慢だった。それが。だから学者センセとか、私のように蟻そのもので少ないサラリーで稼いでいる人間をアホ扱いにしていた。
ところが、天は平等である。
彼は、大病に次ぐ大病を患い、おむつをつけている状態である。私も、いつかはそうなるだろう。けれども、今はまだそうなっていない。それに借金がない。たいていの自営というのは、借り入れ金があってそれでもって事業を展開している。だから表面はたいそうな金持ちに見えても、内情は火の車という方もおられるのである。
そこのところを勘違いしてはならないのである。
血筋自慢の方々も多い。あれって、バカの言うことである。やっちゃいけない。絶対に。そんなに血筋を自慢したって、どっかで混乱しているのが血筋である。徳川将軍だって、ルーツはとんでもシンドバットである(古いですなぁ~)。国内の混乱でもって勝者になってきたというだけである。そんなことをやっている暇があったら、蟻になってしみじみ働いていくべきである。
学歴自慢もバカのやることである。そもそも現代教育なんて、明治維新からの歴史しか持っていない。
うううううむ。
バカは私だけではないらしい。
もっとも、私の方は、救いようのないバカであるけれども。
けふは、朝から大雨である。
マイッタな。
これから再検査で東洋一の大病院に行くからである。歩いて。運動にもなる。主治医とお会いするのが楽しみである。結果も。
じゃぁそろそろ。
惚け防止のための文章書きトレーニングもこれくらいにしますよん。
(^_^)ノ””””