ミャオ族のお婆ちゃんに学んだこと
ミャオ族という方々が中国にはおられる。鳳凰古城の近くである。今回どうしても見てみたかった少数民族の方々である。
鳳凰古城の裏通りに一人おられた。現地ガイドによると、90歳を越しておられるお婆ちゃんであった。手縫いの土産物を販売されていた。
ボキは、まったく中国語を話せないから、会話が不可能であった。それでもなかなか魅力的な御仁であった。
なぜか。
仕草も、表情も淡々としておられたからである。
なんとしても売って、儲けをだそうというようなギラギラしたものがまったく感じられないからだ。
普通の中国人はギラギラが徹底している。反日教育のたまものであろうか、日本人とみると気迫を込めて睨みつつけてくる若い男もいる。
そうしたものが、このお婆ちゃんにはまったくない。感情の起伏もない。平安である。ストーンと落ちてくるような、風情がある。
見習いたいと思った。
もうどうでもいいではないか。
メリットだの、デメリットだのという世間の打算は。
ま、ボキは多少まだそういうものにしがらみを感じてしまう部分があるのだけれども。
終末期を迎えたら、こだわらないことである。こだわって、こだわってギラギラとして生きていたらくたびれるではないか。
アホらしい。
らしいではない。全くのアホである。
いつまでも、銭儲けでしこたま儲けて、そんなもんどうするんじゃいと思う。死んだら、あっちの世界には持っていけないではないか。
もっとも、ボキはあっちの世界に持っていくほどの銭もないけど。
わははははっはははっははははっははははっははは。
今回の旅では、実に考えさせられることが多かった。同行者が、ほとんど同年配であったからでもある。最高年齢が、79歳のご婦人。この方もたいしたもんだった。これまでエベレストも、ネパールも、マチュピチュも、モンブランも行った山女であった。元気である。実に元気。ダンナさんを亡くされて、ずっと旅行三昧。死んだら、あの世に持って行く銭もなしと言っておられた。
同感である。
いろんなご同輩がいて、楽しかった。そしてやはり威張り散らしている中級レベルの老夫婦もいた。なにかと自慢話ばかりしている中級階級。15階建てのマンションに住んでいると自慢していたが、そんなもんが自慢の種になると思い込んでいる方が喜劇である。こういう輩はどこにでもいる。底の浅い中級階級である。
ボキなんかなんにも自慢する種がない。ないからじっと沈黙を守っていた。うっかり現役時代のことをしゃべりそうになったから、クワバラ・クワバラである。
どうせたいしたことをやってきたわけではない。
五つのアルバイトでやっと喰っているだけである。
こういうジジイもいていいのである。
笑い話だけで生きているジジイ。
今日も千葉市でアルバイトをしてきた。
これから夜バイトで塾に行く。
楽しいもんですなぁ。
なんだか死なないような気がしてきたですよん。
ヾ(*´∀`*)ノ