天門山の天門洞のように空虚なものである。ボキ等は。そもそもがである。
久しぶりの休日のような気がしていた。朝からである。水曜日に中国から帰ってきたのだが、それから千葉市で・居住地でバイトをしていたからである。
しかし、考えてみたらずっと休日であった。ボキはもう定年退職したから毎日が日曜日である。ただし、自分のためにアルバイトをしているだけである。惚け防止である。
こんな生活もルーティンとなると息抜きも欲しくなるらしい。だから、今日は孫を連れて退学した某大学があるT市まで夕食を食べに行ってくる。むろん長男夫婦も一緒である。
午前中は、居住地の文化祭がある。合併以前は別の町であったところの公民館である。太極拳の発表会がある。ボキは出場不可能。というよりそのレベルに達していない。ま、そんな程度のものである。ただし、先輩たちの見事な技は会場で見てくる。来年までできないからだ。4月からまた講習会が始まる。タノシミにしているけど。
「淡々として生きる」ということを目標にしてから、なんだか平穏である。気持ちが一定している。
以前は、ささいなことで腹が立ったり、自己嫌悪に陥ったりしていた。これはなにかにとらわれていたからであった。とらわれているから、こころにさざ波が立つ。
結果、トラブルが起きる。
視点が相手にあるからだ。他人にどう思われるかとか、評価を気にしているからである。
そんなもん、どうでも良いことでしかない。
ボキは、親戚も九十九里浜にはいないし、天涯孤独である。だから、視点を他人に持っていく必要がない。誰にどう思われようと関係ないのである。これは実に気楽である。
ま、だからと言ってデタラメにやっていれば良いというものでもない。
最低限の社会的規範は守っている。運転もそうだ。アルコールを飲んで運転していたら、こりゃぁ犯罪である。そういうことだけはやらない。セクハラもそうだ。パワハラもそうだ。
偉そうにしても誰も相手にしれくれないしねぇ。
わははっはははっはははっははははっははははっはははは。
そもそも、威張ってみたって、そんなのジジイの空威張りである。まったくの空虚。
山の中腹にぽつんと穴が空いているようなもんである。
そういえば、中国の天門山にぽっかり空いた穴(天門洞)がまさにそうだったなぁ。これすごかった。降りるのにである。膝がガクガクになってしまったよん。なにしろ階段が999段もあったのだから。
それに天門道を飛行機がくぐったというのも中国らしい。スケールがデカイ。話にならない(^_^)。
ヾ(*´∀`*)ノ