と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

素敵なお誘い・・・しかも女性からじゃ。こんなことは滅多にないことじゃ。(^0^)

2015年09月17日 09時53分00秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

中国語講座が復活しそうだ・・・ありがたいもんである

 

 


居住地で中国語講座を受講している。居住地の社会教育講座でやってもらっている。

昨日の晩も行ってきた。10人くらいで学習会をやっている。世話人のM氏(日本人)が体調を崩されてから、これからどうなるのかと心配していた。休会になるのかということである。それに、そもそもお役所がやっている講座である。この9月で終わりになる。半期しかやってくれない。あと半年は放っておかれるのだよん。

実力がないから、あと半年も放っておかれたらまったく勉強しないのはわかっている。それに強制的に学ばないと、できない。ジイジになってから特にそうだ。もともと悪いアタマだ。だから、なんとかならないかと思っていた。

そしたら、70代の先輩たち(女性陣)から、素敵なお誘いを受けた。なんと中国人女性講師の家に月二回土曜日に集まって、学習会を継続しようとなったのである。無料というわけにもいかないだろうから、それなりの謝礼を包んでである。しかも講師先生のはからいでもって、ご自宅を開放してくださるというのだ。

こんなありがたいことはない。感謝感激である。講師先生のご自宅は広いからできる。かなりの度量がないとこんなことはできないだろう。器がでかい。たいてい中国人というと勝手なイメージが先行しているのだが、この女性講師は非常に謙虚な方である。日本人のおバカキャラオネーチャンとは違って、実に謙虚な方である。デカイ声を出して、自己主張もなされない。もともと中国語というと、デカイ声を張り上げて話すイメージがあるが、そういうキャラではない。獣医のライセンスを持っておられて、それでもって日本で仕事をされているインテリでもある。お子様もおられる。こういう方が、中国人にもおられるのである。自分勝手なイメージでもって、極端な一般化をしないほうがいいという良い例である。

 

ともかく助かった。

実は退学した大学でも中国語講座をやっていただいていたのだが、成東駅前のインフォメーションセンターが駅前開発で取り壊しになった。それで中国語講座が無くなってしまった。こっちはどうなるかわからない。これから。それに退学したのに、今更おめおめと大学のキャンパスに出かける気にもならない。

退学したのに、中国語講座だけは別物か?と言われたら抗弁できないではないか。しかも、学力劣等・健康不安でもって退学したのである。言い訳だけは無用である。昔から、言い訳だけはしないようにしてきた。だからしない。ご縁の薄かった大学である。もう、戻れない。それっきりであったからである。

これで、中国に関する藝能史の学習が途切れることも無くなった。せっかく日中比較芸能という分野でもって、駄文ではあるが、論文を書かせていただいてきたからである。それに、その論文も「房総の郷土史」という研究誌に三年連続で発表させていただいた。これもまた記念になったことである。

さらに、今年の5月には千葉市の市民会館で行われた文化講座の講師までさせていただいたし。これからも私は、こういう方面の追求だけはしていきたいからである。つまり、中国語の知識がないと書けない分野であるからだ。日中比較芸能であるから、当然である。当然。

ただし、実力がない。話せない。マイル。まったくもってマイってしまう。英語とはかなり違う。ま、英語も実力はないのだが。受験英語なら塾で教えているから、できないというわけにはいかないからである。

それにしても助かった。実にありがたい。

中国に行く予定はない。否、無くなった。退学した大学を卒業できたら、学位請求論文のテーマであった目連救母劇を取材に中国福建省の厦門大学に短期留学をしたいと思っていたから、資金も準備していた。それなりに計画的にやっていたのである。こんなジイジでもである。マジに。

それで中国語もやっていたのである。

退学したから、頓挫してしまったが。

ま、健康に不安があるんではそれもできない。再検査の度に日本に帰ってきていたら話にならない。

そういうわけで、私の第二の青春は終わったのである。懐かしい思い出である。クラスメイトたちは、ミンナ美人で、親切だったし(^-^)/。なんにも後悔はしていない。全部終わったのである。それっきりである。

でも、歴史学をもう一度、基本的なことから趣味で学んでみたいというのはある。大学通信教育でもいいから、またまたやってみたいとは思っているからだ。

それなりの分野別こだわりは持っているようである。こんなジイジでも。

時間つぶしと、ののしられてもいい。暇人の遊びかもしれない。それでもいいのである。

どうせ、死ぬまでは生きているからである。

そういうスタイルでもって生きていることが、社会への還元になる。生涯学習ということで、大学や専門学校、塾で若い人たちにお伝えすることができる。

そんなことしかできないのだけれども。

 

今日は、雨が降っている。

 

マイッタな。午前中のwalkingができない。しょうがないから、ショッピングセンターにでも行って、歩いてくるか。なんにも買わないで歩いている奇人変人でしかないけれども。

 

夜は塾がある。午後はその教材研究でもしながら、一日平安であることを祈りながら、生きていまひょ。息するのを忘れない程度に。

 

じゃぁね~!

 

(^_^)ノ""""

 

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