冷酷な現実(これは一箇の冗語法とも響く!)として、物事の過酷な教訓として、戦争は、純粋な存在をめぐる純粋な経験という形で生起する。しかも、幻想という覆いが燃え上がり、まさに閃光を放つその瞬間に生起するのである。-全体性と無限-
ある人が西暦元年に1マルク預金したとして、それを年5%の複利で計算すると、その人は現在、太陽と同じ大きさの金塊を四個分所有することになります。別の人が西暦元年から毎日8時間働き続けてきたとします。彼の財産はどの位になるのでしょうか。わずか1.5Mの金の延べ棒一本に過ぎないのです。
ロマン派の特徴の中に見る狂気の言語活動の特性は、狂気が、ぎりぎりの終末についての言語活動であり、しかも絶対的な再開についての言語活動であるという点だ。即ち、夜の中に崩れ落ちる人間の終末、そして、事物が自らの最初の開始を告げる光である一つの光の、この夜の果てでの発見。-狂気の歴史-
一つはシステムの変革で、これについて討議することはそれほど困難ではありません。もう一つの面はメンタリティの改革で、それが必要であるということです。外的な価値以外の者がとても大切であることを私たちは学ばなければなりません。このほうがシステムの変革より難しいだろうと私は思っています。
バビロンは売買してはいけないものが売買されていることと同義語なのです。ここで現代の世界を見渡せば、私たちはバビロンの真っ只中にいることに気づくでしょう。現代社会では宗教から芸術まで、売買の観点から見られていないものはひとつもありません。 『エンデの遺言』
イエスの祈りにまさるものはありません。そのイエスが、どのように祈ったらいいのかわからないわたしたちのために、わたしたちの内に聖霊を送り、そこで祈ってくださるのです。
〈生存の技法〉、〈自己の技術〉は、キリスト教によって牧人権力の行使の中に組み込まれ、さらに後には、教育や医療、心理学といった形態の営為に統合されることで、その重要性と自立性に関して一定の部分を失ってしまった。-快楽の活用-
大殿祭の日の明け方、神人たち群行(グンギヤウ)して延政門に訪れ、門の開かれるを待つて、宮廷の巫女なる御巫(ミカムコ)等を隨へて、主上日常起居の殿舍を祓うて※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)るのであつた
戦後40年の現代文学においては、作家は読者を啓蒙し、知られざる事実のあれこれを知らしめるものだ、とする考えが風靡してきました。いわば、作家は読者に教訓を垂れる教師だ、といったイメージです。が、私は、そんな創作態度を大いなる思い上がりだ、と断じます。
なるほどなぁ!やさしさというのは、そういうことでしたか!知らなかったですよん。実践あるのみ(^0^)@瀬戸内寂聴bot @jyakucho_bot 妻は、やさしくされることを望んでいるだけではない。やさしい心で理解されることを望んでいる。 #fb
今日は、千葉市民会館に行く。郷土史の研究会役員会である。午後からである。案件が6つほどある。声をかけていただいただけでも幸運である。今年の研究誌「房総の郷土史」41号にも愚生の論文を出させてい... goo.gl/BlAlst
真実の言葉は、いつも困難を伴っていますねぇ RT@仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words 221 怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない(ダンマパダ) #fb
誰も万人向きのやり方で世を渡ってはいない、と言う事は、どんなによく出来ていても、万人向きのやり方では間に合わぬ、困難な暗い問題に、この世に暮していて出会わぬような人は、先ずいないという事だ。
(本居宣長補記Ⅰ)
御意@小林秀雄 botcast @hideKoba_bot 誰も万人向きのやり方で世を渡ってはいない、と言う事は、どんなによく出来ていても、万人向きのやり方では間に合わぬ、困難な暗い問題に、この世に暮していて出会わぬような人は、先ずいないという事だ。 (本居宣長補記Ⅰ)#fb
教室からいじめが消えた実例を、現役教員が報告!いじめ解消のメカニズムを解消する方法を発見した、佐藤康行の講演会です。 8/25(日) 佐藤康行・教育フォーラムin 京都 ow.ly/nUUIo