昨夜、早めの風呂に入って、これから夕食をいただこうとしていたときだった。ボキは、書庫で歴史書の原稿を打鍵していた。だんだんこの原稿打ちが好きになってきた。なにしろボキは居住地で生まれ育っていないから、苦労して打鍵しているのだが。
ところが、(*_*) マイッタことが起きた。先日入院した知人がかなり深刻な状態になっていたのだ。ドクターから電話がきた。知人には妻女がいないから、さっそくかけつけた。それから帰宅したのが真夜中だった。詳細は書けない。
それでも、持ちこたえている。生命力のすばらしさである。応援している。
そして思った。みっともないほど年取ってまだ生きているボキだが、はかなさということである。地位や名誉なんて、最初から無かったボキだが、今を生きるこの瞬間を大事にしないでなんの意味があろうかということである。
バイトだって、やれることがあるうちは良いのである。名刺に、バイト先の役職が刷ってあるけど、そんなもんクソの役にも立たない。歴史の会でも役職をいただいているが、それもそう。所詮「自称」ではないか。
偉そうにしている奴(おなごも含む)を見ると実に嫌になる。しかしオレだって同類ではないのかと思った。仕事人時代は、これまた役職をいただいていた。でも、そんなもん所詮「自称」である。あるいは雇い主からいただいたものもあったが、定年後はきれいさっぱり消えてしまった。
だから「役職名の*****でございます」という名乗りをやめちまぇと思った。ボキ、人前でお話をさせていただくときがけっこうある。そして司会が、「元*****の」というフレーズでボキを紹介してくださる。それはそれでありがたいのではあるが、もうやめましょうということにしている。元が元で元が三回繰り返されたら、どういうことになるのかねぇと思っているからだ。
バイト先でも言われる。きれいさっぱり関わりのない世界で悠々自適の生活を送っている他の人間のことを。それが本当であろう。
世間のしがらみで喰っていたら、情けないではないか。
どうせ情けないジジイでございますが。
トホホ。