カラスも興味を示してくれないのだ
定年退職後に本が買えなくなったから、居住地にある大図書館からかなり借りている。しかも、メールで予約もできるから実にありがたい。検索も、拙宅のPersonal Computerからできる。信じられない世の中になったもんじゃ、ありがてぇなぁと思っておるのだ。
しかも、六月中にはある学会へ査読用の論文を送る。ダメでもともと。落選してもいいのだ。書くために、いろいろ調べて、苦心して書いていくことで、なかなかの勉強になるからである。そのこと自体がである。
愚生は、論文体の文章が苦手なのだ。実は。書くことは好きだが、このようなつまらないブログ用の文章なら書けるものの、論文体のようなのが書けない。自分を殺せないし、客観性に欠けるのだ。その点、愚生のクラスメイト達の文章は美しい。論文体としてもいいものが書けるのだ。うらやましいなぁと思う。
もっとも、母国語が違っていて、日本語で論文を書いて、英語も自由自在という語学の達人では、アタマの構造が違っているんだろうなぁ。うらやましいよん。
オレのように、母国語も怪しい、英語は受験英語しかわからんし、最近始めた中国語講座では、最初の方なんか、全部ワスレテいるのだよん。話にならん。
もう、オレもじじぃだからと言いワケだけは一丁前である。城西国際大学には、留学生がたくさんおられるから、語学の勉強には最適だろうと師匠にも言われたが、そういう方々に話しかけてみたくても、セクハラじじぃだとか言われてしまったら、あっという間に消しゴムで消されてしまう。
ううううううむと唸っているしかない。
5日の水曜日に、居住地で教えていただいている中国語の講座の女性先生と、受講生たちが、水餃子を作って楽しむことになっている。これもまた楽しみである。
?
食べることがである。だって、まったく会話もなんもできないからである。ほんとにナンニモ分からないから、叱られてばかりじゃ。しかも、センセの顔に見とれているだけでは何しに行っているんかわからんちんである。
けふもゴミ出しから始まった。
けふはカラスがいなかった。ポリ関係のゴミ出しの日だからである。残飯がないと、カラスも興味を示してくれない。
笑った。
オレと一緒だ。カラスも興味を示してくれないのだ。アハハハハである。
カラス君よ!
追い払ったりしないから、さみしいご老人と中国語でも一緒に勉強してくれまへんか?って言いたくなった。まだ電子辞書を買うレベルにもなっていない。実は欲しいのだが、買ったはいいけど、カビが生える可能性は高いのだ。もったいないではないか。
本が買えないって愚痴をこぼしているのに、電子辞書どころではないだろうからねぇ。
さ、今週も隠棲室に籠もる。唯一の楽しみである。今日からは、いよいよ本論である唯識と能楽源流に入っていく。ページ数がA4で60枚を超えた。まだ本論に入っていないのだ。恐ろしくなる。
しかも、後一年半で退学しなくちゃならん。
それまでは元気で生きていたいものだ。なんちゃってね。タブンしぶとく生きているだろうけど。
馬鹿笑いしながら。
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