と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ぐれよう、グレヨウ、gureyou!半グレでもいいから。ジジイになったら。

2015年10月13日 10時24分34秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ガキのころからの「半グレ」状態でそのまんまジジイになっただけで

 



 

今日は老人大学がない。簡単に言えば、学校が開いていない。こういうのは無上に嬉しいもんである。一昨日、能を見に行ったからである。代休というやつである。

おかしくなった。学生時代に舞い戻ったような気分である。

ま、今更、くそまじめに学校生活を送っても誰のためにもならない。

そもそもが、ガキのころからの「半グレ」状態でそのまんまジジイになっただけであるからだ。「半グレ」?

グレそのものであったではないかと私を知っている方から叱られてしまうなぁ。短気で、誰からも気に入られようとせず、特に職場では上司に逆らってばかりいたし。

そりゃ表面上は、かしこまっていたよん。しかし、潜在意識は別。なにも内面まで売り飛ばしたわけではないからだ。

だから、ジジイになってもグレテいる高齢者が大好きである。

真っ赤なシャツを着て、やはり真っ赤な短パンをはいて、gymで誰よりもかけっこが早くて、カミのケも真っ黄色にしているジジイを知っているが、なかなかである。若い女性にもモテモテであるが、誰をも相手にしない。食事になんか間違っても誘ったりしない。

こういうのを「孤高のジジイ」というのである。あるいは偏屈というのかもしれない。

年取ったから・・・という遠慮もない。引っ込んでいない。

だいいち、さわやかである。生き方がである。

私も、年取ったらバラ色の毎日があるでしょ?なんて言われるが、決してそんなことはない。そんなことを言ってくる奴ほど信用しない。裏に計算があるからだ。さらに、毎日が日曜日で結構なことですなぁ~と言われることもあるが、それもそんなことはない。職がないから、彼も私も、悲劇的な格好をして、毎日gymで運動しているだけである。計算なんか無い。これぽっちもない。

世の中を眺めていて、ひたすら「あああああああ、バカがまた魑魅魍魎のごとく跋扈してやがる」と、ブツブツつぶやいているだけである。

若ぇもんに、バカにされてもせせら笑っている。フン、そんなことを言っても、おめぇ~が出来るんかい?って。

言わないだけである。

さすがに喧嘩になったらかなわないからだ。ジジイになって若ぇのと喧嘩していたらバカである。ババアになって、かなり年下の若い燕を囲っているハラの突き出たオナゴと一緒である。そんなんじゃぁ。アンチ・エイジングのために色基地外になったら、それこそ末代までも笑われてしまう。

ジジイやババアになったら、世間の価値観なんてクソ食らえ!でいいのである。なにも、我慢することはない。ただし、一時はやったテレビの番組「いじわるばあさん」のように、周囲に意地悪を仕掛けてささやかに喜んでいても面白くない。あの「いじわるばあさん」というのは、ささやかだからむしろかわいいのであって、本当に意地悪なんではない。

若いときに「グレル」のは、洒落にならない。誰だって若いときは反抗的であるからだ。社会や家族に反抗してみたいというのはよく分かる。さらに、堅い仕事をしている人ほど、その重圧に押しつぶされるように感じるから、反抗してみたいと思う時もあるだろう。裁判官なんか、どうやってストレスを発散しているのかね?と思う時もあるからだ。

年取ったら、大いに「グレル」方がいい。

なんでか。

それはね、「もうすぐ死んじゃう」からだ。なにをあくせく川端柳である。いまさら、焦って仕事に成果を求めてバリバリやっていたって、誰も評価してくれないではないか。そんな他人からの評価を求めて、あるいは気にしているんだったら、オノレの好きな道を行けばいいだけである。

年金暮らしなんだから、生活の範囲を狭めていくだけでいいのである。クルマでもそう。生活レベルにあわせてそれなりのクルマに乗ればいいだけである。それでも間に合わないんだったら、歩けばいい。私なんか、どこでも歩いていく。運動にもなる。エコノミークラス症候群の治療にもなる。歩け、歩けである。健康になるのなら、こんなに良いことはない。しかもカネもかからない。

テレビや、新聞を読んでも「マスコミの嘘」を密かに発見して喜んでいればいい。間違いを発見しながら。

国会議員の論理不足を、あるいは、てめぇ勝手な議論にもならないような馬鹿話をせせら笑っていればいい。政治家だからってなんでも分かっているとは限らないだろうからである。

もったいぶって、エラそうにしている奴ほど中身がないからである。

そういう輩は、マイナスからの発想がないからである。オノレだけがエラくて、世界を支配していると思っていらっしゃるからだ。まるでカミだ。カミ。髪ではない。神である。わははっはははっははは。

カミはないからだ。髪でっせ。髪。これはオレの頭には存在していないのである。

残念ながら。

だから、髪の毛もないのにアンチ・エイジングを気取って若い女性にもててみようなんて大それたことは考えないのが「グレタジジイ」の本領なのである。

ばかばかしいことはしないことである。

そんなことより、古典でも読みながら、世間のことを大笑いしていた方がずっと楽しい。

せめて、死ぬまではである。

死んだらなんにも残らないんだから。

自称研究論文という名のゴミ論文もである。

 

色即是空・空即是色であるからだ。

 

じゃぁねぇ~。

 

(;_;)/~~~

 

 

 

 

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