と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

マッターホルンにはなにが似合うってか?

2015年06月17日 17時56分55秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

富士には月見草がよく似合うが

 

 

生活不活発病ということについて、最近いろいろと考えていることがあると書いた。自分の病気の原因でもある。しかも、NHKスペシャルでやっていたから、なおのこと興味関心がある。そこで、これからのオノレ自身の課題であるとも思っているのだが、ナント昨日の老人大学でそれが話題になったのである。

班単位でグループ発表をするのだが、その課題に何を選ぶかということになって、いつも隣の席に座っている方が生活不活発病のことをやってみないかと提案したのである。

即座に賛成した。しかも、房総九十九里平野は、津波でも被災している。これは追求しがいのある課題である。やっている方々は私も含めて、これから生活不活発病になる可能性があるからだ。

私は体験談担当になった。

これはありがたい。ひとりほくそ笑んだ。だって、他の仕事が回ってこないからである。たいしてやる気も無い爺である。だからだ。やる気満々だと、また病気になっちまうからである。それにクチだけ使っていればいいのだったら、実にたやすい。誰にでもできるではないか。

昨日の老人大学はちょっと遅刻していった。そうなのだ。朝の9時から歯科医院に行っていたのである。あちこちと歯も(「も」である)痛んできたのだ。これも現役時代は、虫歯がないと自慢していたのであるが、とうとう歯医者のセンセにお世話になることになってしまったのである。自業自得である。情けないけどしょうがない。

それでも、雑談が楽しい。

隣の席におわします男性とバイク談義をして楽しんでいる。あまりにも楽しんでいるものだから、老人大学の役員さんにマークされそうだ。

ま、いいか。

みんな前歴なんぞ誰も問題にしないから、気楽なもんだし。だからといってはなんだが、つまらない講義の時は内職しているのだ。

高校時代からそうだったよん。宿題をはじめとして、なんだこのセンセ、たいして実力無いなと思ったら、ウズウズしてしまうのだ。

昨日は、世界史の一問一答シリーズを古本チェーンから買ったので、それをルーズリーフノートにまとめて暗記していた。ローマ史の部分である。

なんでか。

ローマに行きたいからである。?・・・違った。イタリアに行きたいからである。去年、スイス・フランス・ドイツと行ってすっかりヨーロッパのファンになっちまったからである。理由は歴史がすばらしいからの一点につきる。それにマッターホルンのあの美しさに惚れてしまったからである。

スイスのホテルで朝起きたときに、窓からでーんと見えたあのマッターホルンは忘れられない。太宰治の富岳百景どころではにない。あまりにもでかくて、美しくて、女神のように目の前にあったのだ。しかも快晴であった。ムチュウになって、古女房ドノと一緒にデジタルカメラで撮った。

太宰治が書いた「富士には月見草がよく似合う」ではないが、「マッターホルンにはと~ま君がよく似合う」である。わははははっはははははである。私は、実にちっぽけなバカ爺であるが、自然とともに生きているということを実感させてくれたからでもある。

なにしろ近い。目の前にあるのだ。大きく大きく目の前にあるのだ。そして、私のデスクトップパソコンの背景画面ともなって今でも私を見つめてくださっている。

富士も好きだけれども、これほど惚れた山はない。もっとも、見るだけでいい。まかり間違っても登山する気はない。当たり前である。富士よりずっと高い。そんなことをしたら、ただでさえ短いこれからの人生を捨てることになる。なにしろこっちは病人である。別に威張っているのではない。事実である。だから大事に生きていかないとアカンということである。

威張っているというと、爺婆も例外ではない。やはりというか、がっかりというか、そういう爺婆が老人にはいる。前歴を鼻にかけて言いたいことを言うやからである。もうもう好き勝手である。

講師の先生が、グループワークをする前に一言「みんな仲良くやってくださいね」「上から目線で他人にものを言わないように」と言われたのには、大笑いをした。

やっぱりだからである。

しかも、民間の仕事をしてきた人は官に文句を言うのに慣れているから、言いたい放題である。

コンビニに行っても、店員さんに実に乱暴なクチをキクバカも多い。中には、自分の買ったものを放り投げているくだらないのもいる。感謝あってのものだねである。そういうマナーを心得ていないのが、たくさんいる。しかも老人に多い。なんだかタガが外れてしまったのであろう。誰にも気兼ねすることもないからである。叱ってくれる人もいなくなっちまったからである。

だから、若い人は爺婆に学ばない。あんなふうにはなりたくないという手本ならいくらでも見本はいるが。

もっとも私も人のことは言えない。

あんなふうにはなりたくねぇという典型的な手本・見本であるからだ。

ホントにそうだ。

こうなってはおしめぇである。

おしめをして赤ちゃん時代を過ごして、これからまたおしめに世話になる。

クチだけ達者だった、バカ爺なんてすぐ忘れられてしまうだろうけど。

それもあれだね。

マッターホルンが笑っているか。

私のパソコンの画面で。

「バァ~カ」って。

 

わはははっははっははははである。

 

さ、これから居住地の方でやっている古文書講座に行く。けふから堤中納言物語である。楽しみ、楽しみ。

だから内職はしない。できない。おもしろうてならぬからである。

 

(^_^)ノ””””

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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