エコノミークラス症候群になってみて、しみじみ思うことがある。
それは、「結果」であるということである。
エコノミークラス症候群になってしまったということがである。つまり、結果という現象があってボキはそれに苦しめられたということになってしまった。退職と同時に、せっかく入学させていただいた某大学大学院博士後期課程も退学であったし。それもまた結果であった。
病気になったという結果にどう働きかけても無駄である。なにも変化させることはできない。ましてや、退学したという結果も修正不可能である。ボキの人生の汚点である。永遠に記憶にとどめておきたいものであるが、その程度でしかない。ボキの人生の汚点なんて、山のようにあるからである。そのうちの一つでしかない。決定的ではないという意味で。つまり、汚点であるけど、それもまたアホなジジイを奮起させてくれる大事な材料であるからだ。
さらに、戒めとしてこれから死ぬまで人生後半の指針としていきたいからだ。こんなことはなんの自慢にもならないというのは、十分承知の上である。あたりまえである。
じゃ、なぜこんなくだらないことを拙ブログに書くのかとなると、ボキのようになってほしくないからである。
現象にとらわれてしまって、精神が狂っていたのである。平常心を失っていたのだ。そんなに、狂うほど博士号が欲しかったのである。だから自嘲しているのである。基地外であると真実思っているし。
こういう挫折を経験していると、人生、これから慎重に生きていくのだろう。たぶん。ボキは。
で、結果としての病気は、ドクターが・クスリが治してくださるのである。
素人のボキが、どんなに知識を身につけても話にならない。
それはあくまでも結果に働きかけているからである。無駄なことである。起こってしまったことは変えられない。結果よりも、その結果を招来した「原因」の方こそ重視していくべきである。
原因を変えなければ、また再発してしまうではないか。
生活習慣のデタラメさ、悪業三昧の生活、他人を蹴落とし、オノレの書いた論文こそ一番、成果主義で真っ赤に染まったボキの悪化した頭脳、論文の体裁もまったくなっていないゴミ論文の山々。
寒気がする。
あああああああああああああああああああああああああああああああああ。。
勘違い人生である。
*
ガンの自然退縮ということで研究をなさった九州大学の故池見名誉教授が書かれていた本をちょっとだけ見たことがある。
そこには、末期ガンから自然退縮した患者さんの共通事項が書いてあった。
①告知を受けていること
②告知後に実存的転換を起こしていること
これである。
特に②の方である。
実存的転換とは、「末期ガンの告知を受けても自暴自棄にならず、精神的試練を克服し、残された時間を悔いなく生きてゆこうと前向きな気持ちに転換すること」である。
病気になると人生観が転換するとよく言われる。
確かにそうである。
ボキも転換してしまった。
ボキの場合もまさに「残された時間を悔いなく生きてゆこうと、前向きな気持ち」になったのだ。まさにそうである。否定できない変化である。
だから生涯学習ごっこからは退却しないことに決めた。
たとえどんなに成果がなくても、笑われても、無駄金を使っていると言われても、一度決めたことはやり通すことにした。
そういう意味では頑固ジジイである、ボキは(^0^)。
だから、病気は「呼びかけ」であったのである。アホなジジイのボキに、変化を促してくれたのである。病気からである。病気というのは、そういう意味でボキには神さん・仏さん・キリストさん・マホメットさん等々である。いろんな神々である。インドに行ってしみじみそう思った。インドだって汎神論である。ヒンドゥー教に直に接してそう思ったのである。
いい人生の後半を生きていきたいものである。
あ、後半ではないな。
もう2/3は生きてしまったから。
あと少しだけである。余生は。
わははっはははっはははっははっはははっははっはは。
そういえば、徒然草7段には、四十歳前に死ぬのが理想だと書いてあったなぁ。兼好法師は、七十過ぎまで生きてしまったらしいから、困っただろうけど。
ボキ?
死ぬまでは生きていますから、ご安心を。
Bye-bye!