これで今日二度目の投稿である。
暇だなぁと言われる。確かにそうである。暇だ。ヒマだ。ヒマヒマだ。読書三昧で、世間のことを斜に構えて見ていられるだけ愚生は仕合わせである。それは否定しない。こんな境涯が訪れるとは、思ってもみなかったのだ。もっとも、これまでがむしゃらに働いてきたからなぁ。土・日も全部部活動のために捧げてきた。あれがなくて、土・日を勉強のために捧げていたら、定年後に大学に再入学するなんてことはなかったに違いないとマジに思うのである。
でも、それなりに、充実していたと感じる。精一杯やってきたと思う。教育実践にである。亡母がまったくこのタイプであったから、影響を受けているなぁ。所詮、愚生なんか学者肌でもねぇし、研究者タイプでもない。乱暴な、猛々しいだけの生徒に十分対応できるという番犬タイプの人間でしかないのだ。それでも、愚生はそういう教員であったことに誇りを感じている。どれだけ対教師暴力を未然に防いできただろうかと思う。そういう荒れた生徒を説得するのが、愚生の商売みたいなもんだったのだ。
今日は、大学の行き帰りに橋本治碩学の「窯変源氏物語」を読んでいた。Amazonで100円で売っていたから、これから全部買うつもりである。その第一巻である。読んでいたのは。
面白い。実に面白い。実は愚生は、荒くれの関東武者のごとき武人めいた人間だから、こういう源氏物語のようないい気なもんだという(おんなたらしの物語だから)モノが、大嫌いなんである。当たり前である。愚生なんかと関係の無い世界が展開されているからである。ようするにそういうことなんである。(ナニガそういうことなんか、よくわからんケド)
よくわからんから、毛嫌いしていたんだろうか。多分そうだろう。
ところがである。
橋本源氏は違うのだ。語り部が「私」になっている。主人公の光源氏である。これはぶったまげた。こんな風に源氏物語をやっちゃっていいのかと瞬間で思った。これまで、教わった手法とは全く違うからだ。へぇ・・・・・の連続であった。東大国文科出身の碩学が、である。
愚生は東大というのはやはりなんといっても凄いと思っているし、知的信頼性において間違いのない大学であろうということが高い世間評価につながっていると感じている。その橋本碩学が、実に面白い異次元の世界を描いている。
引き込まれた。
もうたまらないのである。それはなんでか?幼い光源氏が、母を亡くし、祖母も6歳で亡くしてしまうからである。有名な桐壺の巻である。これを、「私」を語り口にして、源氏を語ったヒトを初めて知ったのである。理由はすぐわかった。それは愚生が、孫のいるじじいだからだ。幼い光源氏が、かわいそうでたまらんかったからである。こんながんぜない幼児のときに、母を亡くし、祖母を亡くしたらどうなるんだいと思ったのである。
電車の中で、そっとハンカチでお目々のあたりを拭いていた。もう、これで決まりである。愚生も、橋本源氏にとりこにされてしまったのだ。うまいなぁと思った。これまで、谷崎源氏とか、円地源氏とか、瀬戸内源氏とか、与謝野晶子源氏とか、正確を期す今泉忠義訳、学部時代にお世話になった玉上琢弥訳とかを購入して読んでいた。つまり、あまりにも難しくて参考書と首っ引きで「あくまで正確に」訳そうとしていたのである。それが、出来の悪い国文学徒としての義務だと思っていたからである。
このことは、高校時代のH先生という仙台の旧帝国大学国文科出身の先生に感化されたのだと思う。もっとも、劣等生の愚生である。とてもじゃないが、ついていけなかったケド。厳しい教え方であったが、実にすばらしい碩学であった。その先生に、論語の解釈で、「先生!それは先生が間違っている」と迫った記憶があって、まことに赤面の至りである。今でも、カオが赤くなる。まったくどうしようもない、うぬぼれ小僧である。高校生くらいで、なにをかイワンや。でも、愚生はあのとき、湯川秀樹博士の兄である貝塚博士の本で殆ど論語を暗記していて(愚生の祖父に素読を授けられていた)、注釈もすらすら言えたんで、強靱に・頑迷に主張したんである。馬鹿だったけど、かえってかわいがってもらったのはありがたいことであった。
そういえば、H先生は、大学進学の心配もしてくださったなぁ。高校の先輩だから、本当に愚生のことを気にかけてくださった。新聞配達をしながら大学に行くのは知っておられた。だから不憫に思ってくださったのだろう。おまえのチカラがたいしたことはないのは知っている、しかし、もうちょっとやれば地方の国立大学くらい行けるだろう?なんでそんな苦学までして、国文学をやりたいのだ?と実にあたたかいご指導を拝受したのである。
思いやりの極地である。いい先生である。ま、貧乏で学力も無い、高校の後輩の愚生を憐れに思ってくださったのだろう。なんて言ったって、新聞配達までして大学に行こうっていうあふぉ~は、いかな貧しい米沢であっても愚生一人であったからである。
だから源氏物語が嫌いだったのだ。愚生のような苦学生にはハラが立つだけであるからだ。いい気なもんだと思っていたからである。冗談じゃねぇ、愚生はこの日の朝飯だって、昼飯だって、晩飯だって、てめぇで稼ぐしかねぇんだ。なにが、オンナ遍歴だよぉ~ってぇのは、あったのだ。わからんひとには、わからんでもいいでしゅよ。(^0^)
そういう愚生を感化してくださっている。橋本碩学は。
なんだか源氏物語構想論のゼミを受けていたころの、つまり、21・22歳のころの愚生にフィードバックしているねぇ。勝手な言いぐさではあるが。
それだけ、源氏物語というのは奥が深いのだ。
紫式部は、愚生のような読者も想定していらしたのかもしれない。ありがたいもんである。
さ、明日は千葉科学大学で授業である。これくらいにしよう。
また明日!