自戒していることがひとつある。それは、偉そうに上から目線でものを言わないというこっちゃ。あくまでもへりくだってものをいうことにしているからだ。これって、学者とか大学のセンセに多いから始末におえないのじゃよん(^_^)。
たとえば、歴史の会にお誘いするときに、よく言われることがある。その会のレベルを調べてからにするよ、と。笑ってしまう。相当にご自分のレベルが高いと思ってござるのだ。これまた、失笑してしまうのだ。大学のセンセと言っても、千差万別。旧制帝国大学なら話は違うが、いろいろあるではないか。アホかと思っているからである。そんなレベルのヒトほど、実績もないからなぁ。
センセにも多いのである。普段生徒しか相手にしていないから、くだらないことでもって威張っちまう。それだけ世間が狭いっちゅうもんである。
しかも、義務制のセンセに多いから笑ってしまう。さすがに、管理職のセンセにはそんなのはいないがねぇ。
クレーマーもそうだ。この手の輩には、ずいぶん困った経験をさせていただたいた。文句を言えばなんでも聞いてくれると思っているからだった。保護者会の役員にも多い。学校然り、社会体育然り。おとなしく黙って聞いているだけしか能が無いのだろうと思っていたら、アカンでっせ。自分だけエライと思っていたら逆襲されまんなぁ。
わははっはははっははははっはははっはははっはははっはは。
師弟関係を誤解しているからこうなる。今、中年になっている方々は混乱の時代、対教師暴力とかで暴れ回っていた連中が多い。暴走族もそうだ。価値観が異なっていた暴れん坊時代の生徒たちであった。それを今更クチをぬぐって聖人君子のような顔をしているからだ(^_^)。
ボキは、全部知っているからである。なにをやってきたのか。悪人なのに、今更聖人君子ぶっていたらこの世の中に罪はないことになっちまうではないか。悪人であること、罪を犯してきたことを心から(_ _ )/ハンセイしていくことである。ボキだって、自分を悪人だと思っているからこそ、今回、大学院に進学して学ぶことにしたのである。悪人がどこまで許されるかというのがある意味テーマになっているからだ。
だからこそ、上から目線でものをいっちゃおしめぇだと言っているのである。
楽しく毎日を過ごすためには、自分を聖人君子と決めつけてはアカンのである。どこまでも、オノレのやってきたことを(_ _ )/ハンセイしていかなくちゃ。
けふは、バイトなし。しかし、居住地の図書館も閉鎖のようである。
(*_*) マイッタ。
コロナよ、去れ!である。
BYE-BYE!