と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

昔の湯治場

2012年10月20日 15時22分22秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

宮本常一せんせの著作集の31巻「旅に学ぶ」を読んでいたら、昔の湯治場のことが出ていた。(p.67)

それで思い出したことがあった。

亡くなった愚生の両親のことである。

山形に生まれ育った両親は、無類の温泉好きであった。これが遺伝している。愚生にも。

昔の農家の方々は、収穫が終わると、食い物を背負って湯治に出かけたものであると、宮本常一せんせが書かれている。宮本せんせ曰く、一ヶ月も、二ヶ月も出かけていくとある。しかもさらに湯治見舞いといって、近所の方が途中から湯治に参加する。その温泉地で3日くらいを過ごしていく。部屋も相部屋で、自炊である。薪だけを買って、共同生活をするのだ。温泉も混浴である。これ以上のコミュニケーションはないではないか。

そういうぼんやりとした記憶が愚生にもある。育ったところが赤湯温泉だったから、記憶がないのかな。。。みんな一緒になってしまって。

どこだったろうか。

もう覚えていないが。

今はどこの温泉に行っても、一夜かぎりの観光客しかいない。長逗留なんて言葉は死語になってしまったのではないかと思う。

温泉はいい。療養にもいい。こころの病にも効く。なんでも効く。・・・・そこまで書いていいのかと思うが、ちょっと疲れたら、温泉にでも行って休まれよと申し上げたい。

その前提には、普段からバリバリ働いていることという条件がある。なにもしないで、温泉三昧ではそれはいかがなものか。

要はバランスである。バランス。

 

調和のとれた生活をしていきたいものである。

夕方、また塾に行く。

その後、愚生はサウナに行く。

そして、家で駄文を書く。

 

楽しいものである。

時間を追っているから。

 

(^0^)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 道徳教育の現状と課題 | トップ | こんな時間じゃ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

大学院博士ごっこ2012年から2015年」カテゴリの最新記事