ダメだったらなんて考えないことだ
加齢をする、あるいは、トシをとってきたということは、何を意味するのであろうかと暫し思うことがある。実際は、オイラはもう61歳というのか、まだ61歳というのかよくわからないが、ともかく数値的には61なわけである。ま、どっちでもいい、どーでもいいようなものだが、少なくともこれだけは言えると思うことがひとつだけある。
それは「直接的相手」ではないということだ。
下世話に言えば、喧嘩の相手にならない、恋愛対象にならない、嫉妬の対象にならない、哀しみの対象にならない、苦しみの対象にならない、目標にならない・なるわけもない等々であると思うのである。あ、もう一つあった。結婚対象にならないってやつだ。わはははははである。立派な配偶者がおられるから、重婚だけはできない寸法である。(冗談だけど)
つまり人畜無害ってやつである。ほんとうにそうである。全く人畜無害である。
人生を降りてしまったからだ。早い話が。そんな奴は相手にできない、大嫌いだと思われる方は、こんなしょうもないブログを見るわけもないだろうから、放っておくけど。(^0^)
しかしだ。オイラは生きる力だけは、かなりあるようである。相手がこうやって攻めてきたら、ああいうふうに返す、あるいは防御するということでは天才的なひらめきがあると自称している。まったく、ああいえばじょうゆーではないが、よくもまぁクチから、ハナから、オミミから(?)、ドンドンドンドン出てくるものだと思う。クチ八丁、手八丁というのはオイラのようなもののためにあるようなものであるとシミジミ思う。
しかもオイラは誠実なのだ。軽薄ではないのだ。まじめが洋服着ているような人間である。わはははははは。
他人の世話をするのも大好きである。誠実に、いろいろな世話をさせていただいている。要するに、世話好きじいさんなのだ。いいじゃないか。趣味だもの。
儲かるからやるというタイプでもない。むしろ逆である。他者のためになることを希求する。カネ以外はね。だってオイラは年金生活者なんだもの。カネとはご縁がございませんです(^-^)/
今日も城西国際では充実していた。ゼミでたくさんの智慧をいただいてきた。師匠に、感謝である。まことに感謝である。こんなオイラ程度の人間でも、けっしてお見捨てにならないのだ。なにがしか、励ましてくださるのだ。ありがたいものである。
終わってからずっと原稿書きをしていた。
楽しいものである。自分の考えていることを文章にしていくのは。駄目な文章だったら、ゴミ箱に捨てればいいだけだから。城西国際に入学させていただいて、15ヶ月。この間、ずいぶんてめぇで言うのもなんだが、学外への原稿鉄砲打ちをやってきた。
むろん下手な鉄砲だから、自爆したのも数多くある。しかし、自爆しても、捨てる神あれば拾う神ありであった。学事出版様も拾う神のお一人であった。全国誌にオイラの原稿が出たからである。
失敗をおそれちゃならんのである。
オイラなんか、どっだけ失敗を繰り返してきたか、数知れない。星の数ほど、失敗してきている。それでもちゃんと生きているんだ。こんなオイラでも。
だから、さらにさらにでかい声でいいたい。
ダメ元精神で、あらゆることに積極的にチャレンジすることである。
人生は、チャレンジ・チャレンジの連続だからだ。
マジに。
じゃぁ!
お休みなさいませ。
(^_-)-☆