自撮り棒というのがある。最近流行っている。旅に出るといろんなヒトが使っている。中国人が多いような気がするのは気のせいだろうか。ま、どうでもいいような話ではあるが。どうでもいいというとこのブログもそうだ(^_^)。
自撮り棒というと、あれはなんの爲に使っているのだろうかと思う時がある。海外旅行に行ってもボキは使わない。だいいち、自分とその背景にある風物が一体となっているから自撮り棒を使うのであろう。が、ボキは自分と背景が一体となるということが信じられない。
自分が写っているからというと、それは後で見るからということを前提にしている。あるいは、こっちが本当だろうが他人に見せるためである。自慢するためである。どうだ?すげぇだろう?オレは、アタシはこんなところにも行けるんでっせという趣味の悪い自慢。
おかしいと思わないのかねぇ。
ボキ?
ボキはほとんど自分を写さない。好意で撮ってくださる方がいるが、それは感謝して受ける。なぜか。ボキの顔があまりにもヒドイからである。したがって、ボキのfacebookはボキの顔はなかなか出てこない(^_^)。そんなもんよくまぁ出せるもんじゃと思っているから。
今回のロシア旅行でもほとんどボキの写真はない。みんな風景ばかりである。
だとするとだ。
だとすると、海外旅行で一生懸命自分を写している爺婆たちはなんのためにやっているのじゃと思った。
来月鎌倉に行くが、爺婆たちで。あれもなんのために行くのかね。歴史にもなんにも興味がないのが、15人もツレだって何しに行くのだろうかとふと思ってしまったからである。ゼニが余っているから、使いたいというのだろうか。だったら、ボキにくれたまぇと言いたくなっちまう。
爺婆になったからと言って、無駄遣いをしていてもいいとは限らない。むしろ、すべてカットしていかないと喰えなくなる。なぜなら、年金は乏しいからである。
それに、ボキは他人からの評価というものを気にしない。まったくといっていいほどである。どう見えるかというようなことは、本当にどうでもいい。むしろ自分に恥じない生き方をしているかということの方が重要である。悪業三昧をやってきたからである。
だから他人のことを責めることもしない。できるわけない。オノレを恥じているからである。
そういうことで、昨日から国会で汚く相手を罵倒している某巨大野党の連中は、オノレを恥じたことなんかないんだろうなぁと思った。
これから青山繁晴氏が国会中継で質問に入るが、楽しみである。こっちはかなりまともな質問をするからだ。ただし、朝日、毎日、東京の三紙はムシするんだろうけど。
自撮り棒でオノレを写してみればぁと思うことがあるからだ。
鬼のような顔がそこにはあるかもしれないではないか。
わはははっはははっはははっはははっはははっはははっはは。