三月に一回の歯のクリーニングのために、歯科医院に行ってくる。それから、退学した某大学生涯学習センターに行く。午後2時から中国語講座がある。楽しみである。在野であるから正々堂々通学できるのじゃよん(^_^)
川村優博士の論文集四冊から思い思いのページをコピーさせていただいて、ファイルにして読んでいた。ボキのお世話になっている郷土史の会前会長である。江戸時代の旗本の研究で博士になられたのであるから、読みごたえがある。ものが違う。70歳で取得されたのである。
さらに、知人の若き研究者が博士を取得されたのを知った。課程博士である。970枚くらいの大論文である。この方は、英語も得意でアメリカ留学体験もある。ものが違う。
やはり、なかなか困難な道である。能力も必要である。日々の努力もかなり必要である。
問題は、「逃亡しないこと&健康」であることである。逃亡しないということは、つまり「逃げちゃアカン」ってぇことである。逃げた生き方は、何の意味もない。課題から逃亡しちゃアカン。課題っていうのは、他者から与えられるものもある。しかし、自分で作るものもある。自分で自分に与えていく課題である。健康と言うのは当然である。言わずもがなである。ボキが悪い見本であるから(^_^)。
ま、職業と結びついていれば研究生活もいいだろう。しかし、世の中そんなにうまくはいかない。在野で、シコシコとエリック・ホッファーのごとくやっている方々もたくさんいる。大学院の博士を出ても就職先がないのである。研究生活を続行したいと言ってもできないのが現実であるからだ。
ボキの知っている仏教学の博士も就職できなくて、大連に行ってシマッタ方がいる。大連で、通販の受付をやっている方もいる。日本国内にいないのである。ナンという時代になったのであろうか。
かわいそうになる。
ボキは、まがりなりにも現役の仕事人として定年まで勤め上げた。だから、それだから年金生活をしていられるのだ。個人年金もやっていたから、カスカスであるが、なんとか生きていられる。仕事があったからである。アリガタヤ、アリガタヤである。
つまり、言いたいことは、こういう高学歴者を、若い研究者をなんとかそれなりに遇することはできないのだろうか。高学歴の若者たちがかわいそうでならない。
まさか、ボキのように在野でもってがんばりなさいませとは言えない。かわいそうで。
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今日は、これから歯科医院に行ってくる。
それから、退学した某大学生涯学習センターに行く。午後2時から中国語講座がある。楽しみである。
在野であるから正々堂々通学できるのである。母校とは呼べないから、永遠に某大学としか書けないのがさみしいが。
さ、出かけます。
Bye-bye!