中原中也の「サーカス」という詩は・・・・・・・
幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り
サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外は真ッ暗 暗の暗
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
とても良い詩である。国語の読解風には、拙ブログには書かない。もうそんなの卒業したのだから。愚生なりにどう考えるかってことを書かせていだたく。
それはこの詩から、ザシキワラシの去った旧家のごとき趣を感じるからである。妖精が、ゆあーんゆよーんとなんだかわけのわからない言葉を唱えながら、サーカス小屋の上の方から降ってくるような気がするのだ。いつくもの戦争が通りすぎ、時代の疾風が吹き荒れていった現代のどこかに、サーカスの小屋が建っている。なかなか憎いような演出である。中原中也という人は凄い詩人である。ちなみに、我が師匠はこの詩人のことを必ず言われる。ゼミの時に。だんだんと愚生も好きになってきたんだが。
サーカスの小屋というのは、考えてみれば奇妙な形をしている。あれはいったいどういう意味であんなふうな形をしているのだろうかと、思っていた。
簡単な形状である。しかし、かなり頑丈でもある。そして、その中ではいろいろな芸能が展開されている。テントは、中で展開されている芸能を守っている母の胎内のようなものでもある。そうすると、胞子的な発想からあのテントは出来ているのではあるまいかと発想するのもまた楽しいものである。母の胎内で、繰り広げられるファンタジー。我々は、テントの中で年をとるのを忘れ、すばらしい技量の技を堪能する。現実の恨み辛みを一時でも忘れて、忘我の心境に至る。
芸能の根本のような気がしてならない。田舎の寺院などにいくと、お堂があって、そのお堂の前で展開される郷土芸能を見るチャンスがある。そういうのを見るのが好きでけっこう出かける。数は少ないが、お堂の脇とか、後ろにももう一つの小さい祠みたいなものがある時もある。そうした祠に祀ってある神々は、むしろ土着信仰と結びついていて、立派なお堂の方は、後から建てられたものの方が多い。そんなことを大きくなってから知ることになって、愚生は、これはサーカス小屋と一緒だと感じていたのである。
サーカス小屋も、古代から連綿と続いている土着信仰と後からきた日本神道や仏教勢力との習合みたいなもので、西洋文化とドッキングした新しい日本の芸能であると愚生は感じてしまう。規模が小さいほど、そんな感じがする。
日本人の芸能を考えていくと、今のサーカス小屋とそんなに違いはなかったのではないかと思いついたのである。「守られた」「不思議な空間」で、まるで母の胎内にいるような安心感で芸能を楽しむ。ささやかな常民の喜びがそこにはあるのではないかと。
明治維新による文明開化というものがもたらした西洋文化と日本の文化のドッキングが、テントによって外部の悪魔的世界から守られているということである。
一昨年だったか見たシルクド・ソレイユとかいうまことに巨大なサーカス(と言ったら失礼になるのかな?)には、あまりに巨大すぎて、そんな感じはしなかったのだが。しかし、あれもまた大きなおっかさんに守られている胎児が愚生であると思えば良かったのかなとも思う。
(^_-)-☆