と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ICUに入ってから変わったのである。全て変化したのである。

2015年07月02日 07時05分19秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

私は不変ではない。私はかなり変化する人間らしい。去年とも違う。昨日とも違う。なに、おめぇさんは最初から変わりモンだろうに・・てか(^_^)

 

 

ビッグデータとかなんとかということが、巷間言われている。確かに、病院に行くと医師は、患者である私の検査結果しか見ていない。大きな机の上にあるコンピュータをじっと見つめている。それはそれでありがたい。35日に一回通院しているから、しっかりと診ていただくことは感謝している。これをいい加減にしてもらうと患者であるこっちはたまらない。それこそいい加減にしてくれと言いたくなる。

しかし、私の主治医はそんなことはしない。かなり私のために時間を割いてくださる。前回の検診の時は、高校時代に柔道部に所属しておられたということまで聞いてしまった。意外だった。柔道部というと、私のような体力自慢しかいないのかと思っていたからである。経験上。

唯一、同級生で東北大学の医学部に現役で入った応援団長であった剛の者がいたけれども。外科医になっていると風のたよりで聞いたことがある。だから、ドクターという方々に親近感を持っているのだ。こっちが勝手に。それに、高校の同級生でドクターになったのはもっとたくさんいた。いたから、そんなにアレルギーはないのである。

帰省のために、まだ上野駅から急行列車が東北や故郷の山形にむかって出ていた時に、医師になった同級生の一人に偶然出会ったことがある。お互い同じ汽車に乗り合わせたということである。

その時彼は「オレは、カネでもって医学部に入った」と妙に自慢していた奴である。父親が病院を経営していたから、私と違って苦学する必要はまったくなかったのである。さらに、理科系なのに数学は完全文科系の私よりもできなかった奴である。私も成績不良・学業劣等であったから人のことは言えないけれどもねぇ~(^_^)。

そんなこんなで、医師という方々には親近感を持っていたのである。だから、私も積極的にドクターに質問する。検査結果も、日頃の生活態度・方法までお聞きしている。さらに京大式情報カードを常に持参しているから、それにドクターから言われたことをメモする。

入院したときもそうだった。メモ魔の患者だった。かなりしつこい患者だったなぁ~と思う。どっかで東洋一の巨大病院にご迷惑をおかけしていないだろうか、という危惧も持ち合わせてはいるのだが。それくらいなことは、いくら私でも考えるのだ。マジに。

明日35日ぶりに再検査である。楽しみである。血圧も自宅で測っているし、体重も順調である。64キロ台をキープしている。なにしろ毎日運動をしている。もっとも他にやることもないから、まるっきり趣味である。体調維持がである。

運動もかなり工夫している。市営のGymだから、専門のトレーナーもたくさんおられて、質問すると直ちに回答がくる。ありがたいこと限りなしである。高齢者向けの筋力トレーニングというのも実践している。

椅子に座ったままできる運動というのも、自分で調べて実践している。

なぜか。

飛行機に長時間乗ったときに、病気にならないように工夫しているのだ。エコノミークラス症候群が怖いからである。たとえ、ビジネスクラスとかファーストクラス(ファーストには乗ったこと無いけど)でも、エコノミークラス症候群になる可能性は高いからである。別に私が言ったのではない。先日送られてきたエア・カナダのチケットに同封されていたパンフレットに事細かく注意書きがあったからである。

それほど怖い病気である。

もっとも病気というのは全部怖い。なりたくない。病気には。

仕事優先でこれまで生きてきたからこうなったのであろう。成果主義でもって、何を血迷ったか大学院博士後期課程なんて入学してしまったのだ。身の程知らずとはこのことである。後悔している。そんなに学位が欲しかったのかということをである。

健康と命と引き替えにする程のものでもあるまいに。そう気がついたから3年在籍した大学院を退学したのである。

これで良かった。でないと、今頃はICUで死んでいたよん。

ICUに入れていただいたからこそである。あそこは家族も入ってこれない。周囲は死にかけた方々ばかりである。チューブでぐりぐりに縛られている。それに男女別の部屋なんてない。巨大病院だから、ICUが大きくて何人もいる。世も末だということをまことに実感した。

これは、これは。もうあの時点で、退学を決意したのだった。こんなことで死んでしまったら、こりゃぁたまらんというわけである。ICUのベッドで思っていたことは、中島敦の「山月記」であった。あれが私に鉄槌をくだした。

それで愛用しているKindleに中島敦の作品は、殆ど全部入れてある。むろん紙ベースの中島敦全集も所有している。神田神保町で3000円で買ったものである。それも退学した大学院の紀尾井町キャンパスで、講座があった時の帰りに買ったものである。

そういういろいろな知的体験が蘇ってくる。

だからそれはそれなりに感謝しているのである。大学院や先生方に。いい刺激になった。ありがたいもんである。

でも、生涯学習だけは続く。私の場合は。地位も名誉もなんにも無いから続けられるのである。

 

けふは、これから某大学で授業をやってくる。昨日の夜にその準備もしていた。シラバスがあるから、そんなに去年とは変更していないけれども、毎年資料を工夫している。昨日は、今日の授業で見せる映像を準備していた。どういう反応をするのか楽しみである。大学生たちが。

それに池田清彦先生の「分類の思想」という本をある学生に貸すつもりである。「分類」ということを先週話したら授業後に質問してきたからである。貝の分類が好きだと言っていたからなおさらのことである。

そういうモロモロのことを楽しみ生きていくのだ。

そうなのだ。もうICUに入ってから変わったのである。全て変化したのである。

私は不変ではない。

私はかなり変わる人間らしい。

去年とも違う。

昨日とも違う。

なに、おめぇさんは最初から変わりモンだろうにと言われかねないケドねぇ~。

ま、いいか。

その程度の人間でおますよん。

 

じゃぁ、そろそろ出かけますので。

 

(^_^)ノ””””

 

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