と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

冗談ばかり言っているけど

2015年10月15日 08時33分51秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

油断禁物である。私は、自分でも何を考えているのか、わかっていないからで

 

 

昨日放送大学大学院のHPを見ていた。博士課程の方である。そしたらびっくりした。入学試験問題が公開されていたのである。小論文は研究計画がらみであったから、これはスルーした。英語の試験問題がかなり面白かった。長文の英語が出題されていた。さっそく解いてみた。

(^_^)3 フムフム。

4年間、prospect試験対策で退学した方の大学で準備していたかいがあった。自分で言うのもおこがましいが、微々たる小さなチカラがついていた。これでまたまた生涯学習ごっこができる。むろん100%わかるわけではない。課題も多い。これからやるべきことが、ドンドン出てきたのである。こっちの方がありがたい。

放送大学大学院には科目選科生というので、在籍していたことがあった。仕事をしている時代である。教育学をやっていたのである。だからご縁があるというわけである。

ただし、学費が高い。放送大学も退学した大学も一緒であった。だから、断念せざるを得ない。もっとも宝クジでも当たったらわからないが。(^0^)

 

 

つまり経済状況が好転していないと、話にならんということである。学問にも経済が重要である。そういうことに気がついていないと、人生を誤る。

奨学金もある。あるが、こんなジジイに奨学金を出してくださる方も組織もない。あたりまえである。返すにも返す時間がないのだ。死んじゃうからである。いつになるかわからんが。

どうせ死ぬのなら、焦る必要はない。それに、放送大学に行っても、すでに定年退職した身である。当然、就職できない。できるワケもない。まして、その気も無い。ナイナイのバァ~である。

だから「生涯学習ごっこ」なのである。所詮、「ごっこ」でしかなかったのである。誰かに自慢したりするために学んできたのではない。ましてや、なんの成果もない。ないどころか、還暦過ぎて勉強しすぎてとうとう血管が詰まってしまったあふぉ~である。じっとして一日10時間以上もゴミ論文を書いていたら、こうなっちまう。

こだわりがあったからである。どうしても博士号が欲しいというこだわりである。

漱石ならなんというだろうかといつも思っている。能力も無いのに、なにを考えていたのだろうかということである。

 

 

昨日は大図書館にもいた。

三つあるバイトの一つをやっていた。これはけっこう神経を使う。ま、かなり以前から準備していたから、あっと言う間にできた。内容は書けない。守秘義務があるからである。

言いたいことは準備である。

テキスト・エディターを使って、資料を作成していたからあっと言う間にできたのである。ワープロにテキストデータを流し込めばいいだけであるからだ。

もっともこうやって種々の論文を書いていた。いたから出来るのであろう。襖の切り貼りと一緒であって、思いついたら、テキスト・エディターであちこち書き散らしているのである。

歌手に井上陽水という方がいる。

この方が襖の切り貼り法というのを言っておられて、それでまねをさせてもらっている。このやり方だと、いつでも書く事ができる。そう、いつでもである。これが大事である。

Kindleや、pomeraでもって書いている。それを、Wi-Fiを使ってインターネット上に置いておいて、それから加工する。

アイディアというのは、かように大切なものである。ふと思い浮かんだものは、啓示である。神とはいわない。潜在意識にそれがあるからだ。だから大事だと思うのである。

もう一つある。

それは、ドンドンチャレンジすることである。後ろを向いてはいかん。ダメだと思うから、ダメになる。なにも最初から、ダメだと諦めて行動することはない。ダメだと思っているのは、最初から高見にあったからである。オノレを高評価しているから、ダメだとなる。評価は他人がしてくれるものである。自分で高評価をしている必要はない。

マイナスからスタートしていれば、あ、こんなことも出来たんだな、オレにはこんなことにも興味関心があったのだなとなる。それでいいのである。それだから人生も充実してくることになる。

陰湿で暗い考え方をしているとロクなことはない。だから、可能なかぎり積極性をもって行動することであると思う。明るいところにしか、恵みはない。最初から諦めることはない。

ジジイだからと言っていつもいつも暗いことばかり考えていても仕方なし。私は、暗いジジイではない。こんなことばかり書いているから、とてつもなく暗いジジイだろうと思われているらしいが、そんなことはない。

冗談ばかり言っているただのジジイである。飲めたときは、バカ話ばかりしていた。最初から、そういうことしかできなかったというべきだろうが、いじけているばかりでもない。

組織とか仲間というのを大事には思っていないけれども、冗談は言うのである。そんなくだらない話を聞いてくれる人を大切には思っているのだ。マジに。それくらいの配慮はできるのである。こんな私でも。

ただし、油断禁物である。

私は、自分でも何を考えているのか、わかっていないからである。

何をしでかすのか、わかっていないのだ。

だから楽しいのである。

「半グレ」だからである。

 

さ、これくらいにしよう。

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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