けふになった。1:15である。やっとパソコンから解放である。
けふは、午後から武蔵野大学で、学会勉強会の講師をさせていただく。オイラが最低の講師だったと言われたらおしめぇですからねぇ。経歴的には最低である。一介の元高校教師だし。学者として生きるにはT大を出ていないと話しにならんという世界からは大きく逸脱しておるし。
さっきまで、資料を作っていた。いろいろ資料を眺めていたら、実に誤字脱字が多い。一つの資料はやり直した。250枚くらい印刷を再度やったのだ。マレビトと心理療法という京都文教大学の先生が書かれた論文を、印刷していたんだ。最後まで迷っていた資料である。持参すべきかどうかというその一点で。所詮、オイラは心理学でも素人であるから。しかし、テーマと密接につながっているのだ。マレビトと芸能の源流と宗教というのが、けふのオイラのテーマであるから。
今日の参加者は、研究者と学者先生だから、資料は慎重に準備しなくてはならない。でないと、師匠にご迷惑をかける。在籍校にも同様である。肩書きで在籍校を書かなくちゃならんから。当然であるが。そんな程度の院生なのかと言われたらどうすんじゃぃ!速攻で退学するしかない。それくらいの自尊心は、いかなオイラでもあるから。
資料を作成していて思った。誤字脱字である。話しにならん。これだよ、これ。研究者とか学者の資格がないっていうことだよん。師匠が最も厳しく言われることである。けふのことは師匠にも報告しなくちゃならんから、どうなることやら。
不肖の弟子だなぁとしみじみ思う。論語の子路のようだね、オイラは。体育会系だし。武闘派でありますし。
しかし、言い訳は許されない。当たり前である。それがたとえ生涯学習者としてスタートしたとしても、それなりの自覚は要求されるからである。学ぶものとしての当然の最低の条件である。だから、オイラは謙虚に生きているつもりである。オイラの書く文章なんて実につまらんものが多いから。
昨日かな、哲学者の鷲田小弥太先生の本をまた読み直していたら、「論文を書きなさい」というフレーズに行き当たった。誰でも書けるはずだし、生涯に一本でもいいから納得のいく論文を書きなさいという教えである。ちなみに、鷲田先生からは直接メールもいただいたことがあって、大好きな先生なんであるが。しかし、納得のいく論文ってこりゃ難しい。書けないです。でも、それでも挑戦しなさいと言われる。そうか、それでいいのだ。オイラのような者でも、挑戦することだけは許されているのである。
ありがたいことである。
けふは二時間もしゃべるけど、やるっきゃないですね。まったく。
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