と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

還暦は長寿のパスポート

2012年12月01日 08時29分07秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

還暦にたどり着いたということは、言わば長寿のパスポートを入手したということである。

第一の人生を、いろいろあったにせよここまで生きてきたわけである。しかも、なんの病気もせずに、医者通いもしていないとか、高血圧の薬もなんも飲んでいないというのが理想である。愚生がそうだから、こんなことを書いているのではないが。(半分くらいはそれがあるか・・・)

ところがだ。還暦になったということを言うと怒り出す御仁がいる。ヒトを年寄り扱いにするな!というわけである。アンチエィジングという言葉を修士の時に何回もレポートに書かせていただいたが、多くの高齢者は、自分はまだまだ若いと思っているのである。さらに、70歳が69歳を「まだ若いじゃないか」「未熟者だ」と罵倒するに至っては、苦笑を通り越して寒々しい思いになる。1歳大きいとかのたもう方もそうである。60過ぎて、1歳大きいもなんも無いモンだと思う。かなりの違和感が愚生にはあるのだ。

69も70も変わらんじゃぁないかと思うのだが、いかがか。もっと範囲を広げてもいい。70も60も、と言ってもいい。

要は、高齢になってもどれだけ夢を持っているかということが肝要なのであって、年齢自慢や、見た目の若さだけに執着しているようではぼけまっせということを言いたいのである。

年をとったことを嫌がるというのは、それを認めたくないという潜在意識があるからである。さらに言えば、誰でもゴールは「死」である。いつまでも生きているわけにはいかないのだ。それをワスレテいるから、思い出したくないから、年をとったと言われると腹が立つわけである。

愚生は、常時死ぬかも知れないという思いで毎日を生きている。就寝する時に、感謝するのだ。やぁ今日も、寝るまでは生きておりましたです。ありがたいもんですって、ね。(^▽^)

ベッドの神さんに。

で、次の日の朝、目が覚めたら、ああ今日も元気に生かさせていただきまひょと思うんである。別に宗教では無い。いろいろな宗教学を学んできたが、とうとう本格的に信仰を持つことができなかった愚生である。だから、こんなふざけたことを書いているんだろうけど。

白寿(99歳)まで生きたい。もっと言えば、日野原重明ドクターのように100歳を過ぎても元気で仕事をしたい。だから第二の人生をランランとスタートしたのである。これからは趣味の郷土史にも、「にも」であるが、範囲を広げて生きていく。本学にもシニアのための講座がたくさんあるし、近いから通学にも便利だし、なんぼでも通える。学割もきくし、定期券があれば毎日登校してももったいないという思いにとらわれることはない。

格好なんて気にしていられない。そんなもんを気にしていたら、この一年間通学できなかった筈である。ましてや、若い人たちと一緒にTシャツ着て、身長を測ったり、体重計に乗ったりという健康診断もするんでっせ。あははははである。ま、ガクセイさんは、なんだ?このじぃさまはと思っているだろうけど。福祉学部があるから、そのへんは本学の若者達は鷹揚というか、優しい人が多いのだ。なんでも愚生に教えてくれるしねぇ。

ところがである。

こういうことをあちこちで言っていると、「とてもとてもできまへん」とか「貯金がモタナイです」とか言われる方がいる。最初から諦めておられる。

夢が無い。なんども言うように、高齢化社会は、勉強したいという還暦以上の「自称若者」に実に優しいのである。門戸は大きく広がっているのである。できまへんというより前に、やってみなくちゃわからんですと申し上げることにしている。貯金がモタナイのなら、愚生のようにアルバイトでもなんでもすればいいんである。学部の時に新聞配達をして卒業したから、そんなの愚生にしてみれば屁でも無いのである。今回だって、60過ぎた大学院生を新聞配達をしながら行こうと思ったくらいだった。残念ながら、断られてしまったが。(^0^)

保証なんてないのだ。安全な道ばかり歩こうとするから夢が持てなくなる。家にじっと閉じこもっていて、老人性のうつになったり、朝から飲酒をしてアルコール中毒になったり、夜は夜で香水をばっちりつけたおねーちゃんの店に毎日毎晩出かけたりしていては早く死んでしまいまっせ。

子育ても終わり、配偶者とふたりになった。昔ならそこで人生は終わりであったのだ。だから「楽隠居」とか「余生」という言葉があったのだと思っている。それはそれで実にいいことである。

しかし、現代の日本は、まことに幸福なことに、我々に第二の人生を用意してくれている。もう一度人生をやり直すというチャンスを与えてくれている。60歳から生き直しができるのである。

第二の人生では、生きるための手段方法もわかっている。もう生育環境にも左右されない。自分自身の意思によって、新たな人生が始められるのだ。

これだけ恵まれた環境を用意していただいているのに、「不安だ、不安だ」「どうすべぇ、どうすべぇ」と、マイナス思考ではいけない。

自分の頭で考えないからである。マスコミの嘘に左右されすぎている。あんなの、ハナから疑ってかかっていくべきである。たまにあっちの世界の人間が間違うと実に楽しい。

へっ、エリートでも間違うことがあるんだとか言って、にやにや笑っていると、ますます偏屈じじぃになっちまうんだが。

(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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