美人学特講・・
美人が美人に見えてしまって、オレはなんという悪人なのだろうか?とずっと自問自答してきたのだ。それが、オレの青春の苦悩だったのだ。(^0^)
つまり、オレは全ての欲望を滅して、美人は骸骨が歩いているように思えと自己規制をしてきたし、オノレの全ての欲望(食欲、金銭欲、名誉欲・・・とかとか)はみっともないものとして、毛嫌いしてきたのである。だから、今でもカネも、地位も、名誉もねぇのだが。しかし、それが自己成長のためには不可欠であると思ってきたのだった。まるで苦行僧のように。信じられないだろうけど。
だから谷川の清流のような生き方に憧れてきたのである。清い生き方というのは、なかなかできないからである。聖者というか、そういう方々の伝記を読んだりして、やたら感動していたものである。
隠者というか、世捨て人のような方々にも憧憬した。今でもそれはある。若干ながら。そして、そういう方々の文章を読んでため息をついているのである。
つまりオレにはできないからである。もう無理だ。否、最初から無理だった。
とてもじゃないが、聖人にはなれない。当たり前である。オレ如き人間が、なにをかイワンヤである。馬鹿じゃぁねぇかと言われるのがオチだ。
それでもいいから、一度は、聖人のまねごとをしてみたいと思う時がある。ムリ、ムリと友人達に言われてしまったが。
奴らは、オレをからかうのだ。
いい年こいて、何がいまさら大学生だ?ということを言われるのだ。若い大学生とコンパ三昧なんだろうとも言ってくる。
冗談言っちゃならねぇよん。
オレなんかと、コンパ?
そんな奇特な学生は誰もいない。一人もいない。あははははである。あたりめぇだ。じじいでっせ。こっちは。なんか勘違いしていませんか? アンタラ。オレはマジに、勉強をしたいと思って城西国際に入学させていただいたのである。まだまだ未熟モノであることを、オオイニ自覚しているからである。遊びに来ているんではない。このままでは、死ぬに死ねないからである。のんべんだらりと生きていたって、しょうもないではないか。(^0^)
それにオレは、まだまだ悟っていない。美人が美人に見えてしょうがないのだ。世の中は骸骨だらけであるとは、ゼッタイに思えないし、綺麗なものは、綺麗に見えて仕方がないのである。
だから、修行不足なのである。簡単に言えば。
悟っていないのである。
これをいけないことだとするか、ま、それでいい加減妥協すればぁとやるかは、個人の好き勝手なんだろうけれども。
そもそも、オレは宗教的な人間ではない。まったくない。世俗にまみれた、ただの俗人である。悩みも、苦しみも、病も経験してきたし、老いということも現在進行形で、今、味わっている。あとは、死ぬことだけだ。それだけは、まだ経験していない。残念でしょうけど。まだまだ、すこぶる元気だからである。
夕方になるとささやかな美酒をちびりちびりと味わいながら、世間話に家族と興じて日々を過ごしているだけの、ただのじじいである。
なんだか、非常に間違ったイメージを持たれているような気がしてならないのである。
さっき、ジムに行ってきた。行く前に、英作文の参考書を買ってきた。中古本である。「減点されない英作文」ってやつ。学研の。半値である。おまけに、ジムで、自転車こぎながら、その参考書をじーっと見つめていたのである。これだもの、孤独なじじいになるわけである。
なんのおもしろみもないからだ。
冗談一つ言えないし。そもそも、世の中はそんな程度のものだろうよんと思っているからである。これだもの、オレなんか。
さ、明日はお江戸の千駄ヶ谷に行く。国立能楽堂である。あ、オレ一人で行くのである。一緒に行ってくれる人なんているわけもない。いつもそうだ。孤独な一人旅だ。(^0^)
能の精霊を追いかけて、ふらふらと。お江戸の美しい風景と、歩いている美人達を鑑賞しながらである。そして、見るのは、能楽の「胡蝶」である。美しい蝶の精霊である。
オレもチョウチョになって、お江戸の空をあっちふらふら、こっちふらふらと飛びまわりたいもんである。一人だったら、誰も気がつかないだろうから。
楽しみだなぁ、実に楽しみ。
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