と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

悟りとか、修行とか、諦めとかいう心境からはほど遠い

2015年06月18日 22時20分44秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

夢にまで出てくるのだから、フロイトだったらなんというだろうかねぇ・・・トホホ

 

 

悟りとか、修行とか、諦めとかいう心境からはほど遠いのだと、今朝はしみじみ思った。まだまだ未練があるのだ。退学した大学院のクラスメイトたちが、見事に博士号を取得して大きく羽ばたいていくのを、指をくわえて見ている夢が出てきたのだ。お化けのようにである。朝の三時頃に目が覚めてしまって、あっというまに飛び起きてしまった。枕元の時計を見て、がっくりした。迷いの果てをさ迷っている。山月記の主人公のように、変身してしまうぜよと思った。精神を病む。こんなことでは。もう後がないのである。後は死ぬだけなのに、なぜこんなくだらないことが夢にまで出てくるのだろうか。

まだまだとらわれているなぁと反省した。夢に出てくるくらいだから、フロイトではないが、潜在願望としてあるのだ。くだらん爺である。

だから、「悟りとか、修行とか、諦めとかいう心境からはほど遠い」のである。

学位を取ってもなんにもならない、棺桶の肥やししかならないと言ったのは、古女房ドノである。そのとおりであろう。ただの紙っぺらである。就職できるわけでもない。第二の人生なんてできるわけもない。万一取得できたとしてもである。出来なかったが。

そして、夢にまで出てくるということは、結局うらやましいわけだ。クラスメイトたちの活躍ぶりが。まぁ、まぁホンマに情けない。ねたみ、そねみ、嫉妬心であろう。バカである。完全にバカである。

なにを考えているのだろうか。

最初から相手にされていなかった大学院である。そう思えばいいのである。気取っていたのだ。なんだか知らねぇが、インテリぶってみたかったのだ。だからバカだと思うのである。

まだまだこの世のしがらみから抜け出せていないのだ。

ハゲなのに、もしかしたらオナゴにモテルのではないかと錯覚しているようなものである。こういうのを手がつけられないバカというのである。

ま、こうやってくだらないブログを書いていれば、定年退職してからの手慰みにはなるということであろう。尊敬する鷲田小彌太先生が書いていらした。退職したら、形はなんであれものを書いてみなさいと。なんでも良いから書いてみて、世間とのつながりをモタナイと老後は寂しいということである。確かにそうだろう。

まったくの孤独ではしょうもない。

だからといって、呑み友達の数を競っていても話にならない。そんなものは泡のようなものである。すぐ消えてしまう。

閉じこもっていることもたまには必要である。好きな分野でもって、調べ物をしたり、たとえゴミと言われようとも文章を書いてみるっていうことも大事である。

つまりなにを言いたいかというと、まるっきり引退してはならんぞよという戒めである。私自身の。

なにもしない、世間さまともつきあわないという老後のスタイルは良くない。そう思う。

昨日は、夜、中国語講座に行ってきた。昨日の午前中は古文書講座である。どっちも居住地でやってくださっている。ありがたいことに無料なのだ。私のような人間が多いから、居住地の行政マンは優秀であると思う。良きプランナーである。こうやって現役引退組に生きがいを持たせることでもって、いろいろと経済的には潤うのであろう。医療費がかからなくなるだろうからだ。

たいしたもんである。ここまで考えてくださっているのである。さすがに東洋一の大病院を経営している居住地である。だから発展している。徐々にではあるが人口も増えているそうだ。気候温暖で住みやすいからであろう。津波がしょうもないが。九十九里は被災したからである。これはもうどうしようもない。防ぎようがない。

で、どちらの講座でも私は、冗談ばかり言っていた。まるっきり遊びでやっているから楽しいのである。受講生仲間との雑談も楽しい。だから通っているようなものだ。これをである。中国語や古文書を指導してやろうとか、あいつを評価してやろうというのを考え始めたら、もう終わりである。そんな実力もねぇし、そしてそんなのがまったくないから楽しいのである。

それでも人間は人を指導したがる。上に立ちたがる。たとえば、柔道でたいした実績もない輩ほど昇段したがる。上に立ちたいからである。これはいかがなものか。実績がなければ、諦めればいいのである。私のようにである。四段のままでいいではないか。

そう思ってきたのだが、今朝の夢にはマイッタ。

まだまだ諦めきれないようである。昨日のことである。宝くじが当たったら、また大学に行こうかなとふと古女房ドノに言ったら「今度こそ死んじゃうよ!」ときつく言われた。そりゃそうだろう。まったく今度こそ死ぬ。去年の入院騒ぎで、一度死んだようなものだからだ。ICUにも入ったし。こうやって死んでいくのだという事前トレーニングをしてきたようなものだ。

だからまだまだなのである。諦められないのである。夢にまで出てくるといのは。つまり、しつこい性格なのである。バカである。

バカは死ななきゃ治らないってか。

死んでも治らないという可能性もあるけどねぇ・・・・。ま、どうでもいいか。

 

さ、けふもバイト三昧である。某大学で授業、夜は学習塾でバイト。それだけである。

じゃぁねぇ~。

 

(;_;)/~~~

 

 

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