ボキのようにせせこましく、じっとして生きているのもいるんである。そいつを忘れてしまっていいのかねと思うのだが・・・
世間の片隅で生きているボキのような小市民を扱ってくださる小説とかエッセー、あるいは思想書なんていうもんにお目にかかりたい。マジにそう思うのだが、なかなか無い。
たいていの文学は、村上春樹が書いているような中途半端な知識人とか、おどろおどろしい不倫なんかを扱っている。色情狂を扱っている。そういうテレビドラマも多い。まさに基地外を扱う小説なんかが(失楽園を書いた渡辺淳一を代表として)、あるいはドラマ・演劇が世間を支配している。
いつも思うのだが、深刻そうに構えているものほど、つまらない。
格好をつけているからだ。そんなもん、格好をつけていかにも知的エリートを気取っていてもお里が知れているってぇもんである。
こういうのにだまされてはいけない。
もっともっとしぶとく社会の片隅でたくましく生きているボキのような小市民がいるからである。それを忘れてはならない。
ボキのようなバカは忘れていただいてけっこうである。それほどバカなのだから。
小市民というのは、家族が基本になっている。ジジババがいて、父と母がいて、兄がいて弟がいて、姉がいて妹がいる。叔父さんも叔母さんもいる(伯父伯母の場合もある)。むろん亡くなっていなくなっちまった場合も当然ある。しかし、それぞれが思い出を大切にしまっているようなそんな関係の家族のことである。
そういう小市民のことを忘れて、不倫とか、離婚とかを扱ってそれがさも当たり前の生き方であるかのように扱うのはいかがなものかと思う。
そんなあたりめぇの生き方を扱っていたら、売れないからかね?文学が。だとしたら、実にたわいのない、くだらないレベルでしかないではないか。
思うに、どんなにちっちゃくてもいいから、あるいは顕微鏡で見なくちゃ見えなくても、それほど微量でも、お互いにやさしさがないといかん。
マザコンでも、ファザコンでもいいじゃないか。
あるいは、兄弟姉妹お互いが、思いやって生きていたっていいじゃないか。
心理学的にどうーだらこーだらとやたら分析して、問題があるっていうような短絡的な思考はもういい加減やめた方がいい。
てめーのことしか、考えていないから、そんな風になるんだ。
そう思う。
現実を生きているのは、平々凡々であるボキのような小市民、凡人である。そういう平凡な生活人の生き方をもっと描いてほしい。
世の中の作家や、テレビドラマの制作者たちには。
でないと勘違いをしてしまうではないか。
奇妙奇天烈な生き方のみが、尊いのではない。
ボキのように虐げられて、やっと生きているようなのもいるんである。それを忘れてしまった社会はろくなモンジャねぇと思う。
世の中は、エリートだけで構成されているんではない。
そう思う。
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今日は、天気がいい。
Walkingには最適である。
暑くなくて。
ちょっと寒いけど。
バイトでやっていた原稿書きも昨日で一応終了した。
今日の夜は、塾のバイト。
来週、高校入試があるから、追い込みだ。
頑張れ!ガンバレ!である。
昨日、中3の男子に、小論文の指導をしてくださいなと言われてしまった。小論文の神様だと彼の姉がボキのことを言っていたそうである。彼の姉は、地元の進学高校から、理学療法士の大学に小論文一本で進学していった。だからである。
中3の男子が受ける地元の進学校も、小論文がある。だから、逆指名なんだそうだ。今日の夜にやる。勉強を。
ありがてぇもんである。
趣味でやっている塾が、こんなに楽しいもんだとは思ってもみなかった。
ホンマにありがてぇと思う。
さ、これくらいにしましょ。
Bye-bye