・退職辞令をいただいた。
・感無量である。37年もやらせていただいた。本当に感謝している。ただし、なんの成果も残せなかったと自戒している。あとは次の校長先生に託すしかない。主役は生徒たちであるから。
・今日は、退職されたほかの校長先生の思い出が書かれた冊子も送られてきた。楽しく読ませていただいた。いろいろな経験をされてきたわけである。
・私は、書かなかった。書けなかった。理由はない。
・たまには、こんな変わり者がいてもいいのだろう。未練もない。
・これからのことで実は大変思い悩んでいるくらいである。むしろそちらの方の大変さが迫ってくる。専門の分野で論文が書けるだろうかという不安である。わからないことがあるから勉強するのだということは、普段から考えているが、それも程度問題である。ゼロの知識からは、耐えられる世界ではないからである。次の世界は。
・当たり前だと笑われるであろう。だから、食らいついていくしかないのである。
・雑学的な書籍は今回の退職で相当処分した。専門分野に絞っている。
・リセットである。異動のたびに、書籍の処分をしてきた。今回は「大リセット」である。
・小学校、中学校、高校、大学、大学院とリセットを繰り返せる日本の教育制度はなかなかいいものである。小学校から中学校というのはリセットとは言えないのかもしれないが。転校でもしないかぎり、居住地の近くの学校に行くのであろうから。
・今回は、大学院に進学させていただく。放送大学大学院では選科生であったが、数としては3校目になる。大リセットである。
・ただし、テーマは修士からの発展型である。情報収集をして、アタマの中に、展開の仕方をあたためている。
・問題は、その質である。どの程度のレヴェルで展開が可能となるのか。それが一番難物なのだ。
・今日の夜はオルテガを読んでいた。
・「大衆の反逆」である。アナトール・フランスの「愚か者は邪悪な人間よりも始末が悪い」という文から、オルテガは「邪悪な人間はときどき邪悪でなくなるが、愚か者は死ぬまで治らないからだ」ということを書いていて、その部分にドキッとしたからである。
・まさに私のことではないか。
・また、オルテガの大衆論は「大衆とは、自分が『みんなと同じ』だと感じることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である」とある。
・これもまた気をつけなくてはならないことである。どうしても人の思惑を気にして、他者と同じような行動をしていると安心してしまうのは、私にもあるからである。
・だから他者と同じようなことをして自己満足していないかどうかということを注意していかなくてはならないのである。
・そこに自己の工夫がある。それでないといけないと私は思っているのだ。
・だからこの視点でこれからの私は情報収集をしていかなくてはならないのだ。
・そこにこそ独自性が出てくると思うのである。まねをしているだけではダメであるからである。
・ただし、いつも言っていることだが、情報収集というのは文化的資本の受け売りでしかない。まったくのゼロから独自性を構築することはできないからである。
・それができるのは天才のみである。
・明日からまたまた読書三昧の生活になる。県立図書館に行こう。そしてこのブログに書いていこう。考えたことを、あるいはアイディアを。もう広報活動は不要になったのだから。
・孫が帰ってくるけど。
(こっちの方が楽しみ、楽しみ)
経営者の塾ですか・・・・たいしたものですね。もっとも一瞬一瞬が勝負の世界でしょうから、大兄の場合は息を抜く暇もないと拝察いたします。
これからもよろしくお願いいたします。