と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

男ってものは

2012年03月21日 21時17分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・男ってものは・・・・と書き出すと、続くのは「だからダメ」という反応と「立派だ、力強い」というのと両方あるような気がする。

・もっともそれは当たり前であって、物事には両面があるからである。

・しかしだ。一番ハラが立つのが「男のくせに」というやつである。

・だったら「女のくせに」という言い方も成り立つのではないか。

・ま、そんなもんどうでもいいんじゃないの、と言われるとギャフンである。確かにそうだ。どうでもいいことである。

・しかし、ここで考えたいのが、男ってなんだろ?ということである。

・性差とかなんとか、あるいはジェンダーとか、あまり関係なく考えることがあるからである。

・高橋源一郎先生の小説を読むと、このあたりがはっきりしてくる。この間読んだ小説「君が代は千代に八千代に」という作品には笑った。

・おっと、笑っちゃいけないのか。

・小さい子供がビデオを見ているという設定。それが18歳以下は見ちゃいけないしろもの。そして決定的なのは出演者が自分の母親というもの。

・おどろおどろしいというか、設定自体はあり得ないものであろう。

・私は、高橋源一郎先生の文体の奥に、シニカルなものを感じたのである。

・性差というものへの誤解をである。

・思えば、なんだか世の中全部がおかしいのではないかと思うときがある。

・おつきあいをするということは、現代の世の中は夫婦同然の関係性を意味するのだそうな。

・佳作「負け犬の遠吠え」(酒井順子著)を読了した時も感じたが、なんだか男女の関係性において、非常にうすっぺらなものが進行しているのではないかと考えるからである。

・どうでもいいものが、はびこっているのである。男だとか、女だとか意識過剰なのではないのかと思う時があるからである。

・すべての価値の源流が、恋愛とか男女関係なのであろうかと疑問に思ってはいけないのであろうか。つまり否定的にである。

・AかBかとか、賛成か反対かはっきりしろという暴論と同じである。

・世の中には割り切れないということもあっていいのではないか。

・そういうこともあるんですよ、仕方ないでしょという村の古老がいてもいいのではないか。

・Aかもしれない、Bかもしれない、ま、ここは一つ折衷でいきまひょというじじぃがいてもいいのではないか。(私がそのじじぃである公算は高いという前提で書いているんですが・・・)

・「男のくせに」という言い方の後には、何がくるんだろうかと思うことがよくある。(「女のくせに」という言い方も一緒です)

・何を言いたいんでしょう?そういう言い方をよくする人って。

・たとえば、「男のくせに」という文頭の後に続くのは、たいてい否定の文章である。・・・・できないということである。

・だったら、極端に言って、もしここが戦場であったら、男のくせに敵を殺せないのはなぜだ?という言い方にもなってしまう危険性がありはしませんかと思うのである。

・それって、それでいいんですかね。

・そんなんで。そんなシンプルな文章で。

・そんなことではいけないんですよ。まったくいけない。人を殺したり、戦いを好んでいてはいかがなもんですかね。ちょっとそれではタブーを犯していることになる。

・人間は、やっちゃいけないことをやらないから人間であって、この節度を失ったらそれは知性を踏みにじり、ほとんど動物と同じレベルであるということになる。

・それでもいるんだ、その手の輩が。

・まさか、種の保存のために異種をあらかじめもぐりこませていたということにはならんでしょうけれども。生物学的には異端の存在は必要だそうですから。



・森進一の「冬のリビエラ」でしたっけ?

・男ってものは・・・という歌詞があって、冬の海をじっと黙って見ているというの。あれって、いいねぇと思う。普段、男はしゃべりすぎてくたびれているのだ。あの歌詞は、港を出ていく船のようだねと続くような気がしたが、ふむふむ身に染みる。

・なんてことを書いていたら、家のものに笑われたが。そんなに一人で生きていたいんなら、いいんだよと。つまり、私は女性という名の、あるいは母性の源である家庭から出ていって勝負できないだろうというバカのされかたをしているんである。情けないですなぁ。

・一人で港を出て行ったらおぼれてしまうだろうとも、おまけがついてきた。

・男なんて・・・結局一人じゃ生きていけないんだよという宣告である。

・まったくどこまでも自信たっぷりである。




・こういう自信はどこからきているのか。

・レヴィ・ストロース先生にご登場願おう。それは、女性は同種の部族・群れの中で生きることを許されなかったからである。近親相姦を防ぐために、女性は群を出て行かねばならなかったというのが、ストロース先生の分析である。

・だから強いんである。女性は。生きる力がみなぎっているんである。




・ま、この文章をこたつに入って書いているが、今、古女房ドノが左側のこたつに入ってきて、ドンと足をけ飛ばしたのだ。なんじゃ?こりゃ。

・わらっちまうねぇ。

・実に人生は楽しい。バカみたいに。

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