01. 「ラーメン」とは中華麺とスープ、チャーシューやメンマなどさまざまな具材を組み合わせた麺料理のこと
02. 「拉麺」「老麺」「柳麺」とも表記されるが、ほかに中華そば、支那そば、南京そばなどとも呼ばれる
03. 使用される麺は「小麦粉」を原材料に、「かん水」というアルカリ塩水溶液を添加するのが特長
04. そのため同じ小麦粉を原材料とする麺でも、うどんや中国の多くの麺料理とは異なる独特の色や味をもつ
05. 多くの場合、自家用の製麺機で製麺するが、製麺会社が製造する麺を使用する店もある
06. 麺と同様に重要視されるのが「汁(スープ)」で、原料によって味や色、風味にさまざまな違いがある
07. 日本のラーメンの原点とされる「醤油ラーメン」の場合、鶏がらを基本に野菜と削り節や煮干で味を調える
08. ラーメンの出汁には豚骨、牛骨、昆布なども使用され、臭み消しには長ネギ、生姜など香味野菜が使われる
09. それら複数の出汁をまとめるために、店によっては「旨み調味料」(化学調味料)を添加する場合もある
日本で最初に「中華麺」を食べたのは?
10. 日本で最初に「中華麺」を食べたのは、常陸水戸藩の第二代藩主・徳川光圀(水戸黄門)といわれている
11. 1659年に明から亡命した儒学者・朱舜水が水戸藩に招かれた際の所持品リストに中華麺関連のものが存在
12. 中華麺を献上したという正式な記録はないものの、光圀は食通としても知られるため可能性は高いとされる
13. 1697年には光圀の隠居所・西山荘を訪問した僧や家臣らが中華麺を振舞われたという記録が残っている
14. その後、江戸時代に開港した横浜・神戸・長崎・函館などに明治期に誕生した「中華街」から麺料理が発展
15. 1884年、函館・船場町の中華料理店「養和軒」が「南京そば」を15銭で提供する広告を函館新聞に掲載した
16. 養和軒は大正時代まで南京そばを提供したとされるが、資料が乏しく現在のラーメンの祖とは断定できない
17. その頃、横浜中華街でも南京そばの「屋台」が引かれはじめ日本各地で本格中華料理店が続々開店していく
18. 1905年には長崎「四海楼」の陳平順が「支那饂飩」を考案。のちに「長崎ちゃんぽん」として親しまれる
19. 1910年、横浜税関を退職した尾崎貫一は横浜中華街から12名の中国人料理人を招き浅草で「来々軒」開店
20. 初の日本人経営者によるこの中華料理店は当時珍しかった「大衆店」で、醤油味の南京そばが主力であった
21. しかも来々軒は1杯6銭と安価で提供。連日店前に行列ができ、その人気は1976年に閉店するまで続いた
22. また屋台ではなく「店舗」を構えたラーメン店としては日本初であり、東京ラーメンの元祖といわれている
23. 1914年には日本橋茅場町に「中国料理 大勝軒」が開店。いまも東京に現存する最古の東京ラーメン店である
24. 1916年、栃木・佐野に「宝来軒」が、22年には札幌・北大前に本格中華料理を提供する「竹家食堂」が開業
25. 中国人料理人・王文彩が作る竹家の麺は、塩味ベースの中華料理「肉絲麺(ルースー麺)」が原型だった
26. しかし日本人にはなじみが薄くのちに醤油味スープにチャーシューやメンマをのせた麺に改良。人気を呼ぶ
27. 1925年、喜多方で最初のラーメン店「源来軒」が開店。32年には大阪・梅田の阪急に「支那食堂」が誕生
28. 1937年、九州最初のラーメン店といわれる「南京千両」が屋台で営業を開始する
29. 東京でラーメンが流行していると耳にした主人が上京して修業。当時は醤油ラーメンがベースだった
30. 同年、東京・錦糸町では難波二三夫が屋台「貧乏軒」(のちの「ホープ軒本舗」)をスタート
31. 銀座「萬福」、京都「新福菜館」、飛騨高山「まさご」、和歌山「丸高」等が開店するが日本は太平洋戦争に突入
ラーメン屋台の出現で全国へ広がる
32. しかし戦後、中国からの引揚者によるラーメン屋台が全国に出現。国内にラーメンが広がるきっかけとなる
33. また戦後の物資が乏しい時代、安価で温かく栄養がとれるラーメンは日本人にうってつけの食物だった
34. 1946年、札幌で松田勘七が「龍鳳」を開業。この頃、九州では久留米「三九」が白濁した豚骨スープを開始
35. 南京千両は東京ラーメンをベースとしたさらりとした豚骨スープだったが、三九はドロリと煮詰まったもの
36. これが現在の九州ラーメンの源流といわれ、久留米をはじめ博多、熊本など九州全土に影響を与えていく
37. 同年、荻窪「漢珍子」、北海道では旭川ラーメンの「蜂屋」「青葉」が相次いで開業
38. 翌48年には荻窪で「丸長」、49年には「春木屋」がオープン。「荻窪ラーメン」の基礎が出来上がっていく
39. 1950年、札幌「味の三平」開業。当初は醤油味だったが55年に店主・大宮守人が「味噌ラーメン」を開発
40. 味の三平を訪れた『暮らしの手帖』元編集長・花森安治はこの味噌味に感激。同誌に紹介記事を執筆する
41. それをきっかけに札幌ラーメンは全国に名を知られることとなり、〈札幌=味噌〉という方向性が定着する
42. 同55年には中野「大勝軒」にて山岸一雄が「つけ麺」を開発。のちに東池袋「大勝軒」で「もりそば」と命名
43. 1958年、日清の創業者・安藤百福が時間油熱乾燥法を発明しインスタントの「チキンラーメン」を開発
44. 「ラーメン」という呼び名は、この日本初のインスタントラーメンの登場によって定着したといわれている
45. 同年、武蔵境「珍珍亭」が油そばを考案。翌59年福岡ではマルタイ「チキン味棒ラーメン」が発売される
46. 1964年、札幌「華平」の川西寛明がラーメンに「バター」を入れるアイデアを考案
47. 1965年、札幌「熊さん」が東京・大阪高島屋で開催された北海道物産展で味噌ラーメンの実演販売を行う
48. これが大評判となり、全国に「札幌ラーメン」のチェーン店が出現。ご当地ラーメンブームの元祖となる
インスタントラーメンが登場
49. 1966年、サンヨー食品は「サッポロ一番」と命名したインスタントラーメンを発売。当初は醤油と塩の二種
50. 同年、明星が「チャルメラ」を、68年には日清が「出前一丁」を発売する一方「サッポロ一番」に味噌が登場
51. インスタント麺業界では70年代にかけて麺を油で揚げずに冷凍乾燥させる「フリーズドライ製法」が普及
52. この製法によってかやくはもちろんスープも乾燥粉末化され塩・味噌・カレー味など味の種類が広がっていく
53. 同68年、和食の料理人だった山田拓美が目黒・都立大「ラーメン二郎」を開店。のちに三田へと移転する
54. 1971年、日清は世界初となるカップ麺「カップヌードル」を発売。その容器は耐久・耐熱性に優れていた
55. 当初の売り上げはいまひとつであったが、翌72年に起きた連合赤軍・あさま山荘事件で一躍注目を浴びる
56. 同71年、京都・銀閣寺そばで屋台「天下一品」が開業。74年には横浜「吉村家」が営業をスタートする
57. もともと横浜では明治以降、中華街の流れをくむ醤油やタンメン、サンマー麺が主流であった
58. しかし吉村家の吉村実は交通量の多い国道16号沿いで豚骨醤油+極太麺のボリューミーなラーメンを創出
59. 「家系ラーメン」と呼ばれるその味はトラック運転手などの間で評判を呼び、横浜のご当地ラーメンとなる
60. 80年代、関東では「豚骨ラーメンブーム」が起こり、「九州じゃんがららぁめん」などの人気店が続々進出
61. その一方、80年代の博多には〈怖い・臭い・汚い〉といわれる豚骨ラーメン屋が決して少なくなかった
62. そのイメージを一新すべく1985年、河原成美は女性も入りやすい内装と味で勝負した「博多一風堂」を開店
63. 1989年にカップ麺が袋麺の生産を上回ると、92年には日清が「生タイプ麺」を使用した「ラ王」を発売する
64. 業界ではインスタント麺、カップ麺に次ぐ〈第三のエポックメイキング〉といわれ、市場でも大ヒットする
65. 1994年ビジネスタウンだった新横浜の新名所としてフードテーマパーク「新横浜ラーメン博物館」が開館
66. 1996年、動物系+魚介スープの青山「麺屋武蔵」、中野「青葉」、横浜「くじら軒」などの個性店が続々開業
67. 豚骨ブームの反動ともいわれるが、この頃から日本のラーメンが既存の作りにこだわらない進化を始める
68. 1998年、旭川ラーメンをきっかけに「和歌山」「徳島」など全国の「ご当地ラーメン」が一躍注目を浴びる
69. ラーメンの個性化・細分化が進む2000年、埼玉「ぜんや」大和「中村屋」などハイレベル店がオープン
70. 個性店の第二期ラッシュと同時にハイレベル店の〈切り札〉的存在として「塩ラーメン」がブームになる
71. 塩は調味料自体の風味や旨みがない分、純粋にスープの良し悪しが出てしまうため職人の自信の証とされた
72. 2002年、東池袋「大勝軒」や三田「ラーメン二郎」などののれん分け店が全国に展開しはじめる
73. なかでも大盛り野菜と厚切りチャーシューと特殊な注文で知られる「ラーメン二郎」はマニア的人気を誇る
ファンに呼称がついているのは「二郎」だけ
74. ファンは「ジロリアン」と呼ばれるが、ラーメン店は数あれどファンに呼称がついているのは「二郎」だけ
75. 2004年結成のスリーピースバンド「打首獄門同好会」は『私を二郎に連れてって』という名曲を生んでいる
76. 現在では「ラーメン二郎」に影響された店も多く、それらは「ラーメン二郎インスパイア系」と括られる
77. 2005年、内装にこだわった店舗や「ラーメン・ダイニング」が増加。「鶏白湯(トリパイタン)」が人気に
78. 2007年、「汁なしラーメン」がブームに。東池袋「大勝軒」が閉店し、「つけ麺」が全国的に認知される
79. 同年、前島司の「せたが屋」が、翌08年には河原成美の「博多一風堂」が米国NYに進出し勝負を賭ける
80. NYでのラーメンブームの火付け役は2003年にデイビッド・チャンが開店した「モモフク・ヌードル・バー」
81. 店名の〈モモフク〉とは「桃福」であると同時に、日清の創業者・安藤百福へのリスペクトでもある
82. 大学卒業後、ロンドンを経て東京のラーメン店で働いた経験のあるチャンはラーメンを米国流にアレンジ
83. 肉好きな米国人に向けベーコンをスープに使用。蒸しパンに豚角煮を挟んだサイドメニューも提供している
84. 米国育ちの韓国系であるチャンは食のオスカーと呼ばれる「ジェームズ・ビアード」でベストシェフを受賞
85. そのモモフクと同エリアのイーストビレッジに「せたが屋」「博多一風堂」が開店したことから注目を浴びた
86. 地元メディアは「ラーメン戦争勃発」と書き立て、近隣にNY大学があったことから学生の口コミも広まった
87. その結果2012年、NYのラーメン店は60軒に達し「NYストリート・ラーメン・コンテスト」も開催
88. システムの不具合でコンテストの順位は決まらなかったが、ラーメン人気はブルックリンなどへも飛び火
89. 世界ラーメン協会によると2014年のインスタント麺消費量1位は中国・香港444億食。日本は3位55億食
90. 2015年、世界のグルメガイド『ミシュラン2016年版』で巣鴨の「Japanese Soba Noodle蔦」が星を獲得した
世界で初めてラーメン店が『ミシュラン』の星を獲得
91. 評価は「一つ星」だったが、世界で初めてラーメン店が『ミシュラン』の星を獲得するという快挙であった
92. 2012年に「蔦」を開いた大西祐貴は、1997年藤沢に開店した「七重の味 めじろ」の主人・大西良明の次男
93. 祐貴は〈ラーメンは日本が誇る日本食の一つ〉をモットーに醤油にこだわり誕生したのが「醤油そば」だった
94. 「醤油そば」には、和歌山産を中心とした生揚げ醤油、本醸造醤油、白醤油などを厳選してブレンド
95. 国産小麦100%の自家製麺で青森シャモロック・あさり・白身魚を出汁にイタリア産黒トリュフと鶏油を使用
96. しかし店前の行列には近隣からの苦情も多く、2015年12月27日をもって2号店「蔦の家」を休業した
97. 日本のラーメン普及に貢献した移動式「屋台」は近年、道路交通法等によって街から姿を消しつつある
98. 移動式屋台の「ドレミーレド、ドレミレドレー」という客寄せ音を奏でる楽器は「チャルメラ」と呼ばれる
99. チャルメラは2枚リードの木管楽器でオーボエの祖先といわれ、安土桃山時代にポルトガルから伝来した
100 ラーメン屋台で使用され始めたのは明治30年代の横浜。大正時代には東京でも定着したがいまや幻である。
(文/寺田 薫:モノ・マガジン編集部、モノ・マガジン2016年2月2日号より転載)