最近の若者は・・・
出た出た、出た~~~。
耳にタコができるほど聞くが、聞く度に不快な言葉のひとつ。
半径1mの世界で暮らしている近視眼的な人間に共通した言葉、
「最近の若い人は・・・。」
だ。
話はこうだ。
とある集会で、
「最近の若い人は違う。何かが違う。」
と抽象的におっしゃる指導員がおられた。
何のことだかわからない。
質問者があり、指導員はこたえた。
「最近の若い人は◯◯さんの時とは違って、順番に回る役をしたがらない。」
「言われないと用意、後片付けをしない。」
『ほほう、そんなことか。昔からあったのではないか。』
と、内心思う。
積極的な方は別として、趣味の用事や役以外はそういう人も多いかもしれない。
可能不可能は別問題として、気持ち的にはできることなら一般的な役はご辞退申したいんじゃないかぇ・・・。
指導員の矛先の向かった(若い)人がどうすべきかわからないのなら、はっきりと指導すればいい。それが君の仕事だ。
むしろ公の場で、指導者たる立場を利用してこういった言葉の発信は、たとえ抽象的なところでとどめたとしても、いかがなものか。
違う集合体の悪口ともとられかねない言動を慎むべきである。
君は給料をもらって指導する立場。とるべき行動ではないことを付け加えておきたい。
釈然としないまま、一ヶ月経った今も私の怒りは収まらない。
そもそも私何ぞは人間ができてないので、枕詞のように『最近の若者は・・・』などといった大それた言葉は使えない。
いや、それどころか私だって人様から見れば、『最近の若者は・・・』であり『『最近の中年は・・・』であり『最近のババァは・・・』なのかもしれないじゃないか。
人はそれぞれ自分の感覚で生き、自分の考えに当てはめてそこから少しでも外れると『最近の・・・は』と使いたがる。
が、待てよ!
物事は360度方向から見ることができるんだ。
アメリカなどは学校でその訓練をさせているし、いろいろな方向から物事が見られるということも知った上で自分の意見を持つとも言われている。
日本は未だ、そういった点では発展途上の段階か・・・。
人は自分にとって不快に思ったり、気にくわないことがあると『最近の・・・は』と安易に使っていることが多いんじゃないかと考える。
問題はこうだ、
年上が年下に対して、或は新入員に対して。自分より力が弱いと感じた時の使用。
これはまさしく、【いじめの発想】だと気づくべきである。
『最近の・・・は』といった些細なことに対して目くじらを立てている割には、ご自分はどうなのといいたくなる行動をなさっていることも。
国家や社会や企業やそういった大きな集合体には右にならい、タレントになびくあんたが国家悪だと、言ってやりたい。
わたしは洗濯の干し方や子育てや電車内での化粧のことやそういった些細なことを取り上げては憂さ晴らしする人間にはなりたくない。
電車内での化粧についても度々いわれる。確かに満員電車などならじゃまかもしれない。しかし彼女たちにもいい分もあるかもしれない。
そして、みっともないと感じる心と、すべきでないというという決めつけは別問題だということに気づくがいい。
ようは自分が好きじゃない、みっともないと感じるだけであって、被害も被ってはいないし、批判には値しない。
むしろ電車の中 通路を挟んで大声で話す馬鹿者をなんとかしろといいたいが、こういったご自分の行動にはも頓着な場合も多い。ご自分は楽しんでおられるだけなのだから。悪意がないだけに、救いようがない。
そもそも『最近の若者は・・・』と言われだしたのは最近のことではない。
昭和どころか、明治大正どころか、その歴史は鎌倉時代にまで遡る。
最近『徒然草』を斜め読みしていて見つけてしまった。
少なくとも私が知る限り、鎌倉時代には『最近の若者は・・・』と言っていたのだ。
『最近の若者は・・・』はやもするともっと前の文献にも残されているのかもしれない。
『最近の若者は・・・』は歴史ゆかしき言葉だったのである(爆)
今朝はそんな些細なことを【つれづれなるままに】記してみた。