四天王寺の支院 真光院 2
先日記録した四天王寺の支院 真光院 1、今回は六地蔵尊の写真を記録したい。
この寺は新しいものが多いが、六地蔵全てに名が付けてありわかりやすい。
【生前の行いによって死後に下記のお地蔵さまにお世話になり善い人間の心に引き戻してもらい極楽浄土へと旅立つ】
という意味もあるらしいが、詳しくは知らない。できれば、このお地蔵さまのもとで修行して、直ちに極楽浄土に行きたいものと、くくられている。
Netでみていると六地蔵には次のような名付け方があった。
禅林地蔵尊(地獄担当) 何でも悪いことは、みんな他人のせいにして、他人を責めてきた人が、このお地蔵さまのもので修行して善い人間の心に引き戻してもらうのです。
無二地蔵尊(餓鬼担当) この世にいる間に、貪りの心から他の人に施しをしなかった者「欲張りの者が落ちる餓鬼の世界です。極端なまでに餓鬼、飢渇に苦しむとされています。
護讃地蔵尊(畜生担当) 自分が得をするなら、人がどんなに迷惑をしようと平気(自己中汚染に染まっている人)と言う「強いもの勝ち」の心を持っている人が落ちる畜生の世界です。
諸龍地蔵尊(修羅担当) 争いごとを好んで、他人を傷つけた者、誹謗中傷を好んでした者が死後にお世話になるお地蔵様です。
伏勝地蔵尊(人間担当) この世で、人畜無害で一生を終えた人がお世話になるお地蔵さまです。
伏息地蔵尊(天上担当) 十善戒をよく守り、世のため、人のために尽くした人、陰徳(無償の行為)を惜しまず積んだ人が死後にお世話になるお地蔵様です。
私の生まれ育った京都には、伏見辺に六地蔵という地名がある。
先日『踊り念仏』 五来重著を読んだおり、京都や関西では念仏が盛んに唱えられ、或は踊られたという。
本書によると、念仏と六地蔵尊との関係は深いという。
800年ほど前には京の伝統行事として『京の六地蔵巡り』が行われたという。
(『京の六地蔵巡り』については別記録、下欄参考。)
京都府宇治市六地蔵以外、六地蔵という地名は次の通り。
千葉県長生郡長柄町六地蔵
愛知県一宮市今伊勢町馬寄字六地蔵
愛知県岡崎市六地蔵町
愛知県あま市七宝町桂六地蔵
滋賀県栗東市六地蔵
徳島県那賀郡那賀町木頭折宇字六地蔵
六地蔵尊駅(ろくじぞうそんえき)が福島県にある。
会津鉄道会津線の駅で、
会津若松市門田町大字一ノ堰字畑中
江戸時代後期に念仏が全国に広がりを見せた結果、上のような地名が付けられたのだろうか。
念仏講中は各地にみられ、六地蔵尊も広がったのか。
江戸時代に広がりを見せた念仏講は念仏を1万回唱え、修行成就の記念としてつくられたものもありそう。
境界の道標や墓地や墓石そのものとしても設置されたそうです。
おそらくこれも信仰の一つと考えられていたのかもしれませんね。
六地蔵に近い存在としては遅疑のようなものも考えられます。
子育て地蔵
厄除地蔵
とげ抜き地蔵 など
ここまで来て、最後の延命地蔵様のお姿(写真)となりました。
いろいろなところでお姿を拝見することのある六地蔵様ですが、今一度心の中で手を合わせておきましょう。合掌。
六地蔵様とお別れし後ろにまわるとすぐにお墓がありました。
普通なら境内のど真ん中。不思議なつくりです。
四天王寺の支院 真光院は新しいものが多いのですが、墓塚は年期が入っていました。
ぐるり塚をまわってみると、上のような墓石がありました。
穏やかないいお顔をされています。
所狭しと置かれた墓の間にはまり込んだようすで、目の前にも真新しい石が切り立っていましたが、平常心是道で拝んでおられるように感じました。
四天王寺の支院 真光院
大阪王寺区六法体町
2010年6月12日
京の六地蔵巡り
京都では、夏も終わりに近づいた8月22日、23日の両日、都の出入り口(街道沿い)六ヶ所に祀られた地蔵菩薩を巡拝 して、罰障消滅、家内安全、無病息災、家運繁栄を祈願する「六地蔵巡り」がある。 これは、800年もの京の伝統行事。
さて、京の六ヶ所の出入り口(街道沿い)とは、
1.奈良街道・六地蔵の大善寺(伏見六地蔵)
2.西国街道・上鳥羽の浄禅寺(鳥羽地蔵)
3.丹波街道・桂の地蔵寺(桂地蔵)
4.周山街道・常盤の源光寺(常盤地蔵)
5.若狭街道・鞍馬口の上善寺(鞍馬口地蔵)
6.東海道・四ノ宮の徳林庵(山科地蔵)
これら寺院に安置された木像地蔵菩薩立像(重文)は、平安時代の初め小野篁(おのたかむら)が一度息絶え冥土へ行き、そこで生身の地蔵菩薩を拝して甦った後に、木幡山(こばたやま)の一本の桜の大木から六体の地蔵尊像を刻み、木幡の里(大善寺)に祀ったもの。
平安後期、都では疫病が流行していた。後白河天皇はこの地蔵尊像を深く信仰され皇位長久、王城守護を祈願。また、都を往来する旅人たちの路上安全・健康、さらに広く庶民に疫病退散、福徳招来をも願われて、保元2年(1157)都の出入り口に祀るよう平清盛に勅命。清盛は西光法師に命じ、街道の入口に六角堂を建て、一体づつ分置し「廻り地蔵」と名付けた。これにより庶民に地蔵信仰が広まり、六地蔵巡りの風習 が室町時代に始まったとされている。(なお、当初は木幡の里、四ノ宮河原、鳥羽の作り道、西七条 、蓮台野、深泥ヶ池、西坂本の7街道に六体の地蔵尊像を安置したとされ、現在の六地蔵の大善寺、四ノ宮の徳林庵、上鳥羽の浄禅寺、桂の地蔵寺、常盤の源光寺、鞍馬口の上善寺となったのは、江戸時代初期の寛文5年(1665)頃とか)
地蔵菩薩は、私たちに最も身近な仏さま。昔から京の町々では、8月22日、23日の両日、町内の地蔵さま近くに集まり「地蔵盆」が催される。この時ばかりは、子供達は夏休みの宿題を忘れて楽しむ。地蔵菩薩は、子供の無事安全成長を守ってくださる子供の仏さまでもあり、「地蔵盆」は子供の無事成長を願う親の気持ち。これは六地蔵信仰に起するといわれる。
地蔵巡りは、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)に迷い苦しむ全ての人々を救済するように願って祀られた六体の地蔵菩薩を巡拝すること。六ヶ所の地蔵寺を巡り、それぞれのお寺でいただく(買い求める)幡をお守りとして玄関先に吊るすことで、疫病退散、福徳招来などのご利益があるとされ、家運繁栄など祈願 し参拝する。また、新しい精霊の初盆には水塔婆供養を3年間すれば 、その新しい仏様は六道の苦から免れるとされています。
下の写真は先日の記録写真です。▼