六法通りを歩いていると、最乗山 鳳林寺がある。
一願不動明王と書かれていたので、中に入ることにした。
夫は普通の民家を兼ねているとなかなか入ってはこない。
それならば少し待っていてねと、一人楽しんだ。
最乗山 鳳林寺は、曹洞宗の寺院。
才庵存芸和尚の開基によって、天正16年に創建された。
元は武蔵国岩槻(埼玉県)、寺名は芳林寺
天正末期に豊臣秀吉に現在地を寄付され、岩槻(埼玉県)よりここに移ったとされる。
門をくぐると、「上島鬼貫」という名。この寺に墓があるという。
江戸時代の代表的な俳人らしい。
著書
『大悟物狂』
『独言』
『俳諧七車』など
「行水の 捨てどころなき むしのこえ」
どうにも候にもわからないので、寺の由来を載せておこう。
そこを真っすぐにすすむと本堂。
近づいて、10センチにも満たない小さな窓枠から中をのぞいてみよう。
あらあら!いかめしいお顔姿の一願不動明王さまが・・・。
時代はいつ頃のものなのだろう。
結構新しそうな感じがする。
ここで興味深く眺めていると、表通りで待ち、しびれをきらした夫が境内に入ってきた。
一願不動明王さまは全国各地にいらっしゃるが、ここの一願不動明王さまも男らしい。
一願不動明王さまのいらっしゃった小さな本殿の左には、元の門と思われる。
元はこちらの門がメインだったのだろうか。
山門風は重厚な作りだ。
前のものは昭和20年 3月、大阪大空襲で焼失。
昭和34年に本堂、山門などを再建
これは表から見なければなるまい。
6月12日は開かずの門だったが表通りから見ても落ち着いた雰囲気。
寺は改築されているが最乗山 鳳林寺には随所随所に木のまま残された部分があり、落ち着いた空間として楽しむことができた。
元和元年(1615)、芳林寺を訪れた家康公から葵の紋の嚢(ふくろ)を拝領。
摂津一国僧録の朱印を授けられる。
曹洞宗の大本山・永平寺からは僧録状を受けた。
寺号を鳳林護国寺と改め、寛永年間(1624~1643)から元禄年間(1688~1703)にかけて、仏殿を中心とした七堂伽藍が建立される。
鳳林寺は大坂城代の菩提寺。
畿内における曹洞宗第一の道場とのこと。
最乗山 鳳林寺
大阪府大阪市天王寺区六万体町 2-10